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Turning point 転換点1*
「Good afternoon ユズキ、今日もいい天気だね」
午後二時過ぎ。予知予言研究室内に設置された教授室の扉を静かに開けたのは、この部屋の主であるレイモンド・ファーガス教授だ。
書類の分類作業を行っていたわたしは手を止め顔を上げた。
「こんにちは教授。今日は遅めですね。何かありましたか?」
「グリニッジのコレッジで、少々用事を済ませてきた」
教授は、大変聞き取りやすいクイーンズイングリッシュで答えながら、三つ揃いのスーツの上着をコートハンガーに掛けた。
洗練された立ち居振る舞い。七三分けのプラチナブロンドの髪、薄い水色の透き通った瞳が少し冷たく近寄りがたい印象を与える、英国紳士といえばこんな感じ、を体現しているような人だ。
ただ、アングロサクソン人としては低めの身長。わたしにとっては、ちょうど話しやすい距離だ。
少しこけた頬が視界に入る。自然と手が伸びそうになって、気づいて拳を握り締める。
「どうかしたかい、ユズキ? 眉間に皺が寄っている」
「……日本から要請された報告書提出の件で、少し考えていました。何を意図したものかも明記されていませんでしたので、どのように書いたものかと。一応、タイトルは『現在のUKおよび日本国内の術師教育の比較』とされていましたが、思考も脱線気味で」
「ああ、もしかして送り先は、政府内に設置されているという、“術師対策室”?」
わたしはこくりと頷いた。誤魔化す材料としては最適だろう。実際、悩んでいるのだから。
両肩を上げ苦笑すると、教授の手が伸びてきて、当たり前のように、その指の腹でわたしのおでこを優しく撫でてきた。
わたしは赤くならないように平静を装う。動揺していると気づかれたら、すぐに手を引っ込められてしまうだろう。
「君のいつもの脱線癖が発動したのか。面白そうだ、ぜひ聞きたいところだね。
それはさておき、先日届いた書類の中身は報告書だったのか。
日本の魔法界は、UKとはまた違ったしがらみが多いらしいね。特に公的な書面については、魔法に関する直接的な事柄の記載を回避しなくてはならない、だったかな。事実と異なる報告は論外だが、妙な規制が多いと、作成は確かに難しい」
「ええ、加減が難しくて。せめて目的が分かれば」
優しい指先は、次第にわたしの頬まで下りてきた。教授は透き通る青い目で、わたしの目をじっと見つめる。何度見ても、胸が締め付けられる。
「君の負担になっているのであれば、僕から提出の辞退を申し出てみても良い」
「ああ、あの、いえ」
瞬く間に自分の顔が熱くなるのを自覚する。もう止められない。
「あ」
「……ああ、そうだ、ちょうどお茶の時間だね。準備をするので、手伝ってくれるかい? 焼きたてのスコーンを買って来た」
静かに離れ、踵を返す教授の背中をわたしは思わず追いかけようとした。
次の瞬間。
リィィィィィイン。
聞き覚えのない、鈴の音 。
同時に、太陽が登る前の夜空に似た、藍色の薄暗がりに支配された空間に放り出される。
「これ、先視 ?」
わたしが体験する通常の先視は、ほんの一瞬、もしくは十数秒の間、イメージとして未来を視るものだ。
自分自身が、未来視の中に入り込むことなど、有り得ない。
足元も定まらない見知らぬ空間に対し、わたしは不思議と怖さを感じなかった。
逆に、それが不安を煽る。先視の力に、誰かが介入している可能性があるからだ。もの凄く力の強い、何かが。
『その魂その肉体
別たれたものの
もとはひとつなり』
高くもなく低くもなく、ただひたすら美しい、声が聞こえた。
誰、どこから?
頭を巡らせる。何も無い……いや、遠いけれど、正面の奥に視えてきた。
ブレザー姿の高校生が廊下と思しき場所に集まっている。わたしは目を凝らした。
何、どれ。誰をわたしに視せたいの?
