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What I will become 何になる?6

 魔法薬局は、大学附属病院の東隣に単独で四階建ての建物を持っている。大学附属病院と別にされているのは、非魔法使いとの棲み分けのためだ。  建物の周りには、魔法使いのみを通すための結界が何重にも張り巡らせてある。もちろん、何かトラブルが発生した時のためのものも設置されている。  薬局の一階には、受付カウンター、待合室、診察室、治療室がある。  二階は薬草や、動物の干物や血や髄液、パワーストーン、その他諸々、薬剤の原材料になるものを保管、補充する管理室。書架スペースも設けられていて、ちょっとした博物館か図書館のような空間になっている。  一階の治療師から出された処方箋は、まず二階の管理室に回される。管理室の各担当者は、受け取った処方箋に従って必要な材料を専用の籠に集めていく。  処方箋や専用の籠を運ぶのは、メッセンジャーの仕事だ。  最初は、使い魔や妖精等ではなく、人間、しかも魔法使いをメッセンジャーとして働かせていることに驚いた。  でも働き始めて良く分かった。仕事以外に魔力を回せるほど、調剤の仕事は甘くない。そして彼らは、警備員も兼ねているらしい。魔法薬局は、魔法使いが関わる建物だ。外からのトラブルだけではなく、内側でも、魔法に関するトラブルが起こる可能性がある。なるほど、魔法使いでなければ出来ない仕事なのだった。  とにかく、二階で揃えられた材料は、処方箋と共にメッセンジャーの手により僕ら魔法薬剤師が控えている三階、調剤室へと運ばれる。  調剤し終えた薬は、再びメッセンジャー経由で一階の受付へ。患者さんに手渡される、という流れなのだけれど……  白が基調の部屋の中、僕は左端の一角で、水を沸騰させた大釜の中に、ハーブを一種類ずつ確認し、籠から掴んで投入する。  アーティチョークの葉を纏めて掴んだ時だった。感覚で、想定より厚みがあるような気がした。  自分の机に戻り、秤に乗せてみると、やっぱり既定の量を超えていた。処方箋の管理室担当のサインをちらりと見遣る。“リー・ショウレイ”。  またか。  僕は余分な量を別の籠に取り分け、大釜の前へ。  残り全てのハーブを入れ終わり、最後にビーカーに入った牛の血を垂らす。  杖を大釜に突っ込み、かき回しながら詠う。 『時を司る女神、場を支配する男神  ほんの僅かな煌めきを、戯れの力を我に授けよ  ひとつの星が流れるとき  ひと粒の雨が落ちるとき  人が瞬き  一陣の風が、たんぽぽの綿毛を運び去るとき  我、周央直、大地の女神に恩恵を授かりし  森の守護と結界の担い手の名において  時の幸運を我に分けよ』  言葉を切り、唾を飲み込み息を吸う。 『来たれ来たれ癒しの女神  我は求めん、三羽の鳥を  柔らかく包み、眠り誘う柔らかな羽を  悪気を打ち払う、光り輝く羽を  我、大地の女神に恩恵を授かりし  森の守護と結界の担い手の名において  治癒の力を授けよ』    大釜に入った液体があっという間に真っ赤に染まり、ほのかな光を放つ。  腕時計を確認。煮込み所要時間三十分ってとこだろうか。  僕は右隣のスペースへ移動し、次の魔法陣の準備に取り掛かる。 「スオウ先生、話しかけて大丈夫? ペンを貸して欲しいの」 「ああ、はい、良いですよ」  僕は振り向いたけれど、声を掛けてきたはずのメイスン先生の姿は確認できなかった。そっか、机の方か。  部屋の中央に数台ある局員専用のデスクはどの場所も書類が山積みになっている。メイスン先生のデスクはその向こう側だ。彼女の身体は小さめなので、書類に阻まれて見えないのだ。  僕は白衣の胸元のポケットを触り、黒のゲルインキのペンを一本、取り出す。そのまま席まで歩いて持って行った。 「はいどうぞ、メイスン先生」  メイスン先生は、ぎ、と車椅子を引いて僕を迎えた。 「ありがとう。インクが切れてしまったの、代えも持ってきていなくて。いやあねえ、歳を取ると忘れ物が多くなっちゃって……あらこのペン、最近買ったの? 新しいわね」 「ずっと使っていた万年筆を紛失してしまって。大学の頃から愛用してたやつだったから、ちょっとショックでした」  ダイアナから、大学入学祝いに買ってもらった万年筆だった。インクを足しながら大事に使っていたのに、ある日突然、消えていた。 「まあまあ、お気の毒に。落としたのかしら。一階の受付には問い合わせてみた? 落とし物として届けられているかもしれないわ」 「そっか、その手がありましたね! 時間を見つけて行ってみます、ありがとう」  熱っち! という声が別の場所から響く。僕とメイスン先生は、顔を見合わせ笑った。声の主はいつも通り、オールコック先生だ。彼女は毎日、何かしらやらかす。 「大丈夫かしら、オールコック先生?」 「はいー、いつものやつです、すみませんメイスン先生!」 「またですか、気をつけてくださいよ全く」 「爆発させないでよー、巻き込まれ事故とかサイアク」  ウォーレン先生、ライト先生も声を上げる。 