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What I will become 何になる?14
翌朝目を覚ますと、新太が隣で布団にくるまっていた。新太が僕よりも起きるのが遅いなんて、かなり珍しいことだ。
新太は毎朝、僕が寝ている間にランニングへ出かける。僕の週一回のランニングの時でさえ先に出てしまう。
戻ってきたら軽くシャワーを浴びて、朝食の準備をする。以前は交代制だったけれど、僕が大学四年になって以降は、新太がほぼ毎日作ってくれるようになった。
時計を見ると、出勤するにはまだ余裕のある時間だった。
シャワーを浴び、久々にサンドイッチと目玉焼きを作る。料理と呼べるレベルのもので、僕が作れるのはそれくらいだ。
フライパンに落とした卵に少しだけ火が通ったところで水を入れ、ガラスの蓋を載せる。徐々に白身が固まっていくのを眺めつつ、頭の中を整理する。
なるほど、新太とセックスをし忘れていたのとプロジェクトのストレスのせいで、どうやら僕は本当に、魔力と精神力が減少していたらしい。
昨夜、新太のお陰で充分に満たされた僕は、自分の置かれている状況がはっきりと理解できた。
僕は焦り過ぎていた。プロジェクトの進行に時間がかかるのは、仕方のないことなのだ。
僕は魔女だ。魔女の魔法ばかりを学んできた。大学内では、理論として様々な魔法の知識を得たけれど、実践としては魔女の魔法で押し通してきた。他の魔法のやり方をまともにやった試しが無い。混沌魔術師でもない限り、魔法使いは自分が学んできた、自分の宗派や流派のやり方を貫き通すのが普通だからだ。
そんな僕が魔法陣を書くのだから、他の誰でもが使えるような魔法陣を作るなんて結果が、すぐ目に見える形で出てこないのは当たり前だし、焦っても仕方がなかった。
そして、急ぐ必要も恐らく無いのだ。
若手だけで組まされていることを、もっと考慮すべきだった。若手研究者育成プログラムは、年単位の総合評価で存続か打ち切りか判断される。たった数か月、何も得られなかったとしても誰からも責められはしないだろう。なかなか結果を得られないことは込みで考えられているのだと思う。
グレン室長からは、「期待している」とは言われたけれど、「急げ」とは一言も言われていない。
それから、僕の周りで起こっている嫌がらせの件。
相手は、僕がロッカーにかけていた防御魔法を痕跡も残さず解除できる程の腕前の持ち主か、もしくはそのくらいの腕前の持ち主を使える立場の人間だ。
動機や理由はともかく、用心するに越したことは無い。大事に至る至らないはさて置き、手を打っておかなくてはならないだろう。何の準備もせず突然魔法で攻撃されたら、対処できない。
今日は早く帰ろう、それで新太に全部話して、グラント家に連れて行ってもらって、みんなにも相談する。
半熟になった目玉焼きとサンドイッチ、ハーブティーを準備して、寝室の新太の様子を確認。まだ、新太は寝ていた。
僕が自分の分を食べ終えてから部屋を覗いても、起きていなかった。
「新太、新太。もしかして具合悪い?」
「……ん、直。いま何時?」
か細い声で返事をしながら、新太がようやく、かぶっていた布団からもぞもぞと頭を出した。顔全体が赤い。特に目の上が、腫れているように見える。
おでこに手を当てると、少し熱く感じた。
「もうすぐ僕が出勤する時間だよ。身体、だるい? 熱があるみたいだけど、風邪ではなさそうだね……セバス、いつものハーブティーは?」
「新太様が、魔法陣の上で寝てしまわれたマスターをベッドに運ばれた後、きちんと差し上げましたよ。ですが、普段より回復が遅いようですね。新太様も、最近お忙しいですから」
「だよね」
新太の口から、寝息が聞こえてきた。ああ、また寝ちゃった。
大量に射精した反動もあるのだろう。胸がぎゅっと、切なくなる。
僕は、食器の後片付けをしに行こうとするセバスに再度、新太用のハーブティー作成をお願いした。
「新太、凄く疲れたんだね。今日は大学休んで。担当の先生には、僕が研究室に顔出しして体調不良でお休みするって伝えとくから。それから、看病のためにセバスを置いて行くよ」
『でしたら本日は私 が、セバスの代わりにお供致しますわ』
「え!? そんな、良いよましろ」
『ここにいても、家事が出来ない私にはすることがありませんもの。それに、ナオの研究にも興味がございますのよ』
「新太、ましろが……」
『大丈夫ですわ、ナオ。是非そうしてくれと、アラタから許可を頂きました』
「え、いま?」
『いえ、先ほど起きられた時に。慣れないながらも、私に念を送って来られましたわ』
「わあ、頑張ったね、新太」
使い魔との精神の繋がりを長くコントロールできなかった新太にしては、大進歩だ。
『まあ、念というより、考えが駄々洩れているだけかもしれません』
「あはは、そっちだとまた、ダイアナに叱られるね」
僕が苦笑すると、ましろが僕の足元にするりと身体を寄せてきた。屈んで抱き上げ、その白くて滑らかで美しい毛並みに頬擦りをする。
「ありがと、ましろ」
そして空いた手で、新太の頬を撫でた。
