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番外編 銀狐、本当の大きさを知る 其の九

 まさか白霆が薬を燃やすなど、思ってみなかったのだ。そんな出来事に遭遇して、ただ茫然とする。  彼はどうしてこんなことをしたのか。  自分に謝る白霆を見て、その答えにどうしても心が揺さぶられて堪らなくなる。   『……白竜(ちび)……?』    晧はもう一度、今度は彼を気遣うように名前を呼んだ。  すると白霆の身体が大きくびくりと震える。   「晧……話し合うこともせず、勝手な真似をして申し訳ございません。でも私は……」  『俺に……飲んでほしく、なかった……?』 「……はい」    真摯なほどに自分を求める灰銀に見つめられて、心が昂って仕方なかった。    ああ、同じ気持ちだったのか。  お前も望んでくれたのか。    嬉しさの中に潜む情欲を隠すことなく、晧は自身の口吻を白霆の口元に寄せた。  瞬く間に銀狐の姿から人形(ひとがた)へと姿を転変させて、白霆の薄い唇に触れるだけの接吻(くちづけ)を交わす。   「晧……」 「……お前が麒澄医生から薬を受け取った時、正直言って……その……心が痛かった。お前は望んでないのかと思った」   「──っ、本当は貴方も私も、飲まなければと思ったんです。ですが……貴方の初めての発情期を、薬なんかで邪魔されたくなった。それに……」 「それに?」    いつも滔々と話す白霆が珍しく言い淀む。  だが灰銀の瞳のぎらついた揺らめきだけは、彼が自分に対して何がしたいのか何を求めているのかを、雄弁に語っていた。  晧は思わず吹き出すように、くすりと笑う。   「なあ、白竜(ちび)。お前と発情期を迎えるにあたって、頼みがあるんだ」 「……頼み、ですか」    何を言い出すのかと言わんばかりに、一気に不安げな表情へと変わる白霆がいた。何とも言えず愛おしいと思うのと同時に、そんな顔をして欲しくなくて晧は再び軽く彼の唇に口付ける。   「白竜(はくりゅう)の本当の大きさを見せろ、白霆」 「……あ……──」    唸り声のような奇妙な声を上げながら、白霆が天を仰いだ。   「……蒼竜の清白畑に行くと聞いてた時から、嫌な予感はしてたんですよ」 「嫌な予感ってなんだよ」    狐耳をぴんと立てて晧が、不満げに頬を膨らませる。   「すみません……隠していたわけではないのですが……」     不意に白霆の息が晧の狐耳に当たった。   「──そんなに見たい、ですか?」  どうなるのかも分かっていても?    大きな耳に吹き込まれるかのように、低く落とした声で囁かれて、晧の尻尾はふさりと揺れる。   「……見たい……白竜(ちび)。そして本来の大きさで……、その……」 「──目合(まぐわ)いたい?」  狐耳を食みながら言う白霆に、晧がこくりと躊躇いなく頷いた。   「……っ!」    白霆の息を詰める様子が耳を通じて伝わってくる。やがてそれは腹の底から這い出てくるかのような、大きな溜め息へと変わった。   「今日で私は貴方に本当に本気で怖がられて嫌われるんでしょうか?」 「なんでそうなるんだよ! ──知りたいって思ったんだ。本当のお前を」 「……貴方は……本当に……っ!」    再び深い溜め息をついた白霆が、今度は竜の声で唸る。晧を抱き上げている腕に更に力が込められて、晧が小さく喘いだ。   「──移動します」 「……へ?」 「ここでは本来の姿で、貴方を抱けません。天井を突き破ってしまいますので」 「──え? えっ?」    晧は思わず上を見上げた。この宿の部屋もそこそこ大きくて天井も高いのだ。   (……それを……突き破るって……!)    白竜の大きさを想像してしまって、晧は絶句する。  紫君が『これくらいだよー』と飛び跳ねながら言っていた言葉が、何故か脳裏に過った。 (──全然違うじゃないか! 紫君!)  この天井くらいの高さだろうと思っていたというのに。  だがよく考えれば紫君と自分は、だいたい同じ身長くらいだ。彼が飛び跳ねたところで、この天井にも届かないのは分かっている。だから一生懸命飛んでいたのは『もっと大きい』と示したかったのではないのか。  今更気付いたところで、後の祭りだ。   「一度も使ったことはないんですが、城から用意してもらった竜形の白竜用の屋敷がありますので……そちらで」 「──へ!?」    白霆が晧を横抱きにしたまま、顕現させた竜尾で露台へと続く引き戸を開ける。  びょうと竜翼の羽撃つ独特の音が聞こえた。  白霆が人形(ひとがた)のまま、翼を背中から出したのだ。    (……ああ、もしかして俺)    とんでもないことを言ったのかもしれない。       そんな晧を見透かすかのように、白霆が竜の長い舌で狐耳を舐め上げる。   「貴方は本当に私を煽るのが上手、ですね。──孕んで、晧。私の子種が実を結ぶまで、本性でいくらでも注いで差し上げます」    「──ひ、ひぇ……!」    そんなことを言いながら白霆は、羽ばたきひとつで遥か上空へと飛び上がったのだ。  辿り着いた屋敷で、互いの発情期を十日ほど過ごした晧は決意した。  もう二度と御免だ、と。  だが怖がりながらも、一度本性のアレの大きさと白濁の熱さを知ってしまった自身の身体は、自身の心を見事に裏切ることを、晧はまだ知らない。    【番外編 銀狐、本当の大きさを知る 完】                             

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