21 / 49
Walpurgisnacht ワルプルギスの夜3
「安心して、着衣参加だから」というパティの言葉を聞いて、俺は改めてウィッチクラフトの集会が、着衣無しで開催される場合があることを再認識した。
そうでしたそうでした。自然に近い形が基本だもんな。
ただ、四月末のスコットランドはまだまだ寒い。近年では、布を纏う煩わしさより健康第一、の傾向が高まっているらしい。というわけで、今回は着衣必須なのだそうだ。
つか、直が俺以外の前で裸で魔法使うとか! あの姿、エロ綺麗にも程があるのに。
「だああああやっぱ誰にも見せたくねえぇぇぇ!」
ボウルの中のハンバーグのタネを、ビニールの手袋越しに力一杯押し込み、控え目に叫ぶ。
『え、何がです?』
大ぶりの鍋におたまを突っ込み、アクを取り除こうと奮闘中のセバスが問うてきた。
あ、なんか猫頭の執事見たら、ちょっと冷静になった。そうだな、今回は着衣参加だからな。うん、落ち着こう、俺。
「……いや、何でもない。それよりどう、ダシ出てそう?」
セバスが大きいスプーンの半分程にスープを掬い入れ、念入りにふーふーし始めた。ああ、猫舌か。
セバスにはチキンブイヨン作成を担当してもらっている。中身は骨つきの鶏肉と、セロリ、人参、玉ねぎと数種類のハーブ。到着してからずっと煮込んでいるから、もう良い頃合いのはずだ。
俺は、日本から初めてスコットランドに出立する際、鰹節、和風だしの素、顆粒状ブイヨン、中華だしの素をひと通り揃えて荷物と一緒に空輸した。
更に、去年帰国した際、自分が納得できる味で味噌汁を作るため、麹菌も送った。最近は、ぬか床も作り始めている。
それらを使って料理すれば、俺の舌で判断するに、外れはない。そしてカヴンの皆様にも、俺の料理は通用しているようだ。勉強してきた甲斐があるってもんだ。
元々料理なんて、やったことはなかった。学び始めたのは、こっちの大学を受験する前のことだ。俺が心の病に冒されているのではないかとまだ勘ぐっていた母さんをおだてなだめすかしてなんとか教わってきた。全く、妙なところで苦労した。
まあ正直なところ、直が美味しいと感じて、ちゃんと食べてくれることが俺としては一番重要なのであって、それが達成できている時点で他はどうなろうと構わない。
いや、そんなことはないな。直の人間関係が円滑に進むことも重要だ。
サバトの件だってそうだ。直のこれからの社会人生活のことを考えて、俺は直の参加に同意したんだ。
『……ふむ、良い感じですな』
ようやっとスープが冷めて、セバスは味見ができたらしい。
「うっし。じゃあ中身全部取り出して。んで、俺がさっき切った、テーブルに載せてる野菜全部ぶち込んじゃって」
『承知』
今日のキッチンの正式な助手はセバスだ。家事全般拒否のましろはもちろん戦力外。温室のハーブの手入れをしに行った直と一緒にいるはずだ。
後は、お小さい方々 の中でも固定のメンバー。
俺は少しだけ身体をテーブルの方に向けて、直視しないよう注意しながら、がたがた動くボウルを視界の隅に入れる。
子どもくらいの大きさの、毛むくじゃらのおっさん――グローガッハ、というらしい。家事手伝いをしてくれる、ブラウニーという妖精の一種――が、せっせと生クリームを泡立ててくれている。彼らは軒並み真面目で親切なので、任せておいて構わない。因みに、どういう経緯なのかは不明だが、カヴンの集会の際には偶にグローガッハの数が増える。誰かが連れてきているのかもしれない。
それから俺の身体の両脇に陣取っている、光る妖精。様々な色が集まって、虹色に光って見える。ニムブルメンと、メリー・メイド、だったっけ? 若干言いづらいが、確かそんな名前だ。
白く光る方が男、ニムブルメン。その他たくさんの彩りで光るのが女、メリー・メイド。
