42 / 49

What I will become 何になる?15*

 静まり返った調剤室の中で、ひとり取り残された。  眩暈がする。僕は、自分のデスクへ向かい、椅子に力無く身体を預けた。  今日、今夜が満月だって?  掌を翳した。視界は未だにぼやけている。溜め息を吐き、両手で顔を覆った。  僕は日頃から、月齢を確認するのを忘れてしまう癖がある。 「お前は魔力量が多いから、いつでも同じだけの魔力を使えるのだろうけれどね。あらゆるものや人は、大なり小なり月の満ち欠けに力を左右される。自分の実力に胡坐をかかず、きちんと把握しておくべきだよ」とダイアナから注意されていたのに。  僕はバカだ。  そしてまずいことに、次第に妙な衝動に駆られ始めている。どうしてもいま、()()()()()()()()()()気がするのだ。  僕の冷静な部分は、そんなわけない、ここを出て行く必要など全く無いと主張する。ましろだって、動かずここにいてくれと言っていた。  なのに僕は椅子から立ち上がり、ゆっくりとした足取りで部屋を出てしまった。  僕は自分の身体をコントロール出来ないまま、人気のない廊下を進み、階段を降り、一階の受付の前を通る。診察室、治療室のいくつかを通り過ぎ、カンファレンスルームの辺りで、肌にびりりと刺激を感じた。どうやら結界をひとつ、潜ったらしい。  結界は簡単に通り抜けられるものではない。この結界を作った人間と、僕に呪いをかけた人間は、同一人物、もしくは仲間なのだろう。僕はその相手に、通ることを許可されている。誘われている、の方が正確か。  僕がようやく立ち止まったのは、一階の裏口近くにある更衣室の前だった。背中に冷や汗が伝い落ちる。  開けちゃいけないと心の中で叫びながら、意に反して手がドアノブに触れる。静電気のような刺激を、再び感じた。ここにも結界が張られている。  僕はノブを回し、ドアを押し開いた。 「ようやくお出ましか」  黒いローブに身を包み、フードを深々と被った人達が五人。  ロッカーは全て壁際に追いやられ、部屋の真ん中が広く開けられている。床には大きな魔法陣。その中心にひとり、フードを被らず、金髪碧眼を晒した男性が立っていた。  僕の手は勝手にドアノブを引き、ぱたりと閉じる。 「白衣の胸ポケットに挿したままのペンの内、使い込んでいそうなものを選んで取り出していたのが当たったな」  男性は表情を変えず、手の中のものを振る。同時に、僕の頭も振られているような感覚に陥る。  ああ、あれは。  ダイアナからもらった万年筆だ。まさか、僕を操るために使われるなんて。 「呪いたい相手の、謂れがある物や長年使用した物を使う。呪術の基本中の基本だろう。成績優秀者だ、プロジェクトリーダーだともてはやされている割に脇が甘い」 「……あんたは誰だ? どうして、僕なんだ」  頭に血が上り、顔が熱くなった。  男性は、持っている万年筆を指の腹を使い、下からゆっくりと撫でた。怖気が、足元から這い上がる。  逃れようと身動ぎするけれど、まともに身体を動かせず全身から汗が噴き出した。 「ふっ、誰だ、か」  無表情のまま、男性はまた万年筆を小刻みに揺らす。  足が勝手に動いた。僕は部屋の中央にいる男性の近くまで歩き、立ち止まる。視界が不規則に揺れて、気持ち悪い。堪らず、床に膝と手をついた。  衣擦れの音と気配で、黒いローブの奴らに取り囲まれるのが分かった。 「同じ魔法学科の、クラレンスだ。クラレンス・K・ボーフォート。まさか、魔法使いを名乗っている癖に、ボーフォート家の人間の顔を知らないとはな。愚かにも程がある」  フードの中から、複数の嘲笑が起った。  クラレンス・K・ボーフォート。今回の件の黒幕ではないかとセバスが教えてくれていた名だった。  知っているか知らないか、と問われれば、知っていると答えるべきか。でも、きっとそういうことじゃない。  僕は返事をせず、ただ、下から彼を睨みつけた。 「話したのは確かに一度きりだ。私は美しい髪だと褒めてやった、貴様はどうもと答え、喜んでいた。  だから食事に誘おうと迎えを寄越した。しかし余計な邪魔が入ったらしい、貴様は私と同じテーブルに辿り着けなかった」  更に、とボーフォートは続ける。 「術を掛けた人間(こちら)に泣き付いてくるだろうと見込んで、儀式前に必要な薬酒を飲ませて遠隔から貴様に呪いを施したのに、自力で解くとは計算外だった」  ようやく思い出した。髪が長かった時、車で連れ去られそうになったのをロビンが止めてくれて、でもあの後猛烈に気分が悪くなって。ロビンが自分のフラットに僕を連れて行って、治療してくれたんだった。  逃げている途中から、記憶がすっぽりと抜けていたし、ロビンはなんでもない風にしていたから、ほとんど忘れていた。ほんとに、この人が関わってたんだ。 「そしてその後、貴様は髪を切ってしまった。私が触れてやる前にな」  ボーフォートは、少し屈んで僕の髪に指を絡め、淡々と言葉を重ねる。 「どうして切ってしまったのかと訊ねたかったのだが。その頃から貴様のそばには常に、あの野犬のような男が彷徨くようになった。  近づけば威嚇され、空き時間になると貴様はすぐに何処かへ消えてしまう。接触の余地が全くなかった。  貴様が就職してあの犬から解放されて、ようやく近づけると思った」 「っ!?」  