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Walpurgisnacht ワルプルギスの夜5

 玄関先で直達を見送った俺は、再びハーブ園に戻った。座り込んで、そのまま動けなくなった。  どれくらいの間、そうしていただろう。  日が翳り、気づけば辺りに闇が迫っていた。  スコットランドは緯度が高く、この時期、日が落ちるのが遅い。恐らくいまは、二十一時近くか。  太腿の上にましろを載せて、出かける前の直とのやり取りを反芻しながら、その背を撫でる。  さすが直。出発の時もイケメンだった。 「グラント家でお留守番、よろしくね? ちゃんと戸締りして、良い子で待ってるんだよ」  そう言って、またおでこにキスをしてくれた。未だに直の唇の感触が残って、くすぐったくて気持ち良い。  俺は素直に言いつけを守っている。ここで心ゆくまで黄昏れるために、屋敷内の戸締りは全部してきた。  うん、俺は良い子だ。  いつからか、直には余裕ができた。相変わらず恥ずかしがるし、嫉妬もする。でも、以前よりは全然、落ち着いている。取り繕えるようになった、というか。  しかも時折、不思議な自信に満ち溢れていて、その自信は、直の美しさをいや増す。  俺の巨大すぎる愛が伝わった? もしくは俺が周央家に養子に入ったことが、心を落ち着かせた? ペアリングの効果? それとも就職先が無事決まって、早くも大人の余裕が出てきたのか。 『様々な要因が重なって、でしょうね。  巨大すぎる愛が伝わった、は恐らく違いますわ。アラタは未だに真実を隠しているではありませんの。  さて、ナオが全てを理解した時、どうなる事やらですわね』  あれ、また考えてることダダ漏れか。 『完全に気が抜けてますわよ、アラタ。ナオがいないと、とんとダメな子になりますわね。  ところでアラタ、寒くありませんの? 随分と気温も落ちてまいりましたわ』  これ、ダイアナにバレたらまたどやされそうだな。てか、使い魔持ってる魔女って、そんな四六時中気ぃ張ってんのか? 「それより、真実って?」 『アラタが既に確信を得ていらっしゃって、ナオにお話しされていないことです。  余計なことを語らないのは美徳ですわ。しかし、伝えなければいけないことは、余計なことではありませんわよ』 「はあ、何のことやらさっぱり」  俺は肩を竦めてみせる。 『あらま、本心を隠しましたわね? これが常に出来れば完璧ですのに』 「そう言うなよましろ。俺だって、これが隠せててあれが隠せてない、っていう見分けすら覚束ないのに」  はあぁぁぁぁぁ、と長い溜め息が出た。 「直……」  変な奴に引っかかってないだろうか? おかしなことや、危険なことは? 心配だ。心配すぎて心臓が不整脈を起こしそうだ。  絶対に言わないと決めていたから黙っていた。本当は、俺も行きたかった。もしくは直を、行かせたくなかった。  俺が知ってる魔女は、『森と結界の守護者』と『森の守り手』のメンバーだけだ。どの人も、面白く楽しく、気の良い人ばかりだが、きっと別のカヴンは、そういう人ばかりでは無いだろう。  それだけじゃない。内容はざっくり聞いたものの、サバトがどんなものか、やはりはっきりとは把握出来ていない。もしもサバトが、変なことをやらされるものだったら? サバトが変なものじゃなかったとして、それでも最中に、何か大変なことが起こったら? みんな自分のことで精一杯になって、直が置き去りにされたら?  魔力量が半端ないってのは昔から知ってるし、俺と毎日セックスして、精液を魔力に変換してるんだからそこは間違いないだろう。  しかも、今回就職が決まった魔法薬剤師は、かなり狭き門なのだとさんざん聞かされてきた。資格試験合格必須、しかもその試験を受けることを認められるのは、大学内で常に成績上位だった者だけだという。魔力量云々だけではなれない職業。  つまり直は、優秀な魔女ということだ。魔女としてだけでなく、魔法使いとして評価されていることは理解している。直の能力を疑っているわけじゃない。  でも、万が一、ってことがあるじゃないか。  それに。  高校の時、直と恭一郎さんがお互いに魔法を撃ち合っていたのを、どうしても思い出してしまう。  俺は止めることも、加勢することも出来なかった。ただ、直の背に守られていただけ。その後も、直が去るのを止められなかった。  誰にも言っていないが、あの時のことは俺の中で、若干トラウマっぽくなっていて、しかも、年々それが酷くなっている。  俺が魔女でないことが、俺と直を隔てる。魔女しか参加できないもの、魔女しか入れないもの、魔女だけが知れること、魔女だけの世界。  いままでは、ありがたいことに様々な場面で優遇してもらえていた。