段々と景色が近づき、わたしはいつの間にか生徒達の中に立っていた。何故だか、どの子も色褪せて現実味が無い。
しかも動いている。これは、映像?
いつもとは全く異なる状況に困惑しつつ、更に辺りを見回していると、色づき、はっきりとした姿で見つめ合うふたりの男子生徒がいた。
リィィィィィイン。
鈴の音が、景色を反転させる。
わたしにとってお馴染みとなった光景。
数か月前から、各地の予言予知研究室がこぞって上げてくる少し遠い未来、ロンドンで起こるはずの事件の未来視。
その現場にわたしは立っていた。
鼓動が速くなる。
映像というだけでも有り得ないのに。まさか未来視のただ中にいて、音や臭いまで感じ取れるなんて。
辺りには硝煙が立ち昇り、瓦礫が至る所に山積する。多くの人々が倒れ臥している。あちこちから叫び声、泣き声が聞こえる。何かが焦げる臭い、火薬の臭い、金臭い臭い。饐えた臭いも漂ってくる。他にも嗅ぎ慣れない臭いが交じり合って、吐き気を催す。
『その魂その肉体
引き離されたものの
もとはふたつでひとつなり』
また、先刻の声が響く。
わたしを取り巻く景色は途端に色褪せ、すぐに、先ほどのふたりを見つけることができた。
二十代、だろうか。
先ほどの映像が近い未来を映し出したものなのであれば、これまでの調査の結果と照らし合わせても辻褄が合う。
ひとりは跪き、倒れたもうひとりの頭を掻き抱いて大声で泣いている。
わたしは状況を確認するため彼らに近づこうとして、動けないことに気づく。
自分の足が無かった。肉体が、この映像の中についてきていない。変な感じ。わたしはいま、霊体みたいなものなのだろうか?
夢の中と現実の身体感覚を繋ぐ方法を思い浮かべる。
わたしは全身の感覚を研ぎ澄ませ、自分の足があ る こ と を 自 覚 し、一歩、実際に歩 く つ も り で踏み出す。
よし、上手くいった。想像した以上の結果。
わたしはたった一歩で、彼らに近寄ることに成功した。そして、自分の行動をすぐさま後悔した。
倒れた方の胴体部分は、手の施しようがないほど、ぐちゃぐちゃの状態だった。あちこちから、肉片や血が溢れている。
「いま、さら。どうして、も、会いたく、なって……来ちゃったんだけど、さ」
ぼこぼこと、水音の混じる声。げほっ、と咳き込むと、その口から一気に血が溢れた。
「あの頃、もっと……話しとけば、良かった。男、同士だしって、思って。自分の気持ちにも、気づかないで。
俺……馬鹿だよな、ほんと」
「ヤダっ、こんなの、当麻っ!」
「っ、俺、すっげー遠回り、したけどっ、やっぱ、周央の、こと……」
大量の血で赤黒く染まった地面の上に、トウマ、と呼ばれた男性の腕が力なく落ちた。瞳から、生気が消えていく。
「待って、待ってよ当麻、当麻っ!」
「ヤダ、こんなのヤダ!」
スオウ、と呼ばれた男性は、胸ポケットからハンカチを取り出した。傷口を抑えるには少々大きさが足りない、と思ったら、魔法陣が描かれた布だった。
彼らの周りが、白く淡く光り始める。
『来たれ来たれ、癒しの女神
我は求めん、還りゆくものを留める力を
三羽の鳥をっ
……め、がみっ』
光はトウマの身体からすり抜け、四散する。駄目だ、流出の方が大きい。いやむしろ、もう。
「女神よ! 僕を差し出します、僕の全てを差し出しますから! っお願い、お願いします!」
「いかないで、当麻、当麻!」
「こんなっ、こんなの、イヤだ……誰か、誰か当麻を、助けてえっ!!」
痛い、痛い、痛い。
胸が、全身が彼の叫び声で、痛い。
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