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第306話

「王妃殿下」  呼ばれ、フィアナはルイに視線を向ける。そんな彼女を前に、ルイは胸に手を当てて膝をついた。 「ロランヴィエル公?」 「王妃殿下、私には願いがあります」  問いかけるように名を呼んだが、それに返ってきたのは答えではないように思えた。フィアナは首を傾げる。アシェルの血縁関係を利用しようなどと考えもしないだろうルイが、わざわざフィアナに願いがあると告げた理由を見つけることができない。結局静かに続きを待つことしかできないフィアナに、ルイは跪いたまま顔だけを上げた。 「ずっと、願ってきました。兄でも弟でもない〝アシェル〟に会い、その側にありたいと。そのために連隊長になり、武勲を上げ、アシェルに結婚を申し込みました。ノーウォルト侯爵やジーノ殿から〝弟〟を奪うことに、私は僅かの躊躇いも持ちません」  必要と判じれば躊躇いもなくアシェルを兄たちから引き離す。法的な絶縁も辞さないだろうルイに、フィアナは小さく息をつきながらも頷いた。 「それを止める気も、非難する気もございませんわ。むしろ、協力は惜しみなく。お兄さまがその身を粉にして捧げた家族の情に対して、兄は搾取するだけ搾取して返そうとはしませんもの」  フィアナには忘れることのできない記憶がある。あの雨の降る日、馬車に轢かれて重傷だったアシェルの元に駆け付けたあの日に、ウィリアムは弟に対して無情にも言い放ったのだ。 〝足が動かなければ仕事もできないではないか。いくら撥ねた貴族から慰謝料をふんだくったって微々たるものにしかならない。寝台から動くこともできない貴族など、とんだお荷物だというのに図太く生き残るなんて〟  アシェルが意識を失い聞いていないからといって、あんまりなその発言にフィアナは言葉を失い、流石のジーノも声を荒げて長兄を非難した。だがどんな言葉さえもこれから出ていくであろう金のことに頭がいっぱいなウィリアムには届かず、面倒だと隠しもしない視線をアシェルに向けるその姿に、フィアナは人生で初めて殺意を覚えたほどだった。  あの時はルイの気持ちを知らず、長兄がアシェルの別邸を取り上げるなどとも思っていなかったから、たまたま助けてくれただけのルイにこれ以上迷惑はかけられないとアシェルの身をロランヴィエル邸から移したが、今のルイがアシェルを囲うというのであればフィアナはそれに反対することは無い。 「どうか、お兄さまの手を離さないでくださいね」 「それが、あなた様から〝兄〟を奪うことになっても、でございますか?」  兄たちから〝弟〟を奪うことに躊躇いのないルイであったが、フィアナから〝兄〟を奪う事には僅かの躊躇いをもっていた。もちろんフィアナと引き離したり、二度と会わせないなどということは考えもしていないが、それでもルイは兄でも弟でもなく、アシェル自身のために生きる彼に会い、共に生きたいと願う。  兄を愛し、兄を求め、良き兄妹であったフィアナは、そんなルイの願いを許すのか。  だがルイの躊躇いに反して、フィアナは瞼を閉じるとあっさり頷いた。僅かも躊躇いの見えないそれにルイは僅かに目を細めるが、フィアナは小さく微笑む。 「それで、良いんですのよ。ロランヴィエル公」  むしろ、そうでなくてはならない。

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