102 / 107

番外編 銀狐、温泉に入る 其の一

 湯殿の脱衣処の前で(こう)はひとり、ため息をついた。  何故自分は分かったと、(いら)えを返してしまったのだろう。叶うのならば少し前に時を戻してしまいたい、そんな心境に駆られる。  昨日は白霆(はくてい)と心が通じ合い、初めての情を交わした。  (のち)(あした)、目を覚まして身体中が怠く腰の痛む晧を、白霆が治そうとした。だが晧は初めて白霆から貰った目合(まぐわ)いの痛みを、治して欲しくなった。  きっとそれが白霆の情の焔に火を付けたのだろう。    ──私は、貴方の『痛み』を治したいです。  ──治してもう一度……貴方に差し上げたい。  ──貴方が望むなら『痛み』を。  ──ですが今度は後で『痛み』が出ないように、もっと丁寧に貴方を……抱きたい。    その言葉通りに晧の『痛み』を治して、朝だというのに白霆と晧は肌を重ねた。昨夜よりも丁重な白霆の手付きに晧は翻弄されて、あまりの焦れったさに自分から白霆を求めてしまった。意識は失わなかったものの、忘れてしまいたいようで忘れたくないような、正反対の気持ちが心の中で鬩ぎ合う。それほどまでに、じわりと身体の奥に熾火を残すかのような優しい目合いだった。  それから遅めの朝餉である粥を食べて、休憩していると白霆が言ったのだ。  今から一緒に温泉に入りましょう、と。  返事に戸惑っていると、まるで晧の態度を初めから分かっていたかのように、白霆の身体が光を帯びる。  転変の光だ。  光は白霆の人の形を変えていく。  次に晧が見たのは、かつての小さな白竜の姿だった。  晧は昔読んだ真竜に関する文献の、ある内容を即座に頭の中で思い出す。  成竜を迎えた真竜は、自分の元の大きさまでならば自由に竜体の大きさを変えることが出来る、と。  小さな白竜は、くりっとした大きな翠水の瞳を晧に向けると、こてっと首を傾げながら、きゅうと鳴いた。    ──だめ、ですか?     脳内に響く白霆の思念に、晧はぐっと言葉を詰まらせた。   (──絶対確信犯だ……っ!)    この姿だったら絶対に断らないだろうという、白霆の戦略は確かに絶大だった。   ああ、何で自分は『分かった』と、応えを返してしまったのだろう。  言質は取ったと言わんばかりに、瞬く間に人形(ひとがた)へと転変を成した白霆がにこりと笑う。  そうして晧に言ったのだ。    ──先に湯殿に行ってて貰えますか?  ──遅めの朝餉でしたので、昼餉はいらないと宿の者に伝えてから後で向かいますので。夕餉のことも少し相談してきますね。    晧は何も言えないまま、白霆の言葉に頷いた。   

ともだちにシェアしよう!