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Shape of the family 家族の形1
ぽた、ぽたたっ。
顎から滴り落ちた汗が、座禅を組んだ袴の上に当たる音がする。窓から差し込む強い日の光は、クーラーを利かせているはずの道場の中の温度を、否応無く上げていた。
ぽたっ。ぽた、ぽた。
あああ、これが俺のじゃなく、直から染み出した液体なら良いのに舐めるのに吸うのに飲むのに。
いやいや、じゃなくて! 俺は頭を左右に振る。汗がぱたたっ、と飛び散った。
どうしても、直と離れなければならない時間ができてしまうのは理解していた。してはいたが、理解するのと実際にそれを体験するのとでは訳が違う。
雲泥の差。
雲と泥。
天と地。
山と谷。
氷山とクレバス。
日本海溝。
海。海か。あーそういや直と海行ったこと無いな、海パン姿の直とか……いや、けしからんぞそれはけしからん、あの美しい直の裸体をそこらじゅうに晒すとか言語道断、つかむしろ俺がヤバい? 強い日差しを浴びた直の白い肌は赤く染まり汗に濡れ、甘い匂いを強く放って俺の下半身事情は確実にヤバくなるに違いない、そして俺は直を視界に入れた奴ら全員をぶん殴りたくなってきっと暴れる……って、何だそりゃ?
あー、ダメだこれ、心頭滅却してないし全然座禅になってない。煩悩だらけだ。
ふぅー、と口から細く長く息を吐き、組んだ膝を軽く揺する。
合気道の稽古の最中、集中力が無いと斉藤に怒られ、道場の隅っこで座禅を組まされた。十五時からの休憩時間に入っても「お前は動くな」と言われてひとり、道場に居残りだ。
斉藤は子ども達を引き連れて、少し離れた実家の方で休憩中。
俺が座禅組まされたまま放置されてるの見てバカにしてきやがったがきんちょども、明日の稽古見てろよ絶対見てろ、入り身投げでころんころん転がしてやるわと思うがそれはひとまず置いといて。
次の稽古が始まる十七時まで、基本ここには誰も来ない。
俺は何かにつけ騒がしい実家で寝泊まりし、昼間は昼間で律儀に斉藤の家の道場へ出入りしていたので落ち着く時間は無かった。
いざひとりきりで座禅を組んでいると、ぐるぐると思考を巡らせてしまう。つっても、俺の考えることなんて大体決まってるんだけどな。
ああ、直に会いたい。もう三日も会っていない。
いま、俺と直、セバスとましろは揃って日本に一時帰国している。
俺が直とスコットランドで同棲を始めて約一年が経過し、夏休み、つまり次の学年に上がる前の長期休みに入った。俺はスコットランドに来た当初から、この時期に日本に帰るつもりだった。もちろん、直を連れてだ。
「え……ヤダ」
夏休み前の、ある日の夕食後。ダイニングテーブルでハーブティーを飲みながらまったりしている直に帰国の話を持ちかけたら、久々のヤダが発動した。
「どうしてだ? 直、こっちに来てから一度も日本に帰ってないだろ」
「だって僕、カヴンを追放されたんだよ?」
困惑気味に、直が答える。
「あ、あー、そういうことになってたな……」
高校二年の頃の話だ。短くまとめると、俺がちんたらやってたせいで、直が暴走して体育館倉庫をヤり部屋に変え、俺と直がヤりまくって、直と、直の養父の恭一郎さんが戦って直が負けて、処罰を受けた。
その時言い渡された、カヴン『森と結界の守護者』からの追放。
事が事だっただけに、処分は仕方なかったとは思う。
「でもさ、恭一郎さんもカヴンの皆も、直に会いたがってんぞ」
「え、どういうこと?」
直が首を傾げた。
「俺が恭一郎さんと定期的に連絡取ってるのは知ってるだろ? そろそろ里帰りしないのかなって、ずいぶん前から言ってる」
「……えっ?」
右耳をやや俺の方に向ける。ん、聞こえなかったのか?
「だから、里帰り」
「え!?」
直が大きく体を引き、座っている椅子がぎっ、と鳴った。
「そんなに驚くことか? 考えてみろよ。カヴン追放とは言われたけど、日本に帰ってくるな、家に帰ってくるなとは言われて無いだろ」
「……あー、そっか、うん」
直は視線を落とし、考え込む。
「それに処分の話は、建前上仕方なかったんだって、説明したろ。恭一郎さん自身がお前に対して怒ってるとか、全然無いから。もし本当にお前のこと見放してたら、大学にも行かせないしフラットのお金も出してくれてないって。
じゃあさ、俺から恭一郎さんにもう一度、確認してみるか? 恭一郎さんやカヴンの人達が、本当にお前に会いたがってるって分かったら、日本に一時帰国すんの、前向きになれそう?」
「う……ん」
渋々ながらの肯首。
「思うところがあるなら早めに言えよ、俺もできる限りのことするからさ。それに」
俺としては、こっちの方が本題なんだよ。
「俺、そろそろ直のこと、家族にちゃんと紹介したいんだ」
直はがばっ、と顔を上げ、俺を見る。言葉を発さず、ただ、瞳が微かに、左右に動く。
「いつかはしなくちゃならないだろう?
