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What I will become 何になる?9
「スオウ・ナオ先生。話がしたいので、いま、一緒に食堂へ来ていただけるかしら?」
カンファレンスルームの鍵を返すついでに、一階の受付で、落とし物の中に万年筆がないかどうかを尋ねている最中、後ろから声をかけられて振り向いた。
クラウスナー先生だ。
僕からの返答を待たず、彼女は歩いて行ってしまう。Nowの言い方、強すぎて怖い。
慌て始めた僕を見て何となく事情を察した受付の人から「見つかったら連絡しますから! ほら、置いて行かれますよ」と言われ、すぐさま彼女の後を追った。
辿り着いた食堂の窓際の席に、リー先生が待機していた。お昼までにはまだ少し時間があり、人はまばらだ。
クラウスナー先生がリー先生の隣に座り、僕はその向かい側に座った。
「これからチームとして動かなくてはいけないのだから、わだかまりはいまのうちに取り除きたいの。逃げずにきちんと聞いて」
「は、はい」
深刻そうな表情のふたりに、僕は身構えた。
「貴方、スチュアート・マコーリーの彼女を寝取ったのよね? 彼だけでなく、他にもたくさん被害者がいるらしいじゃない。
淫魔を使い魔にしていて、セックスで得た快感や精気を吸い取らせて自身の魔力にする。大学生の頃は魔力摂取のために、相手をとっかえひっかえ、お盛んだったと聞いているわ。いまでも、その習慣を続けているとか。
プロジェクトチーム内では、そういうことをして欲しくないの。私達を貴方の個人的なサイクルに巻き込まないで。プライベートのせいで研究に支障が……」
「え!? え、ちょっと待って!?」
全く想定していなかった事態に、僕は慌てて手を振る。
「それってどういう話?」
「貴方が豊富な魔力量を保持するための方法、の話をしているわ。下世話な話ではなく」
「でもまあ下世話な話だとして、倫理的にどうかと思うので、私は君のこと嫌いよ。そして巻き込まれるのではないかと警戒もしている。
なので君が失敗して、懲戒免職か小さい薬局にでも飛ばされて欲しいと切に願っているわ」
それでリー先生、いつも調剤の材料の分量を微妙に変えてくるわけか……って納得している場合じゃない!
「いえ、誤解です! そんなこと出来ませんから!」
「何が誤解なの? 貴方はいま、この魔法薬局内で恐らく一番の魔力量を持っているはずよ。
しかも入局数ヶ月でプロジェクトリーダーに抜擢だなんて。確かに論文のテーマは素晴らしいものだけれど、貴方のこれまでの所業を考えたら、その抜擢だって何かしらの」
「あー、あの待って、待ってください! それってどこからの情報ですか?」
「局内でまあまあ噂になってるわよ、知らないの? しかもこの手の話、君が大学生の頃からあったらしいじゃない?」
全く聞き覚えが無い。そしてもちろん、身に覚えも無い。
チームC内のみんなは、僕に男性パートナーがいることを認識している。べルテインの出来事もあってか、魔女界隈では、僕と新太の話は有名らしい。それに彼女達は、僕がサバトで出会った人達の親族だったり友人だったりとどこかしら繋がっている。パトリシアが主張していた人脈作りがまさに役立った、ということか。
とまあ、僕の周りは事情を知っている人ばかりだったので、まさか、そんなとんでもない噂を流されているなんて思いもしなかった。
「当時の魔法学科長の精気を根こそぎ吸い取ったとか。それで彼女、体調を崩して定年前なのに辞めざるを得なかったって」
今年の春、五十代半ばにして、体調不良で辞めたはずの学科長の話? え、退職、僕のせいになってるの?
