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第69話 銀狐、向き合う 其のニ

(ああ……)    あの時の男だと(こう)は思った。  婚儀の相談の時に現れた、自分よりも遥かに体格の良い、冷たい焔を宿したような灰銀の目を持つ男。  彼に視線を送られた瞬間、ぞくぞくとしたものが背筋を駆け抜けたことを、今でも覚えている。    自分を屈服させ、食らい尽くす雄だと。  自分の胎内を、剛竜と化した雄蕊で蹂躙する雄だと。    本能的な恐怖を感じて自分は、この男から逃げたのだ。  だが今だから思う。  あれは『恐怖』ではなく『戸惑い』だ。  勿論、体格の良い男のアレを受け入れることになる恐ろしさもあった。   だが一番は、ずっと可愛い可愛いと思ってきた年下の許婚竜が、成竜になって人形(ひとがた)を成した途端、雄の目で自分を見てきたことに対する戸惑いだった。  不思議なことに今はもう、あの時のような恐ろしさや戸惑いは感じない。   (……でも……)    晧の中に全く別の種類の戸惑いが生まれつつあった。   (今から……俺、白竜(ちび)に薬、飲ませる、のか……?)    酔血払いの薬を。  戸惑いは、一気に緊張へと変わった。   「──っ!」    同じ人物だ。  姿が変わっただけだ。  先程まで薬を飲ませていたというのに、人の気配から真竜の気配に変わってしまった所為で、今から初めて接吻(くちづけ)をするような気分になってしまう。   (……いや、初めてだ)    白霆(はくてい)とは何度も交わした接吻(くちづけ)が、白竜(ちび)とは初めてなのだ。  晧は震える手を鼓舞するかのように、一度ぎゅっと拳を握り締めた。そうして深く呼吸をして震えが止まるのを待ってから、緑色の小瓶の蓋を開ける。  先程と同じ要領で少量を口に含んでから、白竜(ちび)の口に薬を送り込んだ。   (あ……)    唇が触れ合う。  同じだ、と晧は思った。  優艶な薄い唇の柔らかさが、全く同じだと。  緊張で張り詰めていた身体が途端に緩む。  こくりと白竜(ちび)が薬を飲んでくれたというのに、この唇から離れて薬を含む時間すら惜しいと思ってしまうほど、離したくないと思う自分がいる。    あとほんの少しだけ。  少しだけ触れ合っていたい。  そうしたら離れるから。    晧がそんなことを思った時だ。  まるで応えを返されるかのように、舌を僅かに舐められて晧は思わず顔を上げた。    灰銀の目と視線が合う。    あの時見た、冷たい焔は一体どこに行ったのだろう。  蕩ける白い蜜のような優しい瞳で見つめられて、嫌というほどに胸が高鳴った。まるで彼の熱がうつってしまったかのように、顔が熱い。   「……くすり、飲ませて下さらないんですか……?」 「あ……」     声も口調も同じだ。  もしかしたら『白霆』は『白竜(ちび)』の素の部分そのままだったのか。  考えようとした思考は白竜(ちび)の言葉で霧散する。   「飲ませて……晧」 「──っ!」    どうしようもなく気持ちが昂って仕方なかった。  晧は小瓶に残った薬を全部口に含むと、白竜(ちび)に齧り付くかのように口付けた。こくこくと喉を鳴らして薬を飲む彼の姿に、言い様のない庇護欲と劣情が生まれてくる。  やがて口の中の薬がなくなって、晧が僅かに唇を離した刹那。  唇ごと食らい付くかのような接吻(くちづけ)が降りてきて、晧はびくりと身体を震わせる。だが気の遠くなるような気持ち良さに、いつしか二人はお互いに貪るように接吻(くちづけ)を求め合ったのだ。           

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