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びっくりしてしまう。
この間までは、こんなこと感じもしなかったのに。
まるで彼岸の人。ぼくとはあまりに関係ない、ただすれ違うだけのやつだったのに。
なのに、あなたの声が、あまりに優しくて、あまりに温かで、あなた自身がそうであるように、ぼくの心を掴んでしまった。ぼく自身でも気付かないうちに、驚くほどに呆気なく。いま、この時にそんなことに気付くなんて、なんてぼくは愚かなんだろう。
(でも欲しい)
欲しくなっちゃった。
これが人を好きになってしまったときの衝動。自分ではどうしようもならない。苦しくて苦しくて、胸が押しつぶされそうにつらい情動。
可笑しくなる。
よりにもよって、タカハシの旦那を好きになるなんてな。
もう流している涙のわけが、両親のことをみんなに知られたせいなのか、かなわぬタカハシへの想いに気付いてしまったせいなのか、自分でも分からなくなっていた。
「ね。ティッシュ、持ってない?」
洟がつらくて訊ねてみると、ポケットから差し出してくれる。洟をかんだら少し楽になった。
このまま止まらないんじゃないかと思っていたくらいに、しとど流れていた涙もひいてきた。嘘じゃなくて、タカハシの手のひらから涙を止める魔法が流れ込んできたみたいに、だった。
「ひどい顔してるよね、ぼく」
あの小柄な花魁様の綺麗な横顔を思い出して、恥ずかしくなった。
「前にも言ったけど、おまえ、可愛い顔してるよ。泣き顔も可愛い」
ナメてんのかと前は思ったけど、いまはそう言われて嬉しい。単純に、嬉しい。やった。泣き顔も可愛いだって。言われちゃった。
「それ、お世辞?」
「俺はお世辞なんて言わない」
うん、そう。そういう言葉を、ぼくは欲していた。ちょっといい気にならせてくれる、甘い言葉。どんぴしゃで返してくれちゃうから、ぼくはますますツボにはまっていく。
「人をノセんの上手いね、あんた」
「まあな」
励ましてくれているのだろうか。
「それにしても細いな。前も思ったけど、ちゃんとメシ食ってんのか?」
ぼくの腕に、ぐるりと指を回す。その男らしい頼りがいのありそうなタカハシの手を、ぼくは疚しい気持ちで眺めた。
この手がもっともっとスケベに動いてくれたらいいのに。そうしたらぼく、あんたのものになっちゃえるのに。
「明日、暇ある?」
突然、問いかけてくる。弾かれたように視線をあげれば、タカハシは目元に涼しげな微笑を浮かべている。
「俺んちに来い。その痩せた体に、夕メシ食わしてやる。俺が作るから、旨いかどうかは分からないけど」
…あら? いったいなにを考えているのかしら?
だって、そんなの特別ごとみたいだよ。あの恋人が知ったらやきもちを焼くんじゃないかな、と思って、そのまま口に出した。
「そんなの、あいつに悪いんじゃない? 恋人だろ、あんたの」
言いかたが悪かったのか、なんのことかと訝しむ感じでタカハシが首を傾げる。
「このあいだ仲良くおセックスしてたじゃない、あんた。やきもち焼くんじゃないかな、自分以外のヤツがあんたの家に行って、ご飯まで奢ってもらうなんてさ」
それで、ああ、と口を開く。
「別に、いいさ。明日は友人として招待するから。なんといっても俺たちは、ふたつずつお互いに秘密を握っているんだからな」
「ふたつ?」
「そ。おまえは俺のタバコとセックス。俺は、おまえのタバコと、涙。な?」
なみだ、か。
顔が赤らむ。
キザ。
だってキザだろ。涙、なんて言葉をこんな堂々と口にするのって。
返事に窮してぼくが黙っていると、それを了承と解釈したのか、タカハシが続ける。
「珍しいところにも連れてってやるよ」
うわ、どこなんだろ。期待に胸が膨らんだ。
ぼくはこくんと頷いた。
複雑な気持ち。
好きなのに、自分のものじゃない。
嬉しさと、哀しみ。
でも、いいじゃないか。家に招 んでもらえるなんて、それだけでめっけもんだよ。すげえ、ラッキーじゃん?
そういえばお母さんが言ってたっけ。大きな不幸には、少しだけ小さな幸せが付いてくるのよ…って。それって、いまのぼくみたいだ。
明日。明日。
明日が愉しみ。
明日の来るのが待ち遠しいなんて、いつぶりだろう――――。
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