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第46話 銀狐、同室になる 其の三

          ***    旅の宿において、湯殿のある宿の方が少ないのが現状だ。この宿はまだ親切な方で、望めば桶の中に香りの良い春花を浮かばせた湯と布巾を提供してくれる。それを個別に仕切りのある拭清処(ふききよめどころ)で身体を清めるのだ。  夕餉を済ました二人は拭清処を利用した後、夕餉のことどを談笑しながら、二層目にある今宵就寝する為の部屋の前に着いた。  鍵を預かっていた白霆(はくてい)が引き戸を開けて、どうぞと(こう)を誘導する。  思えば自分を口説くと言っている相手よりも、先に部屋に入ることがどういうことなのか知っていたら、先に入らなかったのかもしれない。  そう思っても、もうあとの祭りだった。   「──っ!」    片腕で抱き竦められる。もう片方の手で器用に引き戸を閉める音が聞こえて、晧は身体をびくりと震わせた。   「……っ、はくて……」 「──すみません、晧。何も、何もしません。ただ……少し……少しだけ、こうさせて下さい」    かちゃりと内鍵を引っ掛ける音が、とても大きく聞こえた気がした。  やがて白霆(はくてい)の両腕が晧を背中から抱き締める。  すっぽりと腕の中に入ってしまう所為か、まるで白霆(はくてい)の香りに自分の身体のほとんどを支配されているかのように感じた。  拭清処の春花の香りと、やがてそれを上回っていく春の野原の草花のような香り。それらに捕らわれてしまって、晧はどうしても動くことが出来ない。香りと共に背中から胸の辺りに伝わる白霆(はくてい)の温かい体温に、全身が本能が喜んでいる。   「晧……ありがとうございます。私は嬉しかった。貴方が旅に同行してくれたことも、こうして同室を望んでくれたことも。今日一緒に綺麗な夕陽を見ましたね。一緒に美味しいと言って夕餉を食べることが出来たこと、本当に嬉しかったです。旅はあと少しです。もう少しだけ、どうかお付き合い下さい、晧」 「……白霆、俺は……」    晧、と白霆(はくてい)が名前を呼ぶ。  まるで何かを言い聞かせるかのように。  済みませんと耳元で囁かれ、耳輪に落とされた接吻(くちづけ)に気を取られている内に、白霆(はくてい)が離れていく。   「今日は休みましょう、晧」    何も言えないまま晧はこくりと頷いた。  同室といえども寝台はふたつある。  この宿には眠衣(ねむりぎぬ)は用意されていないらしい。そういった宿も多いので、二人は特に気にせずに上衣を脱いで下衣姿になる。  おやすみなさいと、眠る前の挨拶をする白霆(はくてい)に晧もまた応えを返した。  色々と思うことも考えなければならないこともある。  今晩は果たして眠れるだろうか。  上掛けに潜り込む彼を見つめながら、晧もまた頭まで上掛けを被ったのだ。                        

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