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Walpurgisnacht ワルプルギスの夜9

 ダイアナと新太と、あのスーツ姿の学者っぽい人達が話し始めて、もうかれこれ三十分が経とうとしていた。  やっぱり気づいた時にすぐ、挨拶に行けば良かった。彼らは何者なのか、とても気になる。  新太の笑顔が、徐々に真剣な表情になっていったのが引っかかった。いまもそのままだ。一体何を話しているのだろう。  バイオリンの音が響き、そこかしこでダンスが始まる。まるでパブにいるみたいだ。会場の中は、喧騒を極めていた。  僕はちょっとずつ、舐めるようにウイスキーを飲む。口に含む度、かっ、と熱さが拡がる。  ううう、僕にはまだ、ウイスキーの美味しさが分からないかも。  気がつくと、数個の光が僕の周りを漂っていた。 「お前達、新太を連れて来てくれて、ありがと」 『いつも面白いものと、美味しいお菓子をありがとうと言っておりますな。今回の件はお礼だ、と』  足元から、猫姿のセバスが僕に告げる。いつものお礼。そっか、じゃあやっぱり、新太が凄いってことだ。 「アラタとナオってさー、光る妖精にすっごく好かれてるよね。よく周りに集まってきてる」 「え、ああ、うん」  僕は、掛けられたスーの言葉に喜んでいいのか悪いのか、分からずに下を向いた。彼らに関する昔話は、あまり良いものではないからだ。  かつてふたつに分かれていたニムブルメン、光る妖精族の王子達は、メリー・メイド、光る妖精族の美しい王女を巡り、凄惨な争いを起こした。その惨状は、いまでも残る、“血の石”に見ることができるという。 「なーお。不安と予兆は別モンだぜ。考え過ぎんな」  どうやら僕の考えに気づいたらしい佐倉さんが、肩を軽く小突いてきた。 「そう、ですね……」  そうだよね、何でもかんでも、予兆と考えるのは良くない。 「いやいや、しかしやっぱ面白いな、あいつ!」 「え、サクラ、まだ何かネタ持ってるの?」 「あるぜ、とっておきのやつがな!」  僕は新太の方に視線を送ってしまって、それに気づいた佐倉さんがまた、新太について語り始めた。  ごめん、新太! 「一番何が面白かったかって、あれ、いつからだったろうなあ。あ、そうそう、お前達があの儀式した後だよ!」  佐倉さんの顔がにやけている。これはきっと、新太がめちゃくちゃ隠したそうなネタをぶち込もうとしてるな。 「あの後も新太、お前のとこに引っ越すまでずっと俺たちのとこに通ってたんだが、あれ以来、自分で詠いをするようになってさ」 「じゃああの儀式の時って、やっぱりまだ」  確かに新太は、形の真似事をしてるだけだと言っていた。 「そそ、詠いはしたことなかった。セッティングとか、技術的なことは率先して手伝って身につけようとしてたが、詠いは頑なに拒否ってたんだよ。  確か、『俺には女神とか男神とか、理解できないんで』つってさ。それが」  佐倉さんがくっ、と笑う。 「儀式から帰ってきて、次の週だったか、その次だったか。あいつ、躊躇なく詠いをするようになったんだ。しかも!  “女神”って言わなきゃいけないところ、全部お前の名前で言ってくるもんだからこりゃもう相当お前にイかれてるなってさ! お前あの時、一体ナニしたんだよー!?」  佐倉さんは爆笑しながら僕の肩を叩く。  僕は固まってしまった。え、佐倉さん、何を話しているんだろう? 「いやいやどうしてそこが“直”になるんだよ、ってみんなで突っ込んだらさ、クッソ真面目な顔で、『直は俺の女神ですが』って返してきやがって! 超笑えたんだって!」 「僕が、女神……?」  どんっ、と胸が大きく鳴った。 「そーなんだよ! まー、ただなあ、だんだん、回を重ねるごとに面白さじゃなく哀れみの方が強くなってきてなあ。  