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What I will become 何になる?5

 仕事が終わって帰宅した平日の夜。ひとりで過ごしていた時間が、いままで絶対にあったはずなのだ。新太と一緒に暮らす前の、ひとりの日々が。  どう過ごしていたのかもう全く、全っ然思い出せない。時間の経過がとても遅く感じる。  ご飯を食べてシャワーを浴びて本を読んで、集中できないからソファに体育座りでもんもんとして、寝転がってじたばたして。立ち上がってうろうろしても、時間は進まない。  いつもの様に専用のクッションの上でうとうとしているセバスチャンを眺めていると、あーっ、と声が出てしまう。 『……何です、マスター。そんなに手持ち無沙汰ならば、カードゲームでも致しますか?』 「えー、ヤダ。セバス激弱じゃん、すぐ顔に出るし。ふたりじゃ面白くない」 『ふん! ではわたくしのように、寝てお待ちになってはいかがです!? 寝てしまえば時間はあっという間に……ふあーあぁ、過ぎますよぉ』  僕の発言に鼻を鳴らして返したセバスは、欠伸と共に目を閉じた。  でもなあ。起きて待っていたいんだよな。  僕は再び本を手に取り、字面だけを目でなぞるという、非生産的な作業を行う。内容はもちろん、一片たりとも頭に入ってこない。  二十一時を過ぎたあたりで、どうしても我慢できなくなり、ノートパソコンを開く。  ネット電話で、ひばりさんの名前をクリックする。  ものは試しだ。日本は早朝だし、きっと、ひばりさんはまだ寝ているはず。 「わー、おはよ、直君! どしたの?」  たったのワンコール。エプロン姿で手を振るひばりさんが映し出されて、ちょっとびっくりした。 「わ、ひばりさん、おはよ! あれ、そっちまだ朝早いよね?」 「ふふふ、末田先生のお弁当作るのに、ネットでレシピ検索してたの」 「そういえばもう同棲始めたって、この前言ってたね! ごめん忙しいよね、電話、切るよ」 「良いよ、お話ししたいことあったんでしょ、聞くよ? てか、いま当麻く、じゃなかった、新太君は不在?」  新太が周央家に養子に入って以来、ひばりさんは僕らを下の名前で呼ぼうとしてくれる。僕の名前はすぐに言い慣れてくれたのだけれど、新太の名前はまだ難しいらしい。新太は新太で、ひばりさんのことを未だに「委員長」呼びするのでおあいこだろう。 「うん。今日は大学終わってそのまま出かけてる。ロンドンにある大学の、研究員の人達に会うんだって」  べルテインに参加していた、学者然としていた人達のことだ。  彼らは魔女ではなく、魔術師なのだという。サバトの会場に魔女以外の魔法使いがいたという事実には驚いたけれど、どうやら大学所属の古書研究に関わる人達ということで、特別にベルテインに入ることを許可されていたらしい。  いろんな話が聞けるっぽいから参考に、と新太は言っていた。  新太は、以前から魔法使い、特に魔女の歴史に興味があるようだった。グラント家にはまあまあの規模の書庫があって、屋敷を訪れる度、本を何冊か借りては返す、を繰り返している。新太がリビングで読んでいるのは大抵、その書庫から借りてきた本だ。なので、きっとその関連で会うのだろう。 「僕もついて行きたかったんだけど、何となく、彼らに会いたくなくて」  僕は彼らの醸し出す雰囲気が苦手だった。  べルテインの際、遠くから見ていないで自分から挨拶に行ってもよかったのに、僕は彼らの存在に気づいても、新太が彼らと話している最中も、彼らを眺めるに留めていた。  自分の行動を振り返ってようやく、僕自身が彼らに近づきたくないと思ったから、挨拶に行かなかったのだと気づいた。何故、と聞かれても説明は出来ない。ただ、何となくなのだ。 「ふうん、なるほどね。まあ、そういう勘みたいなものは大事だと思うよ。その場で理由に気づけなくても、必ずそう感じた原因が後で分かるから、って。おばあちゃんが」 「ツルさんが? ……そっか」  実は日本に帰国中、ひばりさんの家に遊びに行った時、ひばりさんのおばあちゃん、青野ツルさんゆかりの品を見せてもらっていた。高校の時、ひばりさんが歌ってくれたおまじないの歌に、魔力が秘められているように感じていたからだ。  そして予想していた通り、魔力の残滓を数多く見つけた。  彼女は魔女、もしくはそれに近い魔法使いだったのではないかと考えた僕は、スコットランドに戻って、ダイアナに報告した。  その後何度か帰国した時に調べたものの、結局、ツルさんが一体どんな魔法使いだったのかは判明しなかった。  書き残されたものは詩が数編のみ。ツルさんは自分のことを誰にも話さないまま亡くなったらしく、事情を知る人を見つけられなかった。自覚が無かったのか、もしくは、自己流の魔法使いだった可能性もある。  指導者がいないと、小さい頃の僕のように暴走することが多いらしい。