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ええ。隠していてごめんなさい。そうです、ぼくは人殺しの子です、どうぞ思う存分、詰 ってください。虫けらのように踏み潰してかまいません。わたしは、楽園に来たヘビ、黙って嘘をつく者、大罪人の子ですから――――。
『皆さんが御家 へ御帰りに成りましたら、何卒 父親 さんや母親 さんに私のことを話して下さい――今まで隠蔽 していたのは全く済まなかった、と言って、皆さんの前に手を突いて、そうして告白 けたことを話して下さい――全く、私は穢多 です、調里です、不浄な人間です』
…そう。島崎藤村の描いた『破戒』のように。
すべての視線が槍のように刺さるのを感じて、手を乗せていた紙をひっ掴んだぼくは駆けだし、その場から逃げた。三階から駆けおりて、昇降口から外へ出た。
梅雨の雨がしとしとと降り始めていた。片手に忌まわしい一枚を握り締めながら、上履きのまま夢中で走る。
――ちくしょう。
雨だったら、どこへ行けばいいんだろう。どこでなら、この悲しみに暮れていられるんだ。どこでなら、思いきり泣き散らすことができる?
足は勝手にトーマスヒルへと向かっていた。敷地の北側にある急な斜面に作られた芝生の空き地で、隅に掘っ立て小屋みたいな東屋がある。まったく。初めて見たときには何物かと驚いた。なんだってこの学校にはこんなに無駄な空間や建造物が多いのだろうと…。
でもいまは、いまのぼくには、あそこ、あの場所が必要だ。あそこのベンチに腰掛けて、思いきり泣きたい。
そろそろ一時間目の始まる時刻だからだろう、東屋には誰もいなかった。
呼吸がうるさく耳に響く。
勢いよく走ってきたために苦しくなった気息のまま、ベンチに腰掛けた。
手にしていた紙を広げた。握り締めていたからくしゃくしゃに捩 れていた。
なにが書いてあるのかは、以前何度も読み返しては泣いたから分かっている。お母さんがどんな様子でお父さんを殺したか。痴情のもつれと家庭内暴力の末の衝動的殺人。計画性無し。情状酌量の余地あり。
世間では殺した方のお母さんに非難が集まっていたけれど、悪いのはお母さんだけじゃないとぼくは知っている。お父さんだって、怒りのあまりにひどい暴力をお母さんにふるっていたのだ。犯行前の数日間、お母さんは外出もできないほど、目も、頬も、顎も、痣で腫れあがっていた。それ以前にお父さんはずっと家族に冷たい人だったから、お母さんが他の男に愛情を求めてしまったのもしかたがなかったのだ。
膝の上の紙を目にしながら、それでもぼくの頭の中では、そんな過去を追うよりも、数えるほどしか出ていない礼拝で聞いた場面が不思議と思い浮かんでいた。
『師よ、この人の生まれつき目の見えないのは誰が罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか。』
『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。』
『この女は姦通の罪を犯しました。このような女は石で打ち殺せと、律法で命じられております。』
『あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まずこの女に石を投げよ。』
罪無き者あらば、石を持て打て。
本人の罪でも、両親の罪でもない。
(ならば、どうして……?)
なぜぼくは、この縄目から逃れられないんだ。なぜ、両親の罪にぼくまでが断罪され、罰を受けなくてはならないんだ?
堰を切ったように、両目から涙が迸り出た。次から次へと、目玉が痛くなるくらいにぼろぼろと流れては記事の上に落ちてゆく。
「う、う、ううっ…」
喉がしゃくりあがる。呼吸がわななく。雨に濡れた体が芯から冷えて、がたがたと鳴る。
(まったく。ホントに泣き虫ね、佳樹は)
(男の子なんだから、もっと強くなりなさい)
よくお母さんが怒っていたっけ。ぼくは小さい頃から泣き虫だった。けして強くない、小さな男の子。
「うっ、う…う。あ…」
ずっと両親を恨んでいた。
でもある日気付いたのだ。恨むよりも赦してしまった方が自分自身が楽なのだと。
なのに、子供のぼくは赦したというのに他人はけして赦してくれない。
自分たちは涙一つ流さず、かすり傷一つ負わず、そしてまた事情などなに一つ知りはしないのに、釈迦にぷつりと蜘蛛の糸を切られたカンダタを見る目つきで、神にも見放された罪人だと断罪する。そうやっていながら自分たちは、安全なところで安穏としている。
でも、しかたがない。この事件はそれほどのことだった。それほどの罪過だったのだ。
そしてぼくは、この不遇に果敢に立ち向かうこともなく、雄々しく受けとめることもぜず、負け犬然として、まわりから逃げるように殻に閉じこもっている。
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