それは周りの人達の好意でやってもらっていたからであって、いつまでもこういう感じではいられない。直の活動の幅が広がることにより、俺が介入できない場所や場面が増えるだろう。  じゃあ俺が魔女になれば良いのか?  俺は魔女に向いているらしい。魔女になれば確かに、一緒に行けるところも増えるだろう。  直は、魔女として魔法薬剤師になる。  同じ職を選べば、常に近くにいられる可能性が、他の道を選ぶよりも格段に高くなるはずだ。  でも、そういう考え方は違う気がする。魔法薬剤師が難関だ、ってのを別にしてもだ。  俺は言ったはずだ、「ふたりして同じことをする必要はない」と。別の道を選ぶことで「他の人よりもたくさん、いろんな景色を見れる」と。  じゃあ俺は? 俺は何になる。俺の望みは?  直のそばにずっといたい。直を、守りたい。でも想いだけでは、どうしようもないことが理解できるくらいの分別はある。  選ぶにしても何が選択肢になるのかすら分からない。  俺は、何になる?  望みはシンプルなのに。直の傍に、いたいだけ。  景色が滲む。  ああ、直がいないとほんとダメだ、俺。  目の前に、すいー、と光が漂ってきた。ちょっと眩しい。目を細めると、ぼろっ、と涙が落ちた。手の甲で乱暴に拭う。  辺りはもう真っ暗だ。  てか、こいつらって。いつも料理中にふよふよ漂ってるのと同じ奴らだよな? 「今日お前らにやる分は、もう無いぞ?」  用意していたカラス麦のクッキーも、牛乳も蜂蜜も、全部使い切ってしまった。  俺の言葉が伝わらなかったのだろうか、まだ、光る妖精は目の前に留まっている。しかも、数が徐々に増えてきた。  何だ、どうしたんだこいつら?  そういやおかしい。いつもなら、俺の視界に入らないぎりぎりの位置にいたはずだ。俺もわざと視線を外して、それがお互い暗黙の了解のようになっていたのに。  顔を背けようとするが、俺の向いた方に回り込み、やっぱり目の前にいようとする。  何度繰り返しても、回り込んきて、眼前をうろうろする。 「……おい、ニムブルメン、メリー・メイド、お前ら何がしたいんだ?」  色とりどりの光が集まり膨張していく。子ども一人分くらいの大きさにはなってきたか。  何を意図しているのか、さっぱり分からない。 「困ったな……」 『流石に妖精の言葉までは、聞き取れませんのね、アラタ』  膝元のましろが、おどけた調子で言う。 「当たり前だろ、俺そんな超人になった覚え無えよ!」  自慢じゃないが、直と深く関わる以前は、魔法とか霊とか妖怪とか妖精とか、不思議系の類のものとは一切ご縁がなかった。 『笑い声が聞こえるだけでも、普通ではありませんのに……この子達、先程からアラタに「ついて来い」、と言っておりますのよ』 「は? お前、こいつらの言ってること理解できるのか!?」 『私こう見えて、妖精の端くれですもの』 「あ、そういやそうだった。ん? てか、どこに?」 『さあ。ただ、大変に興奮しているのは伝わってきますわ。「面白いことが起こるから、とにかくいますぐ」と』  へえ。面白いこと、ね。 「……よし、行くか」  よっ、と腰を上げる。  ましろは綺麗に地面に降り、俺の足に前脚を置いた。なんとも小さく可愛い足留めだ。 『そんなに軽々しく決めてはいけません! いいですことアラタ、今宵はこの世とこの世ならざる世界の境目が緩み、全ての魔力が高まる特別な夜です!  それにお小さい方々(ウィー・フォーク)は猫より気まぐれで、タチの悪いものもたくさんおりますのよ? Seelie(シーリー)Court(コート) Unseelie(アンシーリー)Court(コート) といって……』 「大丈夫じゃね? こいつら、いつもの奴らなんだろ?」 『お聞きなさいな、アラタ!』  悪い予感は全然しない。  きっとこれ、餌づけ? が成功してるってことだよな。まさかどっかに誘ってくれる様な展開を期待してやってたわけじゃないが。 「ま、気晴らしにはなるだろ。行こう、ましろ」  俺はしゃがんでましろの前脚を掴み、にぎにぎと握った。 『気晴らし!? 何かあったら……』 「お前が助けてくれるだろ?」 『んまあ、(ひと)任せですの!?』 「なあましろ、お前旅行好きだよな。もしかしたら、いままで見たこともないような場所、見られるかもだぞ?」 『……!?』  ぴょん、とましろの耳と尻尾が跳ねる。目がキラキラ輝き始めた。分かり易いな。  俺は笑って立ち上がり、光の妖精が作り出したアーチの下を、森の方に向けて歩き出した。  振り返ると、ましろもしぶしぶといった態で――しかしその足取りは、軽快だ――ついて来る。  きゃきゃっ、あははははっ、と笑い声が聞こえた。うん、皆、楽しそうで何よりだ。

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