髪を引っ張られ、左手が思い切り踏みつけられた。驚きと痛みで声を上げそうになり、ぐっと堪える。 「野犬から与えられた首輪か。はっ、優秀なのは見た目だけだなスオウ・ナオ。自分の犬にマーキングされるとは」  吐き捨てるような笑い。 「男の身体で雄犬と交わったか。大方その調子で、大勢の男共のアレを咥えて、優遇してもらったのだろう、気色悪いビッチめ!」  言葉と声が、段々と激しさを増す。髪が更に引っ張られた。 「私は病院や大学に問い合わせた、同性愛者に、調剤やプロジェクトを任せても良いのかと。なのに誰も私の言葉に耳を傾けない、この、私の言葉をだぞ!?  どいつもこいつも、貴様の淫乱な身体に酔って頭がおかしくなっている! 男の身体で男を誘って、咥えて、喘いで、搾り取る、気色悪いホモ野郎め!」  不意に髪の毛が手放されたと思ったら、ぱんっ、と頭を叩かれた。目の前が一瞬真っ白になり、打たれた箇所がぐわっと熱くなって、強い痛みが拡がる。 「まあ良い。貴様はこれから儀式を経て、私専用の女になる。衣食住は存分に与えよう、いまの仕事は辞めることになる。どうせ貴様にそんな時間は無いからな。  これまでの過ちを許し、まっとうな道へと正してやろうというのだ、ありがたく思え」  話が見えない。気持ち悪いと罵った口で、次は『私専用の女』?   僕が理解していないことを見て取ったのか、ボーフォートが不審そうな顔をした。 「まだ分らんのか。貴様は以前、どのように呪いを解いた?」    僕は下を向いたまま口を噤んだ。軽率にロビンの名を言うべきではないと思ったし、そもそも記憶がないから、どういう施術で助けてもらえたのかも知らない。 「……まあ、以前のことなどどうでも良いか。端的に言う。いまから儀式を行い、貴様の身体を強制的に女にする。見た目だけではない、身体の内部構造、全てだ」  女に、する?  常識からあまりにかけ離れた内容で、頭がついていかない。  身体の内部構造まで変える、完全な女性化。    まさか、そんな。僕は頭から血の気が引くのを感じた。人の身体を短時間で、強制的に作り変えるなんて、そんなことが出来るのは。 「ふん、こんなことも知らんとはな。  では教えてやろう。我がボーフォート家に伝わる秘術でな。強い魔術を持つ者と婚姻関係を結び、血を繋いでいくのはなかなかに難しい。強い相手を見出すこともそうだが、見出した相手が同性であることもしばしばだからな。  そこで我が先祖は考えた。見出した相手が跡取りと同性であれば、相手の身体を作り変え異性にして子を成せば良いと」  滔々と語るボーフォートの顔は生き生きとしていて、その目は異様な光を宿していた。 「秘術を完成させるのに、数多くの先祖の血が流れたそうだ、何せ」  先を聞きたくない。でも、耳を塞ぎたくても腕が上がらない。身体が芯から凍りそうだ。 「悪魔召喚だからな」  僕はあまりの恐ろしさに、身体が小刻みに震え始めた。まさかここで、悪魔召喚が行われるってこと?  身体も自由に動かせない、魔法発動の準備もできていない、杖さえない無防備な状態で? 「安心しろ、悪魔との契約は既に成っているから、いまから行う儀式においては人死は出ない。まあ、呼び出した悪魔の機嫌次第だがな!  それから貴様の心は、女になることを受け入れないだろう? 屈辱ととらえるはずだ。死にたいと思うか?  問題無い、望み通りすぐに死ねる。女になった後、貴様に残される寿命はたった数年だ。しかも出産となれば、いやでもその時点で生命力を使い切る」  楽しそうな笑いを含みながら、ボーフォートが僕に語ってくる。ああ、ダメだ、全然理解できない。したくない。 「器となった魂と身体は、急激な身体の変化に耐えられない。女になった途端、魂も身体も大幅に削られるらしい。  ただまあ、目的が目的だからな。死ぬまでにどうにか延命させて、少なくともひとりは子を作らせるのが通例だそうだ。  だが貴様は美しい。女になれば、私が手ずから愛してやろう。貴様のその顔ならば、妊娠中であっても毎晩種付けをしてやる。うまくいけば三つ子くらいは産めるかもしれん。  その(かんばせ)と能力、我がボーフォート家に残す名誉をやろう、スオウ・ナオ」  愛? 怖さで震えていた僕は、ボーフォートが放った愛、という言葉にイラっと来た。もう一度、下から彼を睨めつけた。 「愛、だって? あんたの、は、愛、じゃない。執着だ。簡単に手に、入らなかった、おもちゃを前に、だっ、駄々を捏ねる、幼子の、それだ。  愛なんて、知らない、だろ。その口で、愛なんて言葉をっ」  どっ、と足でお腹を蹴り上げられた。衝撃で、僕は壁際に寄せられたロッカーの辺りまで転がる。 「貴様に残された時間は少ないぞ。さあ、早速儀式を始めるとしよう。身体が完全に女になるまでに、そうだな、二時間といったところか。以降は」  僕が床にうずくまっているのを、黒いローブの奴らに無理矢理引っ張られ、起こされる。 「貴様には心も、身体も休まる時は無いと思え。常時私のものを入れ、私のものを注ぎ存分に孕ませる。  それから、私からの好意や愛などそもそもこの世には必要ないのだ、スオウ・ナオ。私は与える側ではなく、常に与えられるべき人間だからだ。そして貴様は私に快楽と子を与え、あっという間に消える、ただの消耗品だ」  ダメだ、この人。おかし過ぎる。

ともだちにシェアしよう!