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Walpurgisnacht ワルプルギスの夜1
開け放たれた扉の向こうから、声が聞こえてくる。
「お前は本当に、スーツが似合うねえ。ただ、どうにも007に見えてくるのは、無駄に筋肉がついているからかねえ?」
「無駄って! そういや直は、俺がスーツ姿でサングラス掛けたら、その格好して追いかけてくる番組の人に見えそうで怖い、って言ってたな」
「ふむ、その番組は、知らないねえ」
「ああそうかごめん、日本のだ」
「まあとにかく、お前が着ると、スーツが戦闘服のように見える、と考えているのは伝わってきたよ」
「安心してくれダイアナ、追うなら直だけだから」
新太が、無駄に格好良い声で高らかに宣言する。ふん、また馬鹿なことを、とダイアナが鼻で笑った。
「しっかし、やっぱ直は何着ても美しいよなあ。姿勢が良いからか? 可愛い綺麗……」
「お前は本当に、ぶれないねえ」
休日の昼下がり。グラント家のリビングで、新太とダイアナがソファで寛いでいるのを、僕は扉の陰からなんとなく、こっそりと覗く。
新太は、写真らしきものを手に持ち、じーっと眺めている。
どうやら先週――四月初めのことだ――エディンバラの役所で行われた、カヴン『森の守り手』メンバーであるリーナス・マクファーソンとセシル・マクファーソンの婚姻の届出と、その後行われた結婚パーティーの時の写真の様だ。
僕は、壁に背中を預け、左手の薬指にはめた銀色の指輪を弄る。新太と繋がっていることが実感でき、かつ対外的にもパートナーがいることを明示出来る、ペアリングだ。
昨年の夏休みの話だから、もう半年以上前のことになる。
当麻家のみんなと一緒に、恭一郎さんの待つ周央家へ、二度目となる挨拶に行った。
結婚させてください、こちらこそよろしくお願いします、という流れから、新太が突然、「俺を周央家の養子にしてください」って言い出した時にはびっくりした。
僕と恭一郎さんだけが知らなかったらしい、当麻家のみんなは、終始にこにこしていた。
当麻家での会話から考えても、僕が養子に入るのだと思っていた。
どうして、と新太に尋ねたら、「恭一郎さんをひとりにしたくない」と返された。
そこで、恭一郎さんは泣いてしまった。
しかも直後に、新太のお父さんが「新太の嫁入り道具だ」と言って、テーブルの上に結婚指輪 を箱ごと並べたので、みんなで大笑いしちゃって、僕は笑いながら大泣きしてしまった。本当に嬉しくて、ありがたかった。
同日、近くの役所へ養子縁組の届け出を行い、指輪交換をした。
新太は『周央新太』となり、戸籍上は僕の兄となった。
「すおう、あらた」
口に出すとこそばゆくて、嬉しくて、舞い上がってしまう。いますぐ新太とひとつになりたい衝動に襲われて、どうしようもなくなる。なのでそういう時には指輪を弄りキスをして、気持ちを宥める。
ああ、でも良かったなあ。
リーナスとセシルの結婚パーティーを思い出す。リーナスの家の広い庭で大勢を呼び、皆の前でハンドファスティングをして。賑やかな音楽、おしゃべり、飲み食い。とても楽しい時間だった。
羨ましいなと思った。僕らはまだ学生だし、自分達で稼いでいるわけでもないので、すぐには出来無いけれど。
僕らがパートナーになったことを皆から祝福されて、集まった皆が、楽しく幸せな時を過ごせるような、そんなパーティーをいつか開きたいと、夢見てしまった。