うちさ、ほんとごくふつーのサラリーマン家庭なんだよ。俺の、こっちでの大学進学のお金、捻出すんの結構厳しかったんだけど、俺が働き始めたら返していくってことで、恭一郎さんからまあまあの金額、貸してもらってんだ。このフラットのお金だって俺、一銭も出してないし……ってのも、前に話したよな?」
直は黙ったまま、こくりと頷いた。
「恭一郎さんさ、俺の家族を説得しに、家までわざわざ来てくれたんだ」
何の仕事をしているのか明かされたことはないが、とても忙しい人だということは知ってい
た。なのに、俺が直のいる大学へ進学するための様々なことに、時間を割いてくれた。
「まずは俺ん家で直を紹介して、それから家族と直と、全員で恭一郎さんのところにお礼兼ねて、挨拶に行きたい」
「……」
口を開けて、また閉じる。言葉にできないくらい、ぐるぐる考えているのか、それとも、嫌なのか。
何が嫌? どこがネックだ?
「な、挨拶くらいさせてくれよ」
「で、でも……」
「ん、何だ?」
「もし、もしも新太の家族に反対されたら? だって僕」
直は言葉を切る。かなり逡巡した後、ようやくまた、口を開いた。
「……男だよ」
「え、あー、なるほど、そこか……いや、無い、と思うぞ。恭一郎さんも家に来たくらいだから、多分」
俺にとっては今更過ぎる話に、少し戸惑った。
自分で言うのもなんだが、家族には、俺の本気度はかなり伝わっているはずだ。直がいなくなってから、当麻家でも色々あったし。反対しても無駄だというのは理解してもらえているだろう。
それに確信は持てないが、親の態度から、直については、恭一郎さんから話が合ったのではないかと思われる節があった。
「思うとか、多分じゃダメだよ、もしほんとに反対されたら? 男が相手だなんて普通じゃない、非常識だ、別れろ、って言われたら? そんな奴捨てて、日本に帰って来いって言われたら?」
直はカップを置き、言葉を重ねる。瞳が少し赤みを帯び、潤み始めた。
「その時は俺、直を取るから」
俺は力強く言い切った。
てか、そんな奴って。うちの親を想像してみる。うん、そういうのは全然言わなそうだ。じゃあ逆にどう反応するのか、ってとこまではまだ想像できてないけど。
「僕を取ったら、新太が日本に帰れなくなる、家族に会えなくなるかも。それに、新太にだってまだ、まだ、別の将来が」
「……別?」
驚きで、言葉に詰まりそうになる。
「いや、帰れなくなるこたないし、会えなくなることもないって! 直、そんな極論に走るなよ。それにさ、将来を考えてるから言うんだろ、直と一緒にいる将来だ! 別とかそんなもん絶対無い、死んでも無い!」
「でもっ」
「直は」
喉が渇いて、くっつきそうだ。
「俺とのハンドファスティングを、『約束』を、取り消したいのか?」
直が、目を丸くして、次にくしゃりと顔を歪めた。
「ちが、違うけど、でもっ、でもその、僕とずっと一緒にいたいって気持ち、ほんとに新太の気持ち?」
「……どういう、意味だ」
「それ、恭一郎さんとの、取り引きのせいじゃないの?」
「なっ……!」
頭をがんっ、と鈍器で殴られたような感覚に陥る。何か言わなきゃ。でも、何を?
ああ、このまま考えなしで口開いたら、それこそ思ってもないこと言いそうだ。でも、頭は衝撃で完全に止まってしまった。
空気ごと、唾をごくりと飲み込んだ。頭が熱くなって、視界が滲む。
『何にせよ、私 にとっては初の極東ですわ、楽しみですわね』
ひょいと、ましろが直の膝の上に飛び乗った。
『久々の生まれ故郷です! ましろ、日本はとても良いところですよ、わたくしが案内して差し上げましょう!』
セバスがソファを降り、のっしのっしと歩いてくる。
『あら、引きこもりのお前にそれができるとは思えませんわ』
『はぁっ!』
『大丈夫ですわよ、アラタとナオがいれば』
『わたくしは不要ということですか!?』
『皆で一緒に楽しめますわ、と申しているのですよおバカさん』
『わーん、嬉しいですがおバカと言われました!』
俺はばたばたと暴れるセバスチャンを拾い上げ、直の方へ一歩近寄った。
「……直」
「っ、ごめん、混乱して、ひどいこと言って……」
「うん。わかってる、わかってるから大丈夫。
とにかく、一回帰ろう? こいつらもこう言ってることだし。帰って、やっぱ駄目だって思ったら、すぐこっちに戻ってくればいい。絶対、悪いようにはならないから」
「うん……」
俺はセバスチャンを抱いたまま、直を抱き寄せた。体温の分だけでも、俺の気持ちが直に伝わればいいと思いながら。
それから俺は、大学への正式な入学準備と並行して、日程調整とチケットの手配等をしつつ、直に恭一郎さんやカヴンの情報を少しずつ与え、なだめすかし、どうにか日本に帰る手筈を整えた。
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