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「誰にも言わねえよ。ところであんた、その汚れたチンコ、どうすんの?」  問いかけにタカハシが絶句する。あれ? もしかしてこういう話題が苦手なのかな、この旦那。覚えておこう。 「まさか後輩に直腸洗浄なんかはさせてないんだろ? どうすんの、その汚れたチンコ。うちに帰ってシャワー浴びるまでそのまんま? そんなで尿道炎とかにならない?」  タカハシが目を(みは)ってぼくを凝視する。予想外も予想外、なに言ってんのコイツ、みたいな唖然とした目をする。ぼくは調子づいて続けた。 「なんなら、オレが舐めて、綺麗にしてやろっか?」  動物園から脱走したライオンが目の前に来たってこんな顔はしないだろうな、っていうくらい仰天した顔になる。いや、どちらかというと青褪めてんだな。――ああ、ああ。分かったよ、旦那。そんな顔すんなってば。それにしても、よっぽどぼくは悟さんにヘンテコなことをさせられているんだ、やっぱり。 「もしかして、誘ってんのか、おまえ?」  血の気の引いた声でタカハシが言う。なにを言う。なにをトチ狂ったことを言うておるのだ。 「んなわけねーだろ、バーカ」  ぼくは吐き捨てた。 「ほんの冗談だよ、冗談」  旦那がさも珍しそうに、まじまじとぼくに視線を這わす。へ。すんませんね、こんなヘンなのが学校に入り込んじまって。 「ねえ、あんたさ。ここも、あんたのテリトリーなの?」  ぼくは少々うんざりした気分で質問した。旦那がきょとんとした顔をする。 「オレ、どこに行ったらあんたに会わなくてすむんだろ?」  ようやく質問の意図を理解したようで、ふっと笑う。…は? いや、ここ笑うとこちゃうで。嫌われとんねん、おたく。 「俺は、どこでも気が向いたところをぶらぶらしているぜ」  さらりと言いのける。うへえ。校内全部シマなんかい。嫌だな。気まぐれにぶらぶらされちゃかなわねえよ。 「ところでおまえ、五時間目は? なんの授業だ?」  まるでセンコーのように言う。ぼくはその「感じ」が気に入らなくて、ぎろりと睨んだ。 「あんただってさぼり組だろ? 人のこととやかく訊ける立場かよ」  しかもそっちは受験生だろうが。こんなところでふらふらとおセックスに励んでいて大丈夫なのかよ。 「でもな、工藤が心配しているぞ」  と、いきなり出てきた個人名に、くらっときた。く…工藤ぅ? 「ああ。工藤が、おまえを心配している」  その名をまたも繰り返され、ふらりと倒れそうになる。 「ただし勘違いするなよ。工藤はあちらこちらで話しまわるようなやつじゃない。そんな軽い人間じゃないからな。ただ、おまえがもう少しきちんと授業に出て、まわりの生徒と関わりを持ってくれればいいのにと残念がっている。本当の宮代はあんな不良じゃない。真面目で、すごく頭のいい奴なんだと、そう嘆いていたぞ」  いまにも貧血をおこして、踵から全身の力が抜けそうだった。  いや、ちょっと、待って。どういうこと?  工藤のお殿様ったら、なんだってアタシのことをそんなふうに言うわけ? しかもこんな大先生にさ。  …真面目? …頭のいい奴? 「本当の宮代」って、いったいアナタはアタシのなにを知ってるっていうの。だって、アタシは格下の女郎なのよ。M専門の女郎なのよ? 「先代の生徒会長は、不良の対処に困っている当代の悩みも聞くんだ? 相談役ってわけ?」  ぼくは懸命に毒づいた。真面目な表情でタカハシが首を振る。 「そうじゃない。あいつはなにか確信を持っているようだった。おまえは根っからの不良じゃない、と。本当のおまえは素直で、賢い人間なんだと、そう話していたぞ」  ぼくはいよいよ卒倒しかけた。なんだってこのお殿様方は、はしためをこう刺激するのだろう。こんなに驚いてばかりいては心臓に悪い。  「素直」とか? 「賢い」とか? ぼくのどこをどう押せばそんな言葉が出てくるんだ?  「確信」? …いやいや、いやいや、とんでもない。ありえない、ありえないだろ。  なんか工藤もちょっと気味の悪いやつだな。もしかしたらヘンな妄想癖でもあるのかしら。 「とんでもねえ誤解だな」  ぼくは顔をしかめて喉を唸らせた。そしてもうそろそろ、この濃ゆい旦那から離れようと決心した。だって刺激が強すぎら。ぶっ倒れそうだよ。  実際ぼくは、いつぶっ倒れてもおかしくないほどに痩せている。体重だって百六十五センチにたぶん四十キロそこそこだ。悟さんは一ヶ月に決まった額ををぼくに遣してくれるけれど、そこから学校の集金とか雑費なんかを省くと、食費として割り当てられる金額はとても少なかったし、そもそも夜の鞭打ち強姦のことを考えるだけで食欲なんかぜんぜんわかないんだから。 「おい、宮代」  去りしなタカハシが声を掛けてきた。射抜くようなまっすぐな視線に捕らえられた。 「な。おまえ、もしかして――」  そこで、思い余ったように言葉が途切れる。 「…なんだよ」  ぼくは続く沈黙を怪訝に感じながら口を開いた。 「――いや……いい。――やっぱり、いい。すまない。気にしないでくれ」  ぼくに置いた視線を幽かに揺らせながら、なんでもなくはなさそうな感じでタカハシが言い澱む。 「ならいちいち声かけてくんな」  さすがに先輩に対する言い草ではないなと思いつつ、どうせ幸せいっぱいのタカハシの旦那なんだから、まあいっか、とぼくは踵を返した。

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