けれど、ツルさんは魔力を完璧にコントロールしているように見受けられた。  やはりどこかに所属していたのか、それとも自身の中に、魔力をコントロールできるほど強固に、信じられる何かがあったのか。 「特に、直君は魔女でしょう? やっぱり、未来視とか勘みたいなものって、普通の人より強いんじゃないの?」 「いや、僕の場合は、そっち方面はさっぱりなんだよね……ていうか、ひばりさん、ほんと普通に、魔女とか魔法の話するねえ」 「えー、だって、魔女の魔法のこと話してもらって、高校の時のこともいままでのことも全部、腑に落ちたんだもん。  それに、直君と話をするなら魔法の話も出ちゃうよ、だって、直君は魔女なんだから。  お洗濯物干すかどうか気にしてる人と話したら、お天気の話だってするでしょ、それと一緒じゃない?」 「ん……そっか、ありがと」  ひばりさんは、にっこりと笑いかけてくれた。  僕が新太との件で混乱し始めた時、ダイアナは僕に問うた。「お前が、アラタとの睦言レベルまでを気兼ねなく洗いざらい話せる人は誰だ?」と。  ひばりさんしか思い浮かばず、正直に彼女の名を告げたら、ダイアナは次の集会で、僕がひばりさんに魔女の魔法について明かしていいかどうかを議題として取り上げた。幸い、満場一致で賛成してもらえた。  ひばりさん本人は魔法使いでも魔女でもないけれど、魔法使いに縁のある女性だということ。そして何より、僕の症状を落ち着かせてくれるであろう存在だということで、受け入れられたのだ。  もちろん、ダイアナの演説が巧みだったのはいうまでもなく、掟の戒めが緩むくらいには僕がちょっと、いやかなり様子がおかしくて、それをみんなが心配してくれていたということだ。  そういうわけで、いまやひばりさんは、魔女の魔法を含め、僕の全てを包み隠さず話せる相手となった。 「で、新太君の方は、学者さん達に違和感とか感じて無いんだ?」 「うん、新太自身は平気そうだったんだ。だから、引き留める理由も無くて」 「ま、新太君なら大丈夫でしょ。どう転んでも無事そうだし」  ひばりさん、たまにこんな風に、新太に絶対的な信頼のようなものを見せる。  ちょっと妬けるな、と新太に伝えたところ、あれは乱暴に扱っても壊れない物と同等の扱いをしてるだけで妬く妬かないの問題では決して無い、と返されたのを思い出した。 「まあ、それは置いといて。どう、最近。身体の方は?」 「ううう……それがね、前よりはまだましになったような気もするのだけど」  やっぱりあの目を見ると、どうしても。すぐに身体が火照って、勃って、新太と身体を重ねたくなってしまう。  新太の瞳は、僕に愛しいと語りかけながら、その中に僕を欲する、簡単に言えば肉欲の様な光と、揺るぎない思い、信仰心の様な光を灯している。両立しそうにないものが、両立して存在している。  そんな強い光に、僕の身体はぞくぞくと、簡単に反応してしまう。僕は女神ではなく魔女で、新太の奥さんだ。別に崇め奉られるようなものじゃない。  なのに新太が「直」と口にする度に、「女神」と言われているようで、いたたまれなくなる、恥ずかしくなる。  だから、「僕」を愛して欲しくなる。  じゃあ僕の考える「僕」って、何だろう?  自分が揺らぐ。少し悲しくなって、泣きそうになる。  そうして湧き上がってくる不安を、新太の身体を自分から求めることで消そうとしてしまっている部分もある。  要は、甘えているのだ。 「直君には、そうねえ、多分だけど。時間が足りなかったのよ」 「時間が、足りない?」 「そう。相手にそう思われていると自覚する時間。ふたりには時間があるのだから、ゆっくり慣れていけば良いの」 「でも……」  ほんとに慣れるのだろうか? それにこれって、  「慣れとかの問題なのかなあ?」 「新太君は、直君のことを“女神”だと思っていることを知られて、何か変わった?」 「ううん、全く」  新太は、驚くほどいつも通りだ。  僕が普段通りにしていようと、魔法を使っていようと、何も変わらない。セックスの時すら、態度も目の光も、以前と全く変わっていないのだ。  それが、僕を更に戸惑わせる。  僕なんてあの不思議で力強い目を思い出すだけで、もう身体を重ねたくて重ねたくて、もっと言ってしまえば、入れて欲しくて堪らなくなるのに。  あ、まずい。ちょっとおっきくなっちゃった。  足をもぞもぞと擦り合わせてしまう。 「確かに新太君の考え方はちょっとというか、かなり突飛よ? 詠いの時にそう思ったからって理由も、私だって、いまいち理解できてないし。  でもね、いままで聞いてきた出来事を思い返す限り、その考え方がふたりに悪影響を及ぼしているとは思えない。他の魔女の人達も、止めたりしてないのだったら尚更。  で、新太君が変わることがないのなら、あとは直君の気持ち待ちでしょう。