お前らあの儀式の後、結構長いこと会えなかったもんな。ほんっとお前、よく結婚してやったよ。あいつも浮かばれる」  わざとらしく泣き真似をする佐倉さんに、新太はまだ死んでませんよ、と突っ込もうとしたけれど、口が動かない。 「えー? でもそれ、ウチでも偶に言うよ、ナオのこと“俺の女神”って。むしろ“女神”って単語しか出てこない時もあるからマジ混乱すんの。  ナオ、聞いたことない? あれ、あたしただのイタい人だって思ってた」 「いやいやいやいや、マジだから本気だから! 落としたい相手にさ、女神とかいうやついるだろお、キザな野郎がさあ。あいつのは違うんだぜ、ガチで言ってんだって!  直、新太が家族に精神病院だがどっかに連れてかれそうになったって話、聞いたろ? あれも恭一郎さんが止めたから実現しなかったが、俺達カヴンの間ですら、いっぺん診てもらったが良いんじゃねえかって話になってさあ」 「あー、あたし分かった!!」  スーが声を上げる。 「あのねサクラ、前におばあちゃんが言ってたんだ。『ある意味、アラタはどんな魔女よりも、魔女たる素質を持ってる』って! その意味がやっと分かった!  つまりね、アラタには常に女神が側についてて、アラタはその女神をくっっっっそ、愛しまくってて、だからその存在を心の奥底から信じられてて……うわあ、言葉にすると何が何やらだわ、だって、通過儀礼(イニシエーション)もやらずに、確実に魔法発動できるレベルでしょ? やっぱあの人、おかしくない?」 「だよなあやっぱやべえよなあ、ってどした直、顔真っ赤じゃね? おいおいふらふらじゃねえかそんなに飲んだのか! 美味えもんな本場のウィスキー」  違う、と声に出そうとしたが、やっぱり口が動かない。  僕が、女神? 何で、一体どうしたらそんな、恐れ多いことに!  ずっと、僕の方が断然、新太のことを愛していると思っていた。  高校の時から、すっごく優しくて男前で何でも出来て、こんな僕でも受け入れてくれる度量のでかい奴。格好良いのにど変態で、でもそんなとこも素敵で格好良くて。  たくさんの大切なものと、愛を与えてくれる。たくさんの人達と、縁を繋いでくれる。  大好きだ。大切だ。とっても、愛している。  だから新太が色んなこと――例えば人前でキスをするとか、人に見つかりそうなところでエッチしちゃうとか、エッチの時いっぱい泣かされちゃうとか、良いところをすぐ攻めてきて立なくされちゃうとか、あ、あれ、エッチなことばっかりだな?――をしてきても、どうにか受け入れられた。  だって僕の方が、ずっと、ずーっと新太のこと、愛してるんだから。新太が求めていることなんて、受け入れられて、当然だよね?  しかも、最初に求めたのって、僕じゃないか。ほら、僕の方が断然、新太のこと……  でも、新太が僕に向けているのは、魔女の魔法を発動できるくらいの、 『アラタは恐らく、どの魔女達よりも強固で揺るぎない愛と信仰心を、“女神”に対して抱いているんだよ』  愛と、信仰心。女神に対して。強固で、揺るぎない。 『お前は本当に、自覚が無いのかい?』  自覚。ははは、自分が女神だっていう自覚? いやいやそんなバカな、ダイアナ!  僕が、女神! 愛と、何だって? 信仰心!?  とんでもなくデカすぎる、規模間違ってるよ! 何で、何がどうしてそうなったんだ!?  というか、さっき僕があの広間で愛の詠いを詠った時、新太の口が、もしかして、もしかしなくても、“俺の女神”って動いてた?  ああ、頭がぐるぐるしてきた。心臓が飛び出しそうなくらい動悸が激しくなって、立っていられない。  僕は、近くのテーブルにグラスを置き、両手を突いてしまった。 「あー、こりゃダメだ。おーい、新太ぁ! お前の奥さん酔っぱらって倒れそうだ、どうにかしろ!」 