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A day of faithful servants 忠実なる使い魔のとある一日3
ご飯の炊ける匂い、お味噌とお出汁の匂い、鮭の焼ける匂い。
なるほど、本日の朝食は新太様が当番でございましたか。
朝六時に部屋を出てこられ、白米を洗い炊飯器のボタンを押し、外に出てひとっ走りしてシャワーを浴びて、エプロン姿で朝食の準備。
新太様に、抜かりはありません。
「さてと。直はまだ、起きてないな」
紺色のエプロンを外しながら、わたくしが占領しているソファへ腰掛けられました。
目の前に迫り来る、新太様の太腿。おや、これはもしや、好機なのでは?
『あのー、新太様』
わたくし、あくまで遠慮がちに声をかけさせて頂きました。
「ん、どしたセバス」
『実はわたくし、以前から思っていたことがございまして』
「うん」
『ちょっとわがままよろしいですか?』
「何だ」
『わたくしのこと、触っていただけませんか?』
「えっ?」
おや、ドン引きされてる? しかし、マスターが寝ていらっしゃる、いましかないと思ったのでございます、わたくしまで引くわけには参りません!
『興味があるのでございますよ、マスターが! 毎夜あんあんと鳴かされるその手腕を! わたくしも一度! 是非堪能! 致したく!』
「お、おい! しー、しーっ! 声がでかい! 分かった、分かったから!」
新太様は、ご自身の膝をぴっちりと合わせ、
「おら来いや」
ぽんぽんと、手で太腿を叩き、合図して下さいました。
キター!
わたくしは嬉々としてその逞しいお肉の上に飛び乗ります。ええ、さすがです堅牢堅固、びくとも致しません。
座ると暖かい。床にも似た固さですが、やはり人の体温を感じられます。ああ、この揺るぎなさ、なんという安心感!
「実はさ、こういう機会があるかもしれないと思って、勉強してきたんだ」
『へっ?』
新太様の大きな手が、頭の方に伸びて参りました。頭のてっぺんから耳のつけ根の部分の範囲が、指でこすこすと擦られます。
もう一方の手は、顎の方へ。顎の下部分も、こすこす、こすこす。
ああっ、喉が鳴ります!!
マスターよりもごつい指なのに、マスターよりも繊細な動き!
『くうぅ、気持ちいいぃぃぃぃ……』
勉強万歳!!
「そっかそっか、良かった、喜んでもらえて。いつも直ばっかり構ってて、申し訳ないなあとは思ってたんだ。セバスには世話になってばっかだし。何かお礼になるものないかな、って考えてたんだ。今度から、こういう時間設けても良いな」
あああ、新太様の声が、頭上から低く、優しく降って参ります。なるほどなるほど。マスターが、新太様の声にも感じると仰っていたの、僅かばかり理解致しました。身体に響く低めの声、たいっへん心地良いです。
『はああああ、ありがとうございます、そうしていただけると、大変嬉しゅうございますう』
ごろごろごろごろ。
喉の鳴りが止まりません。
「こっちはどうだ?」
顎の下で擦っている指はそのままに、耳元で動いていた新太様の手が、わたくしの頭からお尻の方まで、大変良い力加減で撫で通ってゆきます。
『おおおおお素晴らしゅうございます、良い感じでございます!』
「そーかそーか」
すいー、すいー、と何度も何度も撫でられ、気分は上々でございます。しばし堪能、でございます。
『新太様、新太様ー』
「はいはい、何だ?」
ごろごろー、ごろごろー。
『やはりー、わたくし思うのですよー。同じ下僕の身としてはー、仲良くしておきたいではー、ありませんかー。なのでー、こういう時間はー、とっても大事だとー、思うのですよー』
ごろごろー、ごろごろー。
「……なるほど。お前が俺をどう認識してるのかは、いまので大変良く理解できた」
ん? 新太様の声のトーンが落ちましたかね? 手も止められました。見上げると、何故か両手をホールドアップしておられる。
「まあでも、あながち間違ってもないか」
『はい? ……ふおおおおおおおお!』
ぞくぞくぞくっ、と、わたくしの身体の中に、快感が駆け抜けたではありませんか!
新太様、突然尻尾のつけ根をとんとんとん、と指で叩いてこられたのです!
「ほーう、気持ち良いか!」
ととととととと、ととととととと。複数の指先での連続射撃!
『ああああああああん! しっぽのおおおお、つけ根えぇぇぇぇぇ! 至福ぅぅぅ!』
「はっはっはっはっは!」
ばんっ、と寝室の扉が開き、マスターがずんずんと私共のところへ歩いて来られました。
「ちょっとふたりとも、何してんの!?」
「ああ、おはよう直。ちょっとしたスキンシップだよ、なあ、セバス」
『おはようございますマスター、はい、スキンシップでございますよちょっとした』
官能的感覚付きのスキンシップではございますが! ふぉう、身体が余韻で震えております!
「おはよ! スキンシップにしたってセバスうるさい! 新太も!」
「いや、本人めっちゃ喜んでるし、すげえ手触り良い毛並みなもんでついつい」
「……へええ、いままで撫でてもらってたの? セバスチャン」
気のせいでしょうか、マスターのお声が冷とうございます。
『あっ、はい! たいっへん気持ちようございました!』
「へえ、そーなの」
おや、気のせいではないようです。わたくし間違いなく、マスターに睨まれております。
「どうした直、ご機嫌斜め? 別に俺がセバス撫でても良いだろ、減るもんじゃなし」
マスターは突如手で顔を覆い、しばらく考えておられるようでしたが、ようやくぽつりと仰いました。
「……新太が僕に、構う時間が減る」
なんと!
