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What I will become 何になる?18
「後はふたりで話し合いなさい」とダイアナに言われた。
「契約を成すには魔女本人の同意が必須だ。契約の魔法を実行するのは魔女だしねえ。ふたりでじっくり、考えることだ」
グラント家は、かなり遅めの就寝に入るということで、みんなそれぞれリビングを出て行った。ふたりきりになってから、
「外で話そう」
新太はソファから立ち上がり、僕の右手を掴んだ。新太は、座ったままの僕を引っ張り上げ、黙って歩き始めた。僕もまた、手を引かれ大人しくついて行く。
キッチンにある勝手口を通って、新太はハーブ園の中ほどまで来て立ち止まった。
もう、外はうっすらと日が差し始めていた。朝露に濡れた新緑が、そこここで、爽やかな芳香と光を放つ。
「直」
新太が、僕の左の手も取った。向い合せで見つめ合う。
「……目を見ても、すっかり大丈夫になったな」
「だってっ、それどころじゃ!」
「ああ、俺も、それどころじゃなかった」
新太は顔を下げる。はあっ、と大きく息を吐き、もう一度上げられたその瞳は、完全に濡れていた。
「あっ……新太!?」
ぼろぼろと、新太の目から雫が零れる。
新太が泣いていた。僕は狼狽え、手を差し出そうとするけれど、ぎゅっと両手を握り締められて、動かすことが叶わない。
新太は自分で涙を押さえようと、懸命に息を止めたり、吐いたり吸ったり、肩で頬を拭ったりする。でも、全然止まらない。
「っ、どうしてっ」
新太が、口を開いた。
「罠だ、危険だと気づいていたのに、どうしてすぐ知らせなかった! 何故事前に相談してくれなかった? 自分がどんな危険な状態に置かれてたのか、ほんとに理解したのか!?
どんなに忙しくても構わなかったんだ、ちょっとの違和感だって、俺は話して欲しかった!」
「だって、新太には大学が……」
「大学なんてどうでもいい、直以外、俺にはこれっぽっちも大事なものなんてないんだよ!」
僕を握りしめる手が、小刻みに震えている。
「自分がほんっとに情けねえから、一回しか言わない!
ほんとは怖かった、すっげー怖かったんだよ! 直がトラブルに巻き込まれてるって知って、俺はっ!!
高校の時、恭一郎さんと直が、魔法の打ち合いしたことがあっただろ? 何も知らない、何も出来ないばっかりに、俺は見てることしかできなかった!
直と離れ離れにされた後も、直はどっかでひとりで泣いてるだろうに、俺は助けに行くことが出来なかった! 傍に行って涙を拭いてやることすらできなかったんだ!!
怖いんだよ、嫌なんだ、あんな無力な自分にはもう、戻りたくない!
今回だって、もし俺の到着が遅くて薬酒を飲まされてたら? 悪魔召喚されてたら? 身体を勝手に変えられて、好き勝手されて寿命が削られてたら? 殺されてたら!?