「昨日はごめん、本当にごめんね、新太。それから、ありがとう。なるべく早く帰ってくるよ。話したいことがあるから……行ってきます」
新太のおでこに軽くキスをして、僕はフラットを出た。
いつも通り大学内での実験を切り上げ、夕方調剤室に戻ると、机の上に新規の調剤案件が三つほど置いてあった。処方箋の下辺り、病院の担当医、魔法使いである副担当医の横に並ぶ、管理室の担当者のサインを確認する。
サインは初めて目にするもの、そして聞き覚えのある相手だった。“スチュアート・マコーリー”。
彼が普段担当している調剤は、魔女系 ではないはずだ。これまで僕の調剤チームの中で彼の名を見たことは一度もないからだ。
なのに処方箋の種別は、魔女系のもの。どういうルートでこの処方箋を手に入れたのだろう。
呆れるくらい堂々としている。こちらがある程度事情を知っていると分かっていての所業だろうか。嫌な感じだ。
正直、放って帰りたい。でも処方箋は本物のようだし、となると待っている患者さんは実際にいる。僕は明日も朝から研究室だ。夕方戻って調剤に取り掛かった場合、患者さんに薬を渡せるのは明後日以降になる。
「罠、もしくは脅し、なのかな……」
誰かに手伝って欲しい。そばにいてもらうだけでも構わなかった。でも、就業時間はとっくの昔に過ぎていて、チームのメンバーは誰も残っていなかった。
「ひとりでやるしかない、か」
息を吐き、大釜の準備に取り掛かる。手早くやってしまえば、きっと大丈夫。それに今日は満月じゃない。仕掛けられるのは、今夜ではない。
そう自分に言い聞かせていなければ、調剤室から飛び出したくなるくらいには、怖気づいていた。
『……オ、ナオ、大丈夫ですの!? ナオ、しっかりして下さいまし!』
ましろの声で、身体がびくりと揺れた。乳棒が、手からするりと抜けて落ちそうになるのを慌てて掴む。
いま僕は、何をしていたのだろう。チェストベリーの実を、乳鉢ですりつぶしていて……もしかして、意識が飛んでた?
視界がぼやけて、はっきりしない。腕時計を見ても、時間が認識できない。窓の外が、かなり暗くなってきていることだけは辛うじて分かった。
「ん、ごめん……どうしてだろう、変だな。昨日あんなに魔力をもらって、調子良かったはずなのに」
道具をテーブルに置き、僕は両手で頭を押さえた。
僕の足元で、ましろが僕の全身を眺めながら、うろうろとせわしなく歩き回る。
『ナオ、セバスとの意思疎通はお出来になります?』
セバス、と心の中で呼んでみるが、いつもの、繋がっている感覚が鈍っている。まるで霧に包まれているみたいだ。僕は、ましろに向かって首を振った。
『呪いの影響で、意識と力を阻害されているようにお見受けしますわ』
「えっ、の、呪い!?」
僕は目を見開く。呪い、という単語がかなり意外だったからだ。
「呪いなんてどうやって!? 仮にもここは、魔法使い専用の施設だよ。外部からの攻撃を易々と受けるような場所じゃあ無い……え、ちょっと待って。まさか内部から? いつから、どうやってこんな」
『ごめんあそばせ、私、元々ただの精霊ですので、まじない程度のことは知っていても、魔法のこととなると、あまり詳しくございませんの。
ですが、ナオの周囲にかなり濃い魔力、しかも良くない感じの気配がまとわりついていることは把握できております。
その魔力が突然ナオを覆ったのは、つい数分前の出来事ですわ』
「僕の周り、に……」
呆然とする僕を余所に、ましろは立ち止まり、扉の方に顔を向け、押し黙る。
そして意を決したように、こちらを振り向いた。
『もしこの建物内から呪いをかけているのならば……私、一旦その辺りを見回ってきますわ。もはやナオから発せられる呪いの魔力が濃すぎて、離れなければこの魔法がどこから発せられたものなのか、感知できませんの。
ナオは絶対に動かず、ここにいて下さいましね? アラタにも呼びかけを致します』
「え、ダメだよ! あんなにっ」
僕の魔力供給のために、疲れさせちゃったのに。
「申し訳ないから、呼ばないで」
『ナオ!!』
怒りとも、嘆きともとれるような叫び。
『どうしてそのようなことが言えますの!? 昨晩のアラタの気持ちを聞かれて、受け入れられたはずですのにっ……』
段々と泣きそうな声を出し始めたましろは、言葉を切った。
『……やはり、ナオはいま、正常ではございませんのね。理解していても、少し辛く感じます。アラタのお気持ちが、正しく理解できましたわ。
とにかく、ナオは動かずここにいて下さいましね。すぐに戻ります』
足早に扉へ向かうましろに、
「待って、待ってよましろ、ひとりで行かないで! 危ないよ」
『大丈夫ですわ、ナオ。私、長年の放浪で、身を守る術ならば万全ですの。意外と武闘派ですのよ』
違う、ほんとは僕自身が、ひとりにして欲しくない。何 か が お か し い のだ。
「うん、でも、でも今日は止めておこうよ。だって、だってきっと仕掛けられるとしたら今日じゃなくて」
そう、今夜じゃない。
「満月の夜だから」
『ナオ、満月は、今夜ですのよ?』
ましろは、閉まったままの扉をするりと通り抜けた。
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