こいつらは、元々いたずらをする傾向が強いのだという。だが、俺のやることを眺めるのは、いたずらより面白いらしい。常に大人しく、俺の近くをつかず離れず漂っている。
というか、ほぼ漂っているだけだ。手伝いや手出しは一切無い。
ごく偶に、暗い場所にあるキッチン用具などを探していて、懐中電灯代わりになってくれるとか、その程度だ。
そういや、そろそろだな。
俺は手袋を外す。念の為手を洗い、大きな平皿を戸棚から取り、テーブルに載せ、キッチンの隅に置いていた自分のデイバッグから、昨晩焼いたカラス麦のクッキーをひっぱり出して皿に並べる。加えて、冷蔵庫からミルクと蜂蜜を取り出し、それぞれコップと皿に入れる。
「今日もありがとな、どーぞ、食べてくれ」
お地蔵さんへのお供え物感覚だ。
きゃきゃっ、と、小さい子どもが笑う様な声が、微かに聞こえた。
そうそうこれ、気づいたら聞こえるようになってたんだよな。多分、お小さい方々 の声だ。喜んでもらえているようで、良かった良かった。
さて、俺はハンバーグの成形に入るか。
手袋をもう一度はめ直し、ボウルからタネを、適当な量とって、ぱっしん、ぱっしんと右手から左手に落とす。
今日は、四月三十日。直の誕生日で、サバト初参加の日だ。
「行ってこいよ」という、自分の言葉を撤回するつもりはない。あんなにグラント家全員が必死になって俺を説得にかかった、ってのは、それ相応の理由があるからだ。
“迫害の時代”。
ヨーロッパにおける、魔法使い不遇の時代。それはごく近年まで続く、長い長い抑圧された、もっとはっきり言ってしまえば、血塗られた時代だ。
魔女狩りも悲惨だったが、それよりも前、一神教が興り、布教活動が活発化した紀元後。一神教の布教活動者達は、布教するにあたり、紀元前から各地に根付いていた宗教や信仰を、その信者ごと、徹底的に潰していったという。
各地で信仰されていた神々は、天使や悪魔、その他諸々のモノに形を変え、吸収されるといったこともあったらしい。
形成し終わったハンバーグを、バットに移し、またタネを取って、ぱっしん、ぱっしんと空気を抜く。
宗教とは、人の残忍な本性から人を救うためにあるのか、それとも人の残忍な本性を引きずり出すものなのか。
「新太、どんな感じ? 僕も手伝おうか?」
いつの間に開かれたのだろう、勝手口から、直が呼びかけてきた。日の光を背に受けて、きらきらと煌めいて見える。
はあっ、と息を大きく吐き出す。知らず知らずのうちに、息を止めていたらしい。
考えても答えは分からない。ただ俺の中ではっきりしているのは、俺には女神がいる、ってことくらいか。
「……どしたの、疲れちゃった?」
「いいや、大丈夫。今日は直の誕生日だろ、リビング行っとけよ」
「えええ、みんな動いてて、誰もリビングにいないし。何かやらせて」
「んー、そうだなあ」
誕生日の直を働かせるなど、言語道断なのだが。
「あ、良いこと思いついた」
「え、何?」
「直、こっち来て」
直が、ぱたぱたと小走りで近づき、俺の隣に到着した。
「よし。んじゃ、しゃがんで」
「ん、こう?」
俺はバットの上に、ハンバーグのタネを握ったままの手袋を外して置き、両手を再び輪っかの状態にし、直の頭上で待機する。
「はい、立ち上がってー」
「……何これ」
直が、俺の腕の中にすっぽり収まる形になった。
「はい、ちゅー!」
「んなっ!」
直の顔がぶわわと赤くなった。視線があっちこっちに揺れている。周りを気にしているのか?
「ほら、直の仕事。俺のやる気、出させてくれよ」
「……んもう、あっちのヤる気は、出さないでよ?」
直が、俺の首に腕を絡めて、厚い唇を少し開け、顔を傾け寄せてくる。
「さあ、どうかな?」
笑う俺の唇に、柔らかく温かな感触が当たる。水を湛えた舌が、口の中に入ってきた。
俺はその水を、唇と舌を使って吸い取り、音を立てて飲み込む。
俺の、甘い甘い命の泉。
きゃきゃっ、と笑い声が聞こえた。
ともだちにシェアしよう!