「いやいやそんなこと絶対やってませんし、出来ないんですって」
「さっきからその、出来ない出来ないって、どういうことなの?」
「僕、結婚してるんです!」
左手をふたりに向かって突き出し、指輪を見せる。
「ああ、その指輪。カモフラージュだって聞いた」
咄嗟に、指輪の存在意義! と叫びたくなった。
「それに、他の女性との不倫だって、可能でしょう?」
「僕、女性はたぶん無理です」
「は?」
「だって僕のパートナー、男性ですよ!」
「え、君、ゲイなの!?」
「バイじゃなくて?」
えーと、と自分でも一瞬分からなくなった。ゲイ、バイ、という区別など、そもそも考えたことが無い。
「ゲイかバイか、なんて意識したことはありません。僕、彼しか好きになったことが無いので」
胡散臭そうに顔を顰めるふたりの前で、僕は懸命に言葉を重ねる。
「でも、ゲイだったとして、言い方アレだけど突っ込めれば何でも良いんじゃないの?」
「いやいや無理ですよ! 彼以外に対して、その、勃起したことがないんです。それに僕、突っ込む方じゃなく突っ込まれる方でっ」
「え、ちょっとまさか貴方、突っ込んだこと一度も無いの?」
顔が、かっと熱くなった。あまりに一生懸命になり過ぎて、とんでもない単語を口にしていると気づいたからだ。
なのにふたりとも全く動揺していない。むしろテーブル越しに、徐々に身を乗り出して訊ねてくる。
「そりゃ、あの、その……口に突っ込んだこと、というか、咥えられちゃったことはありましたけれども」
「じゃあ君は毎日、その人とヤってるの?」
「え!?」
「でなきゃそんな魔力量、保てるはず無いもの。浮気もしてないのなら供給源はひとつ、その人だけってことでしょ?」
「はっきり言いなさい!」
もう、死ぬほど恥ずかしい。僕、いますっごく情けない顔してるんだろうな。身を引いて逃げ出したい。というかこれ、答えなきゃダメなのかな?
ふうっ、と息を吐いて、自分を落ち着かせようとした。
うん、逃げちゃダメだ。
多分ここで頑張らなきゃ、自分を見せなきゃ誤解は解けないままだ。内容が凄くセクハラな気がするけど、彼女達は真面目に聞いてきているんだ、これからふたりと一緒に仕事をやっていくには、真剣に答えなきゃ!
「……毎日、たっぷり、注いでもらってます」
一生懸命口を動かしたら、囁き声しか出なかった。ふたりが更に身を乗り出して来たので、僕もテーブルに手をついて頭を近づける。
「たったひとりから、搾り取ってるわけ?」
「中出し? 生?」
何だこの恥ずかしいワードは!?
顔が熱すぎて額からは汗が流れ、テーブルについた自分の腕が、少し震えているのを自覚する。
恥ずかし過ぎて辛い。
「……そうです生で、たくさん、出してもらって、ます」
「でも淫魔の使い魔は? そいつがいないと魔力変換できないでしょ」
「受けた精を、魔力に変換する魔法陣を大学二年の時に完成させて使用しているので、淫魔とかは関係無いです。というか、悪魔召喚なんてしたことも見たこともありません。大学の講義で、理論を学んだだけで……」
わあお、と声を上げながら、クラウスナー先生は椅子の背もたれにもたれかかった。
「精液を魔力変換!? ほんと? まさかそんな……確かに魔女の性魔術の話は聞いたことがあるけれど、そうか……なるほどね! その魔法陣だけで論文一本書けそう、何というか流石というか、とにかく凄いわ!!」
クラウスナー先生は、腕を組み、頭を振って嘆息する。
「ちょ、クラウスナー先生、声! もう少しボリューム下げて!?」
「いやいや、そっちじゃないでしょ二コラ!
ねえ、ほんとに相手、ひとりなの? もしひとりだったらその相手と、相手の精力が凄くない? ねえ、パートナーがひとりだったとして、いつからそういう関係なの、最近? 男をとっかえひっかえしてる、ってことは無いの?」
「無いです! 彼とは、大学二年に上がる前から一緒に住んでて、結婚もしてるんで! 大学校内でも結構一緒にいたし、あんまり隠してなかった、というか、どうして一緒に住んでるパートナーがいるのにそんな噂が」
「あのねえ、君のお国ではどうだか知らないけど、ここでは異性同性関係無く、学生が住んでるところをシェアすんのは当たり前なの。みんなお金無いんだから!
一緒に住んでるからって、パートナーとは誰も思わないわよ」
そうなんだ!? リー先生からの情報に衝撃を受ける。
恋仲になる可能性がある人とも、シェアする場合があるってこと? え、それが普通?