以前あんなにツンツンしていたマスターから出るお言葉とは思えぬデレ発言! そしてわたくし、もしかしなくても嫉妬されてる!? お耳真っ赤ですよマスター!
「ああ、直!」
新太様は、わたくしが膝に乗っていたのもすっかり忘れ、ソファから勢いよく立ち上がり(わたくしはとっさに飛び降りたので無事です)、マスターを抱擁しに行かれました。
「ごめんな、じゃあ今日はお詫びに、一日中ベッドで過ごそうか? セバスにやったのより何百倍も、気持ち良くする」
「ん……あ、ダメダメ! 今日中に買い物に行っておきたいから!」
「あー、そうだった。じゃあ、全部済ませてからな」
「ん、それなら良い」
そしておふたりはそそくさと朝食を召し上がり、慌ただしく出かける準備をされました。
「セバスはお留守番よろしく、じゃあいってきます」
マスターは、こちらを見ずに玄関を出られました。
『……いってらっしゃいませ』
「ごめん中途半端にして。また今度、時間見つけて、な。直の機嫌も、帰って来る頃には良くなってると思うから」
小声で仰って、新太様も行ってしまわれました。
しん、と静まり返る部屋。
おおおお、放置!
絶頂からの転落!
そしてマスターからの理不尽な嫉妬!
堪 える、これは堪えます、辛い!
マスターからあんなに冷たくされるなんて、これまでの使い魔歴を顧みても、かつてないことでございます。
別に良いじゃないですか、ねえ!? おふたりは毎日毎日、いちゃこらいちゃこら、いちゃこらいちゃこら。どこでもここでもあそこでも、暇を見つけては愛し合っておられます!
ほんのひと時だけ、新太様がわたくしをなでなでする時間くらいあっても良いではないですかー!
誰もいない部屋のソファの上。わたくしはおふたりの帰りを待ちながら、座面に尻尾を打ちつけ、気持ちを落ち着かせようとしておりましたが、次第にうつらうつらし始めました。
そのうちがちゃり、と玄関の開く音が聞こえました。
「おーいセバス、ただいまー」
「セバスチャン、ただいま」
おや、マスターの声が明るうございますね? 何か良いことでもあったのでしょうか?
わたくしは少しぼんやりする頭で、玄関へ向かいました。すると、
「にゃー!」
『へっ?』
微笑むマスターの腕の中に、茶色く薄汚れた猫が抱えられていたのです!
『ぎにゃー!!』
「え、どうしたのセバス?」
『だっ、誰ですかその、汚い猫はっ!』
「ああこの子はね……」
『マスターは、マスターはわたしくを、なんだと思っておられるのです!』
ぶるぶる震えが止まりません。酷い、これはあまりにも酷過ぎる!
『わたくしのような雄の三毛猫はっ、きっ、希少種でございますよ!?』
「あ、セバス、希少種の自覚あったんだ」
「いやいや、ふたりともそこかよ! てか勘違いしてないかセバス? こいつさ……」
『もうっ、もういいですこんな家、出てってやるう!』
わたくしはおふたりの足下をすり抜け、まだ開いたままだった玄関から外へ飛び出しました。
走りに走って数十メートル先の道路。わたくしは一旦立ち止まり、フラットの方を振り向きました。
なんと、誰も追いかけてこない。扉が開く気配も全く無し。
ほんとに酷い、あんまりでございます!
このまま遠く、全く知らぬ土地へ行ってひとり、この猫生 のやり直しを……
と、思ってもみたのですがわたくし、生まれた時から基本引きこもりっ子でございまして、はい。たったひとりで外に出て、遠くを出歩くなぞしたこともなく。
立ち止まってキョロキョロと辺りを見回しました。まずいです怖いです。
結局フラットの玄関階段の下までとぼとぼと引き返し、真ん丸に縮こまっておりました。
自分が情けないったら。
「セバスチャン」
きぃ、と控えめな音と共に、マスターが玄関から出てこられました。階段を降り、わたくしの目の前でしゃがみこまれます。
「今朝はごめんね、セバス。僕、低血圧なの知ってるだろ? 頭働いてないところに、ふたりが僕そっちのけで仲良くしてるように見えてさ。ほんとごめん」
『……いえ。わたくしも先程は、考えなしでした。寝起きでぼんやりしていたもので』
ふふふふ、とマスターは笑われました。
「ひとりでお外に出るの、怖かっただろ?」
どうせ出入口からたった数歩が限界ですよ、ええ、怖かったですよ慣れていないもので!
『ええ、ですから考えなしでしたと……』
わたくし、口を噤みました。まだまだ感情的なまま、話してしまいそうです。
「それにセバスは僕の使い魔だから、どこに行ったって探し出せるし、呼び戻すことも可能なのに」
『分かっております、わたくしは愚かでございます! ならば何故っ』
ああ、知るのが怖い、でも、もう止められません!
『何故来てくださったのです、他の猫 に乗り換える準備をされているのに!?』
「ふふふふっ、あははははは」
にゃ、にゃんと!?
『マスター酷い! お笑いになるなんてあんまりです!』
「ごめんごめん、やっぱり誤解してたんだと思って。セバス、ちゃんと説明するから。ほら、おいで」
マスターは両手を伸ばし、私を抱え上げました。
「ん、可愛い子。僕が他の猫に乗り換えるなんて、するわけ無いよ。契約上、そんなこと不可能だし」
鼻の頭に、軽いキス。右腕に前足を乗せ、左腕でお尻と尻尾と後ろ足をホールド。あああ、マスターの抱っこ、久々でございます。甘い匂いと暖かい体温が、伝わってきます。
「落ち着いた?」
『ふぁい……』
「よし、じゃあ行こうか」
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