「よ、酔って、なんか」  呂律が回らない。声も小さくて喧騒に紛れてしまい、佐倉さんもスーも、全然聞いてくれない。  え、どうしよう、新太が来ちゃう。 「直、直、大丈夫か? ウイスキーの度数が強かった?」  え、もう来た!? 行動早過ぎ。  顔を上げると、新太が僕の目を覗き込んでくる。  ……ああ、どうしよう、ヤバい、本気だ。新太の瞳の中に見える光。込められているものの大きさに、めまいがする。  新太が、ましろを使い魔にした時のことを思い出す。あの時確かに新太は、僕を見つめながら詠っていた。『女神、俺の女神』って。  え、あれって僕? ほんとに僕に許可を得ようとしてたってこと?  僕に詠ってくれてるように見えてただけだと思ってたけどそっか、本気で僕に詠ってくれてたのか、わぁ……っていやいや、うっとりするとこじゃない!  だって、だってあんなに情熱的で、あんな目で。  愛と、信頼と確信の光。そして、恋して、乞うて、欲情する光。相反するようで、両立している、とても愛しい、光。  思い返せば、確かにあった。この光は、ずっと前から、確かに新太の中にあったんだ。  これを目の前にして、僕の方が愛しているだなんて、とんでもない勘違いだ。  自分で考えてもおかしいと思うけれど、込められた想いが異次元過ぎる。  こんな視線、よく平気で受け止めてこられたな、僕!? 「直?」  更に新太が顔を寄せる。ああ、ぞくぞくする。  身体中から切ない感じが湧き出して、力がすとんと、抜けてしまった。  倒れる前に、新太が抱き留めてくれる。 「あ……」  新太の顔が、目がもっと近くに。ああ、ダメだ、呑み込まれる。  ひとつになりたい。すごく、いますぐ。重なり合っていないことが、もうこれ以上耐えられない。  涙が溢れた。  新太はふい、と視線を外した。 「……そんな目で俺を見るな、直」  新太が僕の耳に口を寄せ、小声で、苦しそうに言う。 「え?」  僕は、反射的に新太の目を探す。新太の視線が、僕を捉えた。 「ここでいますぐ、犯したくなる」  僕は、胸が、全身がぎゅっと締めつけられるような感覚に陥る。  そして下半身に、はっきりとした疼きが起り、小刻みに震えてしまう。 「あっ、新太、僕、もう……」  勃っちゃった。  身体を捩って隠そうとしたが、無理だった。完全に、僕の大きくなったものが新太の視界に入った。  身体中が沸騰しそうな程の恥ずかしさと、それを上回る愛しさと新太をすぐに欲しいという感情がごっちゃになって押し寄せてきて、辛い。  察した新太は僕を抱き締め、優しく口づけた。 「……帰ろう、俺達の家に」  新太は僕の背中と膝裏に腕を回し、抱えて立ち上がった。 「頼めるか? ニムブルメン、メリー・メイド」  たくさんの七色の光が、あっという間に新太の前に集まり、アーチを作る。  新太は僕を抱えたまま、光が誘う方向へ、真っ直ぐに歩いて行く。  興奮で、声が上ずり掠れる。 「ね、新太。僕が女神って? どうしてそういうことになったの?」 「直が詠ってくれただろ、“わたしは女神を詠うもの”、って。あの、ハンドファスティングをした魔法陣の中で、俺にとっての女神は、直だって気づいたんだ」 「そ、れはっ、ただ詠いの、言葉であって」  僕はもう、訳が分からず、涙が止まらない。とうとうしゃくり上げしか出来なくなった僕に、新太はゆっくりと語りかけてきた。 「直にとってはただの言葉でも、俺にとっては運命だった」 「ごめんな、びっくりさせたよな。でも、これだけはもうどうしようもない、どうしたって、変えようがないんだ、許してくれ」 「直、愛してる。俺の、俺だけの女神」

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