のんびり、ゆっくり覚悟なさいよ」 「のんびりゆっくり覚悟ったって……夜、ほんと凄いことになってて」  最近の自分は、本当に訳が分からない。自分から求めてしまうところから始まり、最中は自分が何をやっているのか、必死過ぎてちゃんと憶えていない。  なのに与えられる快感は、しっかり身体に刻まれる。  最近の僕は、中でばかりイっているらしい。射精をあまりしていない。中でイくと、身体に甘い痺れと切なさが、余韻として長く残る。つまりほぼ毎日、エッチをしていない時間でも、身体が疼く。  枯れない泉のように、こんこんと湧き出る快感は、僕を違うものに作り変えていくようで。  怖い。妊娠とか絶対ありえないのに妊娠しそうで怖い。だって、毎晩あんなに出されるし、気持ち良さと切なさがずっとお腹の中にあるし。  もうほんと、おかしい。  事後も離れたくなくて、意識が無くなるまで入れていてくれと泣いて縋るらしい。バカだと思うのに止められない。  ちなみに意識を無くした後、きちんと後処理をしてもらえるお陰で、魔力の備蓄は常に完璧だ。  ということを、ひばりさんに切々と語っていたら、 「うーん。あのねえ直君」  ひばりさんの声色にどきりとする。あれ、呆れられちゃったかな? 「いまのエッチのくだり、何だろう、一体どこに問題があるのか見当もつかないくらい円満に聞こえるんだけど。むしろ新太君、狂喜乱舞してそうだわ。  とにかく! 新太君が変わらないと理解出来てるなら、あとは、直君が受け入れるだけでしょ」 「受け、いれ……んっ」  背中がびくっ、と震え、吐息が漏れた。 「ちょ、こらこら、そっちの受け入れるじゃないから! うはぁ、いま、新太君の気持ち、ちょっと分かっちゃったかも」  ひばりさんは顔を赤く染め、掌でパタパタと顔を扇ぐ。 「そんなに色気振りまいちゃダメだよ、もうっ! 新しい職場で、まだあんまり仲良い人もいないんでしょ、何かあったら大変」 「え?」  僕は首を傾げた。何かある? 「私にこういう電話、まだしてくるくらいだから。本当だったら、近くにいる魔法使いの人に相談した方が、きっと、良いと思うんだけど」 「んー、一応、同じチームの人達とは仲良くやってるよ? でもそれとこれとは関係無くて」 「ん?」 「僕、ひばりさんだから話したいんだよ? ひばりさんのこと、唯一の親友だって思ってるから」 「へっ!」  ひばりさんが変な声を出した。 「ちょっ、も、照れるから! すっごく嬉しいけどね!? ……ってあれ、斉藤君は?」 「あっ」 「やだあ!」  あははは、とふたりで笑い合う。頭の中で、新太が「おい、扱い!」って突っ込むのを想像してしまった。きっとひばりさんもそうに違いない。 「ねえひばりさん、ずっと電話、付き合ってもらってるけど、末田先生のお弁当作らなくて良いの?」 「んー、今日はコンビニで済ませてもらおうかな。無理はしなくて良いっていつも言ってもらってるの」 「そっか……ひばりさん、幸せ?」 「うん、幸せだよ!」  声がとても明るくて、優しい。 「良かった。でもほんと不思議だな。ひばりさんが末田先生と、だなんて」 「えええ、そう?」 「新太も、すっごく驚いてたよ。そんな素振り無かったって。確かに、仲は悪くなさそうとは思ってたみたいだけど」 「私だって、驚いたんだよー?」 「卒業式の後いきなりプロポーズ、だっけ」  何してる、とひばりさんの背後から声がする。 「あっ、先生起きた?」 「うん……あ、もう着替え終えてたみたい。じゃあまた、電話してね。私も電話、するから!」 「うん、ありがとうひばりさん」  手を振り合って、通話を終えた。  そういえば、ツルさん、か。  パソコンのデスクトップを眺める。  ツルさんが遺したお守りや編み物、パッチワーク、折り紙やビーズの置物から感じ取った魔法の痕跡は、どれも自分の娘、孫達の無事や健やかな成長を願うものばかりだった。自分が死んでもなお続く、強い想いと守護の力。それはまさしく、愛だった。  少し、羨ましく思う。  僕と新太は、どっちが先に逝くだろう。  もし僕が先に逝ったら。その時はツルさんみたいに、新太を守る何かを、遺すことができるだろうか?  ガチャガチャ、と玄関を開ける音、ただいまー、という声が聞こえてきた。声の主を出迎えるために立ち上がろうとして、 「あっ、んっ!」  ヤバい、こっち、まだ治まってなかった! もー、何でほんとこんななんだ!  顔がものすごい勢いで熱くなるのを感じて、片手で口を覆う。 「うぅ」  しょうがないのでそのまま、前かがみで歩く。  間違って新太と目を合わせて、玄関で始めちゃわないように、顔を必死に伏せて進む。  でもこの状態が新太にばれたら、即ヤっちゃうんだろうな。や、これ絶対ばれるって。  想像したら、じわりとパンツの濡れる感触がした。  はあ。やっぱ僕、バカだよなあ。

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