「やー、署名するメンバーに入ってくれ、ってセシルさんに頼まれた時、どういうことになるのかさっぱり見当つかないまま引き受けたんだよな。日本の役所に出したのと同じ感覚で行ったら、まさか届け出と一緒に、市役所 内でちゃんと式が行われるとはね! カルチャーショックだよ。
俺達が日本で届け出した時だって、家族全員で行ったけど、皆で記念写真撮るだけだったし。日本の役所には教会がくっついてねえから」
「あれほどわたしらがあんなにスーツで来いと念押ししてたのに、分かってる大丈夫、と繰り返していたのは、お前達だねえ」
「はい」
「不安に思って前日電話しておいて良かったよ」
僕らは、いつも通りの服装で行くつもりだった。
「反省してます」
新太は悪くない。僕が卒業試験の準備で忙しくなり、時間に余裕が無かったせいだ。試験の合格発表も、つい数週間前のことだったし。
「結婚パーティーのこともすっかり頭から抜けてただろう?」
「ああ、マジでありがとう、ダイアナ」
良かった。ほんとに良かった。人様の結婚パーティーに本気の普段着で行くなんて、辛いにもほどがある。
「しつこくスーツを推して、良かったろう?」
「確かに。直のスーツ姿なんてあんまり見られないからな! 惚れ直した」
「写真だってちゃんと撮ってやったしねえ?」
「もー、マジで感謝してますって」
ぎし、と椅子から立ち上がる音が聞こえて、思わず、だだっ、とリビングの中に入ってしまった。
何してるの!? と言いたいところを、ぐっと堪える。
「直!」
新太が、ソファに腰掛けたダイアナをハグした状態でこちらを振り向いた。ダイアナは、にやりとこちらへ笑いかける。
「おや、ナオ。もうグラスポリーの軟膏は作り終わったのかい?」
「……終わった」
自分史上最高速度で終わらせてきた。こっちが断然、気になったからだ。
「ふん。ハグではなく、マンジュウを所望するつもりだったんだがねえ」
ダイアナは、身体を離した新太と目を合わせ苦笑した。
ええ、何で笑うの? 僕、ちゃんと我慢したよね?
「ほら直、こっちへおいで」
新太が、たしたし、と自分の腰掛けているソファの隣部分を叩く。
ああ、ここがフラットなら、膝と膝の間に座らせてくれるのに。
近寄ると、新太が左手を差し伸べてくれた。薬指に、僕と同じ銀色のペアリングが光る。その光に少しだけ、心が落ち着く。
引っ張られ、新太の隣に手を繋いだまま座った。
「……直?」
僕は無言のまま、新太の唇をじっと眺めていた。
それを、ふたりから逆に眺められていることに、しばらく気づかなかった。はっとして、顔を上げると、ふたりがまた目配せし合う。
「何、何なのふたりとも」
「ほっほっほ、困ったもんだねえ! ナオは」
「はっはっはっはっは! でもこれが、すげー可愛いんだって! 分かるだろ、ダイアナ?」
「可愛い、というのは否定しないよ。あからさまに態度に出すのも大変だが、これはこれで大変だ」
「えー?」
ふたりが僕のことで笑っているのは分かる。隠したつもりだったけれど、もしかしなくても、妬いてたのバレてる?
新太が空いている手で、僕の頭を優しく撫でてくれた。
ダイアナは、僕らを交互に眺める。
「ナオ、お前は本当に、無駄な事に時間を割くねえ」
「無駄な時間って?」
「お前がやきもちを妬く時間さね。はたから見れば、全くの無駄としか思えん。もっとアラタを信じておやり」
やっぱバレてた。顔が、火が出るくらいの勢いで熱くなる。
ははははは、と笑って、新太が僕の唇に、軽くキスをした。
ダイアナの目の前なのに!