俺はっ、どっか遠い場所で直が傷つけられる想像して、なのに危険な目に遭ってるその瞬間に、たった指一本分の距離ですら直に近づく術を持たない自分をぶん殴って呪いたくなる、あんな思いするのは絶対嫌だ! それにもし、もしも完全に間に合わずに直が……! だからっ」
僕は新太の涙を拭ってあげたくて、新太に掴まれている右手をもう一度動かす。
今度は、新太の頬にまで届いた。新太は僕の手をぎゅっと、自分の頬に押しつける。流れ落ちる雫が、新太と僕の手を濡らした。
新太が、大きく深呼吸をした。
「……だから俺は、自分のできることを全力でやった。だから、色んなことを勉強してきたんだ。直をあらゆるものから守れるように、自分が身につけられる全てを武器にしてきたつもりだ。
セバスとましろを交換したのは、意図的だった。もし何かあればましろが俺に知らせてくれるし、セバスも察知できると思って。
それでも間に合わなかった、直を傷つけられた。思い知ったよ、いまの俺じゃ全然足りない」
新太の声のトーンが下がった。背筋がぞくりとする。僕のせいだ。僕が、新太に覚悟を決めさせてしまった。
「ごめんっ、ごめん新太! 僕が今後気をつけるから! 何かあったら全部話すし、少しでも怪しいと思ったら、相談するし対処もする! ね、だから考え直して」
「嫌だ」
新太はゆっくりと、首を左右に振った。
「直は何も悪くない、ただ直を守りたい、俺だけのものにしたいっていう俺の身勝手な願望だから。
さっきも言ったけどさ。俺にとって直のいない世界は、俺が死んだ世界だ。そんなところに放り出されるより、お前を全力で守って、守り抜いた末に一緒に果てる方が、何千倍も、何万倍も良い。
だから直、俺をお前の、魔女の騎士にしてくれ。俺を受け入れて。俺の我儘を、聞いてくれよ」
「でも、僕が傷を負ったら新太が傷つくんだよ?」
「直の綺麗で滑らかな肌が傷つくより、全然マシだ。俺の方が断然頑丈だしな」
「切り刻まれるって」
「死んだ後の話だ。大丈夫、俺の魂は、直の魂のそばにずっといるから」
ボーフォートに言われた時よりも、魂という言葉が胸に刺さった。いま話しているのは仮定の話じゃない。僕達自身の終わりの話なのだと自覚させられる。
「……もしも、僕が早死にしたらどうする?」
「直が長生きできるように、俺が守る」
「もし、病気とか、突発的な事故とか事件とか、新太がどんなに頑張っても間に合わないようなことで死んじゃったら?」
「可能性は考慮してる。先生の先視 を聞いた時から……だからこその契約でもある」
「さき、み?」
「今後同じようなことに巻き込まれたら、って話だ」
「ね、新太が突然死んじゃったら、周りのみんな、お父さんもお母さんも、新奈ちゃんも凄く悲しむ」
「直が死んだって皆悲しむよ、一緒だ。そんで俺は多分、死にたくなるくらい苦しむ。いや、冗談抜きで死ぬだろうな」
「なっ……!」
「それくらい、直がいないとやってけないんだよ、もう俺は」
新太は手を離し、僕の顔を両手で包み込んだ。
「直。死は、誰にだって平等に、突然訪れるもんだ。
直にそれが訪れた時、きっと俺も死を選ぶだろう。でも自らそれを実行するんじゃなく、抗って戦って、結果として直と一緒に死ぬ時を迎えられたなら、めちゃくちゃ幸せだ」
新太の唇が、軽く僕の唇に重ねられた。
「なあ直、よく考えてみろよ。どうせ同じ時期に死ぬのが変わらないなら、お前を全力で守った後で死んだ方が良くないか? 俺、パワーアップすんだぞ、で、直を守るんだ。つまり、直が長生きできる確率が絶対上がる。ほら、何もしないよりは契約した方が、間違いなくお得だろ?」
新太はもう、泣いていなかった。代わりに、おどけたように笑う。僕も、思わず、ふっ、とつられて笑ってしまった。
「ずっと繋がっていられるなら、就職先もさ、悩まなくて済むよ。どこにいたって駆けつけられるはずだから。近くにいて気づかないより全然安心だ」
新太はまた、ちゅ、とキスをした。
「契約すれば、物理的でなくても直をずっとそばで感じていられるだろう。そばで守っていない間に直が受けた傷は、全部俺が引き受けられる。ピンチの時はすぐに助けに行ける……最期の最期まで直のこと、見ていられる、そばにいられる。