つまり、とクラウスナー先生がもう一度身を乗り出す。
「スオウ先生は、大学生の時からひとりの相手としかしていなくて、特殊な魔法陣を使って自ら受けた精液を魔力に変換している、相手を変えたことは無い、ということね?」
「はい、そうです!」
僕は大きく頷いた。
「そう……あのね、最初私達もやみくもに噂を信じたわけではないのよ。当事者を名乗る人達に、会って話を聞いたの。まあ、結局は一方的な意見を鵜呑みにしてしまったことは確かね。貴方の優秀さと噂のギャップに、違和感を抱いていたのも事実だし……貴方の言っていることが本当だと私達が納得できるまで、もっと詳しく情報を聞かせて欲しいところね」
まだ話せってこと!? もう、羞恥プレイは精神的にムリだ!
『では、わたくしからの証言ではいかかでしょうか?』
僕の影からするりと、セバスチャンが出てきた。
「あら、もしかしてこの子が使い魔?」
すかさず、クラウスナー先生がセバスを抱き上げる。
「うーわっ、Japanese Calicoだわ、しかも雄の! 珍しいんでしょ?」
キャリコ? 一拍置いて気づく。三毛猫のことだ。
『正真正銘、周央直様の使い魔、猫のセバスチャンでございます! わたくしのマスターは淫魔など、召喚したことも、まして使い魔として契約したこともございませんよ! 使い魔は、わたくしのみです』
椅子に座り直したクラウスナー先生の太腿の上で、自分を見せびらかすようにくるりと一周する。
『そしてマスターのパートナーは現在、スコットランドの魔女界隈ではちょっと名の知れた方になっております。一度、そこいらの魔女様方にご確認頂けましたら、おふたりの相思相愛っぷりがご理解いただけるかと存じます。証言して下さる方の多い方が、納得していただけますよね?
また、おふたりの馴れ初めから現在に至るまでは、数多くの物語がございまして。全てを語るには大変なお時間を頂くことになるかと。
兎にも角にも、いま申し上げられることは、わたくしのマスターはたったひとりのパートナーにべた惚れで、数多くの相手を誑かしたり浮気するなど到底無理、ということでございますよ』
「セバス……」
僕はちょっと泣きそうになった。セバスがこんなに頼もしく見えるの、初めてかもしれない!
セバスはいまやクラウスナー先生の太腿に座り、ふたりから撫でまわされている。
「そう、良く分かったわ。他の方々からも確認は取らせていただくけれど、きっと誤解だったのね。これまでの態度を改めるわ。ごめんなさいね」
「いままで色々と、悪かったわね。さっきまでのセクハラじみた質問も含めて。きちんと突っ込んだ話聞かなきゃ、ほんとかどうか確認できないでしょ」
わあ、あっさり謝ってもらえた、セバスの効果は抜群だ!
ふたりの視線が完全にセバスの方向なのは微妙に気になるけれども、謝罪は謝罪だ。
「私達だって、このプロジェクトに意義を感じているから参加に同意したの。でも、いまのままでは貴方に関する噂が気になって、実験どころではないと思ったから」
「ぎくしゃくした関係が原因でプロジェクトが駄目になった、という結末にするには惜しいと思えるくらいの内容よ、正直悔しいけど。やっぱ、事前に話し合いをってニコラが判断したのは正解だったね」
ふたりから、テーブル越しに右手が差し出された。
「改めてよろしく、スオウ先生。わたしはリー・ショウレイ。ルーツは中国。道教系魔術師に師事してる。良くご存知かとは思うけれど、二階の管理室所属。
漢方薬局の家で育っているから、漢方薬関係はお手の物よ。もしそちらの知識が入り用なら、役に立てると思う」
「二コラ・クラウスナーよ。カバラ系魔術師。治療室所属。これからよろしく。今日、話せて本当に良かったわ。貴方のことを多少なりとも理解できたし」
にやりと笑いかけられる。
「今後もとっても面白い話が出来そうね、お互いに。期待しているわ、スオウ先生!」
妙なプレッシャーに、返す笑顔を引き攣らせてしまった。
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