逃げ出したくなるくらい恥ずかしかったので、新太の横っ腹に、軽くパンチをお見舞いした。
ダイアナと新太。ふたりは仲が良い。
新太のコントロールの件で、仮の師弟関係を結んでからは特に、その傾向が強くなった。
コントロールというのは、使い魔であるましろとの、精神共有に関すること。
新太は魔女としての立場を確立――カヴンに入り、イニシエーション、つまり通過儀礼を行い正式なメンバーになること――しないまま、ましろという使い魔を得た。何の指導も受けずに過ごしていたのだけれど、やはり、支障が出始めた。
弊害が顕著になったのは、昨年の夏休み、日本で過ごしていた時だ。ましろの熱烈な要望を受け、僕と新太は、日本から戻ってきて、すぐさまグラント家へ赴いた。
「マスターと使い魔は、生命と精神を共有する。共有とは言うものの、マスターの方が優位だねえ。
使い魔は、マスターの命令を遵守する。稀に命令を拒否できる者もいるが、これはマスターの力が衰えている場合か、使い魔の力がマスターの力を圧倒的に凌いでいる場合だ。
基本、悪いことと理解していても、使い魔はマスターの命令に従わざるを得ない。善悪の判断はマスター次第。気をつけてやるんだよ。
さて、生命の件だが。マスターと使い魔は同じ時間を過ごし、マスターが死ねば使い魔も死ぬ、逆は無い。使い魔が死んでも、マスターは死なない。
マシロは、確か九つの命を持つ猫だったねえ」
『いま、五つ目です』
「ふむ、なるほど。あと残り四つもあるのかい、凄いねえ。
とにかく、使い魔としての契約の方が、残り四つを上回るよ。それほど強い契約だ。お前が死ねばマシロも死ぬんだからね、心しなさい。
それから精神の件だ。使い魔との間には、契約後、意思疎通のパイプのようなものができる。それがいま、一番のネックになっているのだろう?」
『そうですの。ナオが美しいのでまだよろしいのですけれど、何が悲しくて他人の痴態を四六時中観せられてしかも現実には有り得ないものまで』
「え、ちょっと待ってどんなの」
『ぬるぬるびちゃびちゃの、あれは何と申しますのでしょう、クラーケンの足のような、しょく、しゅ?』
「はいはいストーップ、ストップしようか、ましろー」
「新太……」
「ほっほっほ、それは困ったねえ」
「そんなわけでダイアナ、俺、魔女になる気は無いし、妄想うんぬんは正直俺としてはましろに観られても構わないんだが」
『アラタ! この続き全てナオに喋ってしまってもよろしゅうございますのよ!?』
「あー、ましろの為にも俺の為にも、コントロールの方法を教えて下さいお願いします」
『私 からもお願いしますわ、本当に困っておりますの』
こうして毎週末の午後、ダイアナを指導者としたコントロールの修行が始まった。
しかし。
何でもすぐ器用にマスターしてしまう新太にしては、かなり時間がかかっている。
新太の後に鷹の使い魔を得たスーザンは、一ヶ月かそこらでやり方を覚えた。スーは確かに、例外的に早いとは思う。それにしたって、一年以上経っても習得できないのは、長過ぎだ。
「ねえ、そういえばコントロールの修行って、まだ終わってないの?」
「いや、もう結構良いとこまで……え、来てるよな、来てるよなダイアナ?」
「そうさねえ」
ダイアナが肩を竦める。これは、まだまだってことだろうか?
「どうしてこんなに手こずってるの、新太? 他のことなら何でも、すぐに出来ちゃうのに」
新太は苦笑いを返すだけ。答えたのはダイアナだった。
「許しておやり、ナオ。そもそもこの子には魔法を使おう、って気概が無い。共に戦えるパートナーを得ることには積極的でも、その後魔法を使うためのアフターケアって概念が皆無だ」
僕も苦笑いしてしまった。いや、戦うって誰とだよ。
サーヴァントに聖杯戦争、ってとこだろうか。発想とノリが、高校の時から変わってない。
「残念ながら、アラタはイニシエーションを経ていないから、わたしとの師弟関係は仮でしか結べない。
それにわたしは“魔女が使い魔をコントロールする”方法しか知らないんだよ。アラタに合った方法が分からない。恐らく一番の原因は、そこなのだろうねえ。
この子の真の師匠になり得る存在は、少なくともこの辺りでは見かけないからね」
『もう、いないと思いますわ』
ましろが、ソファに飛び乗りダイアナの横へ。前足をとん、とダイアナの太腿に載せた。
『私、何十年、何百年も、このブリテン島を旅しておりましたが、彼らにお目にかかることはもう、ございませんでしたもの』
「ああそうだった、お前はずっと、旅をしていたんだったねえ。大変だったろう、ずいぶんと長い旅だ。終わりの見えない、長い旅」
『ええ。ですからどういった結末になろうとも、私は後悔しないでしょう。おふたりに出会えて、終わりを自ら選択出来て、本当に良かったと思っておりますのよ』
「そうかい、そうかい。それは良かったねえ」
ダイアナは、大切に、慈しむように、ましろの頭から背中を何度も撫でる。
今度は、僕と新太が目を見合わせる番になった。
ダイアナとましろは、一体何の話をしているのだろう。
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