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第102話 銀狐、恥ずかしがる 其の三

 だが動きを止めたまま何も言わない(こう)を、別の意味に捉えたのだろう。白霆(はくてい)が申し訳ございませんと、晧に謝る。   「………貴方があまりにも愛らしかったので、貴方が気を失った後も、人形(ひとがた)に戻って……その……」 「──っ!」    晧は上掛けの中で、顔を赤らめた。   人が気を失った後に何をしてるんだ、という気持ちが湧いてくる。だが同時に晧は思い出していた。竜形での目合いで気を失ったあと、暫くしてからほんの少しだけ意識が浮上したことを。  夢と現実の狭間のような、どこかぼぉうとした世界の中で、白霆が自分の名前を呼んで求めている。揺れる身体があまりにも気持ち良い。その気持ち良さがもっと欲しくて、自分は白霆に何かを言ったのだ。それから身体の揺れは更に強くなった。  きっとこの記憶がいま白霆の言った『竜形の後の人形』なのだろう。   「……晧、すぐに治しますので」    白霆がそう言った刹那、背中にあった彼の手からあたたかいものが流れ込んでくる。   「──っ、待て、白霆!」    咄嗟に振り返った晧は、腰の痛みで呻きながらも白霆の手首を掴んだ。いま感じた『あたたかさ』は白霆の神気だろう。ふわりと懐かしい春の野原に咲く、草花のような香りが辺りを占める。神気には傷を始めとしてた『痛み』を治す『力』がある。白霆はこの『痛み』を治そうしてくれたのだ。  だが。   「……治すな」 「晧?」   「この痛みはお前と目合った証だ。お前が初めて俺に与えてくれた痛みを……消さないでほしい、白竜(ちび)」 「──っ! 貴方は本当に……っ」    ぐる、と白霆が竜の唸り声を上げながら、晧の側に横たわる。腕の中に抱き締められれば、視界は白霆の胸でいっぱいになった。  晧はすん、と白霆の香りを嗅ぐ。  あまりにもいい香りに額を胸にぐりっと押し付けた。腰も痛いというのに、ぱたぱたと喜びを素直に表す尻尾。そんな晧も見て白霆は何を思ったのか、頭上から彼の深い深いため息が降ってきた。   「……晧」    慈しむように狐耳に幾度も接吻(くちづけ)を落とされて、晧はカカカ狐の声で鳴く。尻尾もまたぶんぶんと勢いのある振り方へと変わっていく。まさにそれは銀狐の本能であり、求愛行動の一部だった。   「……晧、怒らないで聞いて下さいね」 「──ん?」 「やはり私は、貴方の『痛み』を治したいです」 「だから……それは……」 「──治してもう一度……貴方に差し上げたい。貴方が望むなら『痛み』を。ですが今度は後で『痛み』が出ないように、もっと丁寧に貴方を……抱きたい」 「──っ! まさか今から、か……?」 「貴方の負担になるからと我慢してました。ですが……すっぽり上掛けに(くる)まっていた貴方の姿も愛らしかったというのに、あんなに可愛いこと言われてたら……我慢なんて出来ません」    耳に吹き込まれる声に、夜の艶を感じ取って晧の狐耳がびくびくと動く。   「だめ、ですか? 晧……?」 「──っ!」    晧の身体を抱き締めていた手が、ゆっくりと腰の線を擦り臀に辿り着いた。ただそれだけの動きで上がってしまいそうになる息を、晧はぐっと奥歯を噛み締めて遣り過ごす。  ああそうだ、昔からそうだった。  この子を守りたい。あまり甘やかしてはいけないと思いながらも、この子の望むものを叶えてやりたい、と何度思ったことだろう。  結局自分は昔から白竜(ちび)の甘え上手なお願いに、勝てた試しなどなかったのだ。    深い深いため息をつきながら、晧が分かったと応えを返せば、白霆がきゅうと竜の鳴き声で喜ぶ。  何とも言えない気分のまま。臀に触れている手から少しずつ溢れ出す神気のあたたかさに、晧は身を委ねた。   「あと約束も守って下さいね、晧」 「……っは……やく、そく……?」 「──温泉」 「あ……」 「ここ離れの部屋なので、専用の温泉があるんですよ。一緒に入りたいです」 「……変なこと、するなよ」 「……」 「こら、白竜(ちび)……っ!」             ***    その後、二人が麗城に帰城したのは十数日も後のことだった。その内の数日間は、宿の離れにずっと籠もっていたのだが、何をしていたのかは言うまでもない。  帰城して晧は式と入れ替わって遊学を続けていたが、やがてそれも無事終える。紫君(しくん)とその番に礼を言って晧は、銀狐の里へと帰った。途中紅麗の街に寄って、薬屋の麒澄(きすみ)にも礼を言うことも忘れなかった。  白霆とはここでお別れだった。  次に会うのは婚礼の日だが、晧は何度か里を抜け出して紅麗にいる彼に会いに行っていた。  きっとその全てが原因だったのだろう。  婚礼の日まであと一月(ひとつき)というところで、晧と白霆の婚礼は延期となった。  晧の妊娠が分かったからだ。  しかも晧は自分が身篭っていることに全く気付いていなかった。そういえば少し前まで気持ち悪かったが、食べ過ぎだと思っていた。しかも最近は少し腹が出てきていたので、婚礼までに引き締めようと思っていたぐらいだった。  そんな晧の妊娠を一番に見抜いたのは、番の作った清白(すずしろ)を土産に里を訪れていた紫君だった。   「おめでとう、晧。赤ちゃん出来たんだね」 「──は?」 「え? 晧の中に別の気配が二つするよ?」    紫君のこの言葉によって、晧は里の者に連れられて麒澄の元を訪れた。診察によって確定した妊娠に、その場にいた白霆はあまりの嬉しさに白竜に転変し、きゅうきゅうと鳴いたという。      それから暫くして。  産まれてきたのは元気な雄狐と雄竜だった。     婚礼の儀は晧と白霆の希望で、彼らが少し大きくなってから執り行われることとなった。       大勢の人の喝采が聞こえる、その中心に。  紅の婚礼の衣装に身を包んだ晧と白霆がいる。  その両隣に祭礼用の衣着をきちんと着込んだ、小さく愛らしい幼狐と幼竜が、誇らしげに自分の両親を見つめていた。  二人はとても幸せそうな顔をして、接吻(くちづけ)を交わす。  途端に大きくなる拍手喝采に、晧と白霆は顔を赤らめながらもお互いを見つめ、やがて大きく笑ったのだ。    【終】

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