「ううう、ほんとすみません」 「爆発させる前に、手伝おっか?」 「いえっ、大丈夫です!」 「怪我は?」 「擦り傷程度ですっ」 「休憩時間に傷、診ますから頑張ってくださいね」 「ありがとうございまーす!」  くすくすと、各所から笑い声が聞こえた。  僕の所属する調剤チームCは、魔女のみ、五名で構成されている。何だかんだで、とても仲の良いチームだ。  魔法薬局全体のスタッフの人数は、約百名程。その中で、調剤室所属の魔法使いは総勢二十四名。四名から六名で構成された五つのチームに分かれ、一チームにつき一部屋ずつ、調剤室を与えられている。  チーム分けされているのは、単純に部屋の割り振りだけでなく、大がかりな調剤が入った場合、複数人数で取り組む必要があるからだ。  二十四名の内、十四名が魔女。魔法界内での比率を考えれば、魔法薬局の魔女の所属数はまあまあ多い。それは、UK内の魔法薬剤師全体でも同じことが言える。  魔女の魔法薬剤師の成り手が多いのは、そもそも魔女が、薬草学の分野に長けているからだ。長く研究し、守り伝えてきた知識を用いることで魔法薬学とその実践に貢献してきた。  ちなみに一階の診察室や治療室に配属されている治療師は魔術師や呪術師出身者が主で、その他の部署も合わせると、結局は魔女の比率が小さくなるのだった。  腕時計を確認する。大釜へ投入したハーブ類は溶けきり、赤というよりも真っ黒な、粘性の高い液体になっていた。  僕は、大釜を載せているキャスター付きの台座の取っ手を両手で掴んで押し、先刻右隣の空きスペースに準備していた、魔法陣を描いた不燃紙の上に移動させた。  そして先程と同じようにまず、時の女神、男神に祈りを捧げ、冷却魔法をかける。  しゅうううう、という音と共に、中の液体が蒸発する。大釜の底には、赤く光る結晶だけが残った。 「本当に凄いな」 「うっ! わ、グレン室長!」  僕が集中しすぎていたのか、相手が気配を消していたのか。真後ろからバリトンの良く通る声が突然発せられて、びくっ、と身体を揺らしてしまった。心臓に悪い。  グレン室長はふくよかな身体で僕を押しのけつつ大釜に近寄りながら話を続ける。 「薬剤の精製完了までの時間が、確かに短い。論文通りのやり方だ。題名は“魔法陣連続使用による短時間魔法薬精製の可否について”だったか。  特殊な魔法陣を連続して使うことにより本来数時間寝かせねばならない薬剤をすぐに加熱、冷却し結晶化させ粉末にして即提供できる。これならば余分なストックを作らずに済むし、何日も患者を待たせるようなことも、繰り返し来てもらうことも無くなるだろうな」 「……グ、グレン、室長?」  室長は、僕の卒業論文の話をしながら僕を更に横に押しやり、加熱していた側のスペースに置き去りにしていた魔法陣を真正面からしげしげと眺める。 「ひとりの魔法使いが薬剤を完成させられる速さは、簡単な調剤で平均して一日三種類から四種類が限界だ。元々手間暇がかかるものであれば一種類作れるかどうか、ということすらある。患者を待たせてしまうのは当局長年の懸念事項だった。  卒業論文の題材に時短精製方法についての研究を選んだ理由を聞いた時は、志高い学生にやっと出会えたと、心が震えたものだ。  だが、ふむ、論文の段階ではひとつの理想の形として高い評価を得ていたが、実地ではやはり、著者の力に頼り過ぎて一般的ではないようだな。  それにこの魔法陣のままでは、使用できる者はほぼ魔女のみ、そしてかなりの魔力を消耗する。更に一日の中で連続して行うとなると……やはり、自分でも一度試してみるべきか」  著者って、隣にいる僕だよね。  これは、僕に話しに来たというよりも、論文の内容が調剤の現場でどのように活用されているのかを確認しに来た、が正解のようだ。  グレン室長は基本、会話しているように見えても、人の話を聞かず最終的に自己完結することが多いと聞いたことがあった。  ほんとにこちらの方を見ていないし、話す内容がほぼ独り言だ。そして、その独り言は、僕を少し凹ませた。  僕の論文最大のネックは、魔力消費量の多さと汎用性の無さだ。論文通りに行えば時短は叶う。問題は、一般的な魔法使いひとりが一日に発揮できる魔力量をはるかに超えてしまっている点、そして提示された魔法陣が魔女のものだけという点である、と論文発表時に指摘を受けていた。  理論としては素晴らしい、だが、魔女以外の調剤師がごく一般的な魔力消費量で、現場で使えなければ意味が無い、と。  論者が、自身の能力に頼り過ぎている云々。目的に対しては称賛も受けたが、批判も多かった。 「ふん、どうするかな」 「あのー、室長……」  正直、大きい室長が邪魔だったので声を掛けるが、全くこちらを見てくれない。太く大きい指で顎を撫でながら、彼はじっと、大釜の下を覗き込む。  僕は彼が去ってくれるのを諦め、作業を再開した。  いつの間にか、僕は仕事に没頭していたらしい。ふと気が付くと、いつの間にか室長はいなくなっていた。

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