俺が一番欲しかったもの、なりたかったものだ」
新太の姿がぼやける。ぼとぼとと、涙が落ちた。今度は僕が泣いてしまった。
なんて人だ。
僕は、こんな風に愛をくれる人を選んだ。そして、選んでもらえたんだ。凄く嬉しい反面、失うのがとても恐ろしい。きっと僕も、新太がいなくなったら生きることに耐えられなくなるだろう。
目が合う。僕が僅かに口を開くと、新太はすぐに舌を入れてきた。新太の舌は、僕の舌と舌裏と口蓋を優しく擦り、あふれ出す僕の唾液を舐め取る。
「なおっ、んっ、なあ、俺の我儘を、聞いて、くれ……俺の、魂の片割れ。俺の、女神」
キスの合間に、新太が詠いの様な懇願する。
「どうか、俺の願いを叶えてくれ」
頬に添えられていた手は、僕の後頭部と腰に回される。きつく抱き寄せられ、舌が僕の口の奥深くへ侵入する。僕と新太の硬くなったものが、服の上から擦り合わされる。心拍数が上がり、身体中が火照り始めた。
僕のために、新太が契約を求めるなら。魔女の騎士になりたいと願うなら。
僕は生きなくては。強烈に、想う。
僕の命に添いたいと願う新太を守りたいのなら、まず僕が、自分自身の身を守らなくてはならない。絶対に、生き抜かなければ。そのために僕はどうしたら良い? 僕に、何が出来るだろう。
――――――――――――――――――――
「新太、新太!」
夢中で直を貪っていた俺は、直から背中をばしばしと叩かれた。顔を僅かに離すと、直の瞳がきらきらと輝いている。
「分かった新太! 新太が魔女の騎士になりたいのなら、僕も覚悟決めた。
新太だけに背負わせたりしない、僕も、強くなる! 僕だって、あんな悔しい思い二度としたくないもん……うん、出来る、やり方は理解してる! いまから書き起こして、ダイアナに相談して」
すぽん、と身体が引き剥がされた。直はひとり何度も頷き、早歩きで屋敷へ戻っていった。直の温かな体温が消え去り、身体が一気に冷える。
きゃきゃっ、と小さな笑い声が聞こえた。いまさら、辺りで輝いていた朝露の光が俺の周りを取り囲んでいるのに気いた。ああ、朝露と思ってたがこの光、ウィー・フォーク だったのか。
「あれはまた何か、新しい魔法陣を作るとか、そういう方向? 止めた方が良いか?」
俺達のことを心配して姿を現していたのであろう、セバスとましろに問いかける。
『やり方は理解していると仰られてましたので、そう時間はかからないでしょう。お待ちになって大丈夫かと』
「てかこれ、完全にエッチに移行する流れだったよな? 俺の息子、めっちゃくちゃ臨戦態勢なの放置されたんだが」
『それはお可哀想に』
『早々に気合でお鎮めなさいな』
「ははは、ましろ姉さん厳しい」
俺はひとしきり笑い、あー、と声を出した。
「な、いまさらだけどさ、ふたり共。俺達に付き合わせちゃって、悪いな」
『そのようなこと仰らないで、アラタ。私は最初から、おふたりがこのような道を歩まれると確信しておりました。だからこそ、あなたを選んだのです』
『わたくしは、直様が大好きで、大切で、尊敬しております! 新太様は、何があっても直様を守って下さるのでしょう? ではわたくしは、ついて行くのみです!』
『そうですよアラタ、あなた方には私達がついております。ナオの命が尽き、アラタ、あなたの命の尽きるその最期の時まで、おそばにおりますわ』
俺はしゃがみ、足元で胸を張り座る二匹の小さい顎を、人差し指で擦った。
「セバス、ましろ。ほんとにありがとな」
『いまさらですわ』
『いまさらですね』
「ふっ……さて、行くか」
立ち上がり、伸びをひとつ。すっかり明るくなった雲一つない青空を眺める。
『アラタ?』
ましろが、覗う様な声で俺の名を呼んだ。そうだ、気を抜くと、ましろには筒抜けになるんだった。
俺は首をぶんぶんと振り、
「何でもない、行こう」
今度こそ、屋敷へと歩き始めた。
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