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七
翌日には熱が引いたけれど、工藤と顔を合わせたくなくて学校を休んだ。
もっとも、ぼくにとって家にいるのもそれなりに面白くない。なぜなら悟さんは平日の昼間に家政婦なんぞを雇っていて、その家政婦のおばさんがまたなかなかに好奇心旺盛な人らしく、ほとんど口を利かないくせに、ぼくが部屋にいるとじろじろと物珍しそうに見てくるのだ。
まるでセックスの匂いがぷんぷんしている悟さんの部屋でぼくらが夜中になにをしているのか分かっているみたいに、いやらしい目つきでぼくを見てくる。実際、使ったシーツには毎日のように血だのザーメンだのがこびりついているし、興味深々に眺められた日にはたまったもんじゃない。
それにしてもなんだって悟さんは甥なんかを相手にSM三昧の日々を送るのだろう。
三十代後半の悟さんは背が高くて体つきだって逞しく、顔も俳優ばりだし、職業だって国立研究所の研究員という、いわゆる3高以上のものを持っている。言い寄る女は後を絶たないはずだった。
悟さんは、ぼくのお父さんとは腹違いで、唯一の弟だ。おじいちゃんの後家さんの産んだ子だった。兄であるお父さんとは十以上も年齢が離れている。
お父さんが死んだあと、悟さんはお父さんが受け継いだ代々続いていた病院を売っぱらって大金を手にした。個人経営だけれど複数の診療科を抱えた、わりと大きな病院だった。その金でこのマンションを買うやら、家政婦を雇うやら、ベンツのロードスターを乗り回すやら、豪勢な暮らしを始めたのだ。
本来はその金のいくぶんかはぼくのものなはずなんだけど、むろんこんな暮らしゆえ、ぼくの金も悟さんのものになってしまっている。一応ぼくの保護者であり、後見人でもあるのからしかたがない。
それにしても、こうもやすやすと熱が引くとは思っていなかった。
いっそとんでもない病気を引き起こしてそのまま死んじゃえたらいいのにとまで思いつめていたのに、体の方は悟さんに犯されながらも呆気なく元気を取り戻しちゃうんだから気が抜ける。よっぽどぼくは頑丈にできているに違いない。やっぱりあの熱はタカハシの旦那の珍しいおセックスを見たための知恵熱だったのかもしれない。
週末にようやく学校に行く気になって、朝、合唱コンの朝練が終わったであろう時刻を見計らって教室に入ると、なぜだかしんと静まり返っている。
人がいないかと思えば、そうじゃない。ほぼほぼ全員いるのではないかという状況で、なのにぼくが入るなり誰もが動きを止め、おしゃべりをやめてぼくを注視したのだった。
これはさすがに今日も朝練に出なかったぼくへのあてつけだろうかと思いつつ、へん、オレ様は不良なんだから当たり前だろ、そんな簡単にお前らの言いなりになるかよ、みたいな尊大な態度で机に向かった。
だけれど。
ぼくの机の上にA4のコピー用紙が一枚乗っかっていて、なんだろうとそれを認めた瞬間、ぼくは凍りついた。
それは新聞記事の縮小コピーだった。
『横浜市の医師殺害、妻を逮捕』
でかでかとした見出しが目に飛び込む。
(…あ――――?)
手から鞄が滑り落ちた。全身の力が踵から抜けてゆく。
震えがくる身を支えるようにして、ぼくはその記事の上に指を添えた。
「あんたたち、卑怯じゃないっ」
一人だけ教室の隅で喚いている女がいる。あの女。工藤の彼女だ。
「こんなの、ひどいっ、宮代くんが可哀想じゃないの!」
それから、コツッコツッと前方で大きな音がしたから視線を向けた。その先を見て、ぼくはまた、目を見開く。
『夫殺し、懲役15年、短か!!!』
黒板に、めいっぱいに書かれた文字。
心臓が暴れ出す。足から、腕から、四肢と五臓六腑ががたがたと振動し、息ができなかった。信じられない。信じたくなかった。
(あ…、あああ…、)
ずきりとこめかみが痛んだ。胸が張り裂けそうになりながら再度、新聞記事に目を走らせた。
「気にするなよ、宮代!」
前方のドアで聞き慣れた声がして、顔をあげた。
工藤が立ちふさがれるように数人に取り囲まれながら、羽交い絞めに遭うようにしてぼくを見つめている。その周りの生徒は薄ら笑いを浮かべて、ぼくの出方を覗っているようだった。
「こんなの気にするな! 宮代!」
その憐れみに満ちた声が、そしてまたまるで自分自身が傷めつけられてでもいるように哀しんでいるその瞳が、悪夢のようなこの現実に呆然としていたぼくの意識を引き戻した。
息がうまいことできない。
体が目に見て分かるほど震えている。
とうとう知られてしまった。クラスのみんなにバレたのだ。ぼくの母が父を殺したことを。
すぐにもっと広まるだろう。前の学校と同じように、全学年、全校へと。そしてまたぼくは失うのだ。なにもかもを。
ぼくはもう、そのショックに気も狂わんばかりに泣き出してしまいたい衝動に駆られていた。
けれどこの場にはいられない。いたくない。ここはあまりにもぼくとかけ離れた場所。人殺しの子供がいてはならない桃源郷。罪人の子供を追放する楽園。
もしくは、謝れば許されるのか。謝れば忘れてくれるだろうか?
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