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「ここ、寒すぎる。他の部屋で、やってくれない?」 「なに?」  だって。こんなところで二時間も裸でいたら、低体温で本当に死んじまう。 「嫌だよ…。こ、こんなとこでやったら、ぼく、死んじゃうよ…?」 「バカ言うな。死にゃあしねえ。早く脱げ、全部だ」  悟さんの日に焼けた顔が苛立ちでどす黒く変わっていくのを見ながら、ぼくは必死に首を横に振った。寒くてしかたない。ここに二時間裸でいたら、死ぬ。確実に、死ぬ。そりゃあんたはいいだろう。そんな厚手のダウンコートを着てるんだから。でもぼくは痩せて肉だってまともについていないのに、どうやってこの寒さをしのげというのだ。 「…どうして? こ、こんな、ところで――?」  吐く息が白い。やがて寒さで歯までがガチガチと鳴りだした。  半袖の腕が寒くて、両腕を組むようにして手のひらでゴシゴシとさすった。 「つべこべ言うな! 殴られたいかっ」 「い、嫌! ねえ、ど、どうして、なの…?」  我慢の限界だ。殴られてもなんでもいい。とにかく一刻も早くここから出たい。 「どうして、外じゃ、ダメなの? こ…こんなとこ、寒いよ! ぼくに、なに、してもいいから。なんでも、するから。ど、どうか、ここから、出して。お願いだよ…!」 「人形のくせに、生意気言うな!」  怒号が飛ぶ。平手も飛んでくると思って、竦みながら目を閉じた。  悟さんはぼくのTシャツの首根っこを捕らえ、ギリギリと音が立つくらいに捻り上げた。歯の隙間から、猟犬のような唸り声を出す。 「てめえは人形だろうが? 人形は寒くなんてならねえんだよ。俺が本気でキレる前に、早く素っ裸になれ!」  目を血走らせながら、ぐいぐいとぼくを締め付けてくる。 (なぜ…? どうして――――?)  こんな寒い密室に閉じ込められ、喉を締めあげられ、罵声を浴びせられて。  ぼくはようやく、この問いにゆきあたったのだった。  なぜ、この人はこんなにもぼくを人形扱いするのだろう。  なぜ、この人はここまでぼくを懲らしめるのだろう。  なぜ、この人はここまでぼくを憎むのだ――――と。  いままでも感じなかったわけじゃない。けれど、それは突き詰めたってしょうのない、かえって彼の激情を煽るだけの余計な詮索だろうと決めつけていた。  でも、いま。  自分の受けている仕打ちの意味を、はっきり知りたいと願った。  なぜ、ぼくはここで苦しみ、傷みつけられ、人格どころか人間、いや、生物であることさえ否定されなくてはいけないのか。 「脱げ!」  彼がぼくのシャツを乱暴に剥こうとする。 「い、――い、い、嫌だ!」  悟さんの脇をすり抜けてドアへと走った。ガチャガチャとロックを外そうとしたけれど、内側からの鍵が必要だった。腕を掴まれ、頬を強く張られて、床へと倒れ込む。 「あんまり怒らせんな、俺を」  悟さんが低く呻く。 「脱げ」  ぼくは上体を起こしながら懸命に首を振った。  別に半袖のTシャツ一枚を脱いだって寒さは変わらない。だっていまだって体が震えて血まで凍りそうなのだから。だから脱いだっていい。  でも、ぼくには納得できない。  なぜ、こんなところで犯されなくてはならないのか。なぜ、ここまで苦しみを与えられてそれを耐え忍ばなくてはならないのか。そのわけを、どうしても知りたかった。 「――ど…どう、し、て?」  力のない声で喘いだ。歯が鳴って、うまく話せない。 「…ど、うして、ぼくを、こんなに、く、苦しめるの?」 「――苦しめる、だと…?」  悟さんが凶悪に顔を歪ませる。すぐにでも暴力へと移行しそうだった。 「人形のくせに、人間みたいなしゃべり方をするな」  ぼくは全身を大きく震わせながら、その長身の上で光っている狂気に満ちた双眸を見あげた。ガクガクと定まらない顎で、懸命に声を絞り出した。 「さ、悟さん。…ぼくは、人間だよ? に、人形じゃない。で…でも、あなたにとっては、に、人形なんだね? …なんで、だろ? …どうしてなの? ――う。どうして、ぼくは、あなたにとって、に、人形に、ならなくちゃ、いけないの? ぼく、なにか、悪いこと、…した? あ、謝っても、許されない、ことなの? あ――。どうして? ど、どうして、ぼくを、そ、んなに怒るの? お、教えて。お願い。そうしたら、ぼく、ここで、脱ぐよ。なに、されても、いい。――おお、おねが、い。教えて。どうして、あ、あなたは、そんなに、ぼくを、に、憎むの?」  ぼくの言葉に、悟さんが目を吊り上げる。悟さんの体も激しく震えていた。それはどこか戦い前の武者震いのようだった。 「憎むだと? 人形なんか、憎む価値もない」 「うそ、う…嘘だよ! そ、そんなの、嘘だ! ち、違う、でしょう? ――なんで、なの? 教えて。ど、どうして、そんなに、ぼぼ、ぼくを、痛め、つ…つけるの? 理由を、聞かせて。――――そ、そ、したら、ぼく、脱ぐ。いくら、でも、に…人形に、なる、から」  寒さに体が強張って、息をするのもやっとだった。

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