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悟さんに続いて降りた。一見、木々に囲まれた寂れた病院。でもそれにしては寂れすぎている。
どこだ、ここは。
そう思って悟さんに続いて建物の正面を横切ったときに、玄関横のプレートを確認した。
『国立精神衛生研究所 西東京分所理化学実験棟』
ああ。
ここなのか、悟さんの職場は。
悟さんはぐるりと建物の裏手に回ろうとしているらしい。ぼくはその後をおとなしくついていった。それだって背中は相変わらず音を立ててぼくを苛み続けている。
それにしても、まったく。
悟さんの職場が精神衛生研究所とは。なんて悪い冗談だろう。
悟さんこそお頭 の中身を一度調べてもらったほうがいいんじゃないの、などと心で毒づいてみると、突然に新手の恐ろしい予感がしてきた。
もしかして悟さんはここでぼくの脳味噌を解体して実験に使うのじゃないか。ほら。マッドサイエンティストっているじゃない? いよいよぼくの利用価値もそれくらいになっちまったのかもしれないぞ、と。
裏手にある小さな通用扉からカードキーと暗証番号を使って中に入った。狭い階段をのぼる。体力のおぼつかないぼくにとっては、こののぼりさえきつい。二人の乾いた靴音が縦長の空間に冷たく響いた。
どんなによくたって、ぼくが楽しくなるような事態にはけしてならないだろう、という予測はついていた。
きっとなにか途轍もなく嫌なことが起きるに違いない。だってわざわざ悟さんがぼくをこんなところに連れてくる理由なんて他にないのだから。
ただそれがなんなのか、それが気がかりだった。
命に関わることならさっさと終わるのがいい。ずるずると苦しめられて死ぬのは嫌だ。あまり痛まず苦しまずがいい、ぼくは呆気なく死にたいのだ……と、ここまで考えて、昨夜の鞭打ち強姦自体がまったくもって全然「呆気ない死」とは程遠いけどな、と思い至る。
三階分ほどあがって階段のドアを抜けると、左右に長い廊下が開けた。人影は無い。日曜だから出勤している人が少ないのだろう。
ぼくはここでも黙って悟さんの後についていく。見えない首輪とリードがついているみたいに。
だってけして逃れられないのだから。逃れようとすればするほどそれはひどい力で、それこそ首をもぎとられるような痛みで引き戻される。たとえ待ち構えるのが悲惨な死であろうとも、ぼくに選択の余地はない。
「ちょっと待ってろ」
とあるドアに悟さんが消えてゆく。ぼくは忠犬ハチ公のようにじっと佇んだままご主人様の出てくるのを待った。
一分も経たないうちに出てきた悟さんは、なぜか分厚いダウンジャケットを着ている。ぼくは不思議に思って首を傾げた。そりゃ確かに、ここは休日だというのにガンガンと冷房が効いている。官営だからってこんなに電気代を無駄にしていいのかよ、と思うくらいには肌寒い。それにしてもダウンジャケットとは。ちょっと大袈裟すぎやしないか。
それから左右に無機質なドアが並ぶ廊下を二回曲がった。ところどころ「使用中」の赤いランプが点滅しているから、もしかしたらこの中には誰かがいて、実験なぞをしているのかもしれない。
「入れ」
厚みのあるドアを開けて、悟さんがぼくに命じる。言われるままに一歩入れば、自動で明かりが付く。
瞬間、ふぅっと風に当たった気がして、ものすごい違和感を覚えた。
背後で重い音をたててドアが閉まった。そして、鍵の締まる尖った音。
「え…?」
――寒い。
狭い室内にゴーっという冷房の音が充満する。悟さんは持っていた鞄をデスクに置いた。
「あ――、なに? …ここ、寒いね?」
ぼくは振り向いて、ドアの前に立つ悟さんから視線を這わせ、背後にある電子プレートを見付けた。4℃の文字が目に飛び込んでくる。――そうか。低温実験室というやつだ。ぼくも理系の端くれだったからその存在くらいは知っていた。
4℃と分かると途端に寒さが現実味を帯び、鳥肌が立ってくる。無駄かもしれないと思いながらも声をかけた。
「ね。ここ、寒いよ? もう少し、温度、あがらない?」
「うるせえ。黙ってろ」
鞄からタオルと例の鞭を取り出す。まさか、ここでやる気なのだろうか。ぼくはあまりのことに茫然自失となった。
「さあ。脱げ」
ぼくの口にタオルを咬ませようとする。
「ま…、ま、――待って!」
仰天したぼくは室内の奥まであとずさった。といったってたかがしれている。ほんの二、三メートル先の悟さんは、たちまち憤怒で表情を荒げていく。ぼくの体がかたかたと震え始めた。寒いのと、恐怖のためにだ。
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