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 部屋にあがってあらためて見ると、ぼくのズボンは水が滴るほど濡れそぼっていた。見かねてタカハシが自分の短パンを出してくれる。 「学ランも脱げ。かなり濡れてる。とりあえず、下はこれ履いとけな。俺、シャワー浴びるけど。佳樹も一緒に入る?」  さらりと言われ、びっくりしてタカハシを見あげた。  いたずらっ子みたいなシニカルな微笑を浮かべている。ふざけているな、これは。どうもタカハシってゲームのスイッチが入ると、いつもの優しさとか穏やかさが抜けてプレイボーイっぽくなるらしい。 「もう浴びてきた」 「じゃ、適当に寛いで待ってろ」 「うん」  タカハシが出ていったあと、ぼくはボトムを着替えた。  背中の傷はどうだろうと気になってシャツを確かめると、汚れていないから血はなんとか止まっているのだろう。もし血なんかが染み出してるのをタカハシに見つかったりしたら、それこそわけを問い詰められてしまう。  ベッドの手前に座り、おとといのように膝を抱えた。  タカハシの部屋はタバコと古い木材の匂いがする。立て膝に顎を乗せて目を閉じると、うらうらと時間が過ぎるのを静かに感じた。外の雨音が子守唄のように遠くに聞こえて、平穏だった。  そんな心地好さに身を置いていると、このまま別に抱かれなくったっていいんじゃないかと、そんな消極的な思いが襲ってくる。  昨日の鞭打ち強姦の最中はあれほどタカハシに抱かれたいと切望していたにもかかわらず、いざ来てみると、この部屋があまりにも居心地よくて、外の雨音が思いがけなく静謐で、不穏な性欲なんかに身を任すことなどせず、このまま安穏と過ごした方がいいんじゃないかという気分になってくる。  だって、相手がタカハシならば、そばにいるだけでぼくはじゅうぶん幸せなのだから。  そもそもぼくはさして男に抱かれるのが好きなわけではない。もっとも、悟さんにしかやられたことがないから経験値は低いけれど。  ただ、アヌスにペニスを突っ込まれるという事態が好きかと単純に問われれば、好きじゃないのだ。あんなつらい思いはできればしたくない。できれば避けたい。でも、だからこそ、そんなつらいことだからこそ好きなやつとしかしたくない、というのもまた自然な感情だと思う。  例えば、それがタカハシのだったら?  それが、ぼくのあそこでズボズボ…と、抜き挿しされるのならば?  ああ、それに、そう。ちょっとは気持ちいいことも…ある、だろう。  例えばあの、ナニの先っぽが前立腺の性感帯に当たっちゃった時なんかもう――――ああ…。うう。ぼくったら、いったいなに考えんだよ、もうすぐタカハシが戻ってきちゃうってのに。  ひとり首まで赤くしながらただならぬ妄想をして悶えていたので、ドアが開いたときは、慌てて上体が跳ねあがった。焦ったついでに背中がベッドの枠に思いきり当たり、さらに身悶える。 「いっ、たぁ…!」 「大丈夫か?」  タカハシが目を丸くする。 「どうした?」 「――なんでもない…」  まったく、どこまで間抜けなのだろう、ぼくは。まるで悲劇の中の喜劇役者だ。  シャワーから戻ってきたタカハシは、締まった黒いランニングに黒のジャージを履いて、手にグラスを二つ、腕に緑茶のペットボトルを抱えていた。  濡れた髪が頬に纏わりついて長く見え、いつもよりも数段色っぽかった。  ぼくの横に胡坐をかくと、体がまだシャワーの熱を溜め込んでいるのだろう、空気が動いてまたあのほの甘い石鹸の香りがぼくの鼻孔を掠める。ふわりとふいた風みたいに幸せな空気を孕んだ。  逞しい腕と、ランニングの上からでも盛りあがりが判別できる胸筋、引き締まった腹筋。タカハシはなにかスポーツでもやっているのだろうか。これはどう見ても体を使っている人の筋肉の付きかただ。  そんなタカハシと比べて、ぼくはなんて痩せて不健康で、自堕落なのだろう。  情けないことにぼくは不潔と不健全にまみれてこの数ヶ月を過ごしてきた。しかも愛されもしないのにただ犯されただけの存在として死にゆこうとしている。  だからこそ最後に、せめて喜びを与えてくれる人を自ら選定してその人から喜びを受けて死にゆきたい、最後の人は自分の愛する人にしたい。そんな切羽詰った思いに駆られて、痛む体を引きずってここにきたのではなかったか。そんなわけなのだから、やっぱりぼくは今夜タカハシにお情けでいいから抱いてもらって、明日、自ら命を絶たなくてはならないのだ。  こんな泥沼的思考をするというのも、おそらくいまぼくは、まともな精神状態にないのだろう。それは認める。だとしたら精神科にでも行って適切な治療をしてもらえば、もしかしたらすっきりと治るものなのだろうか。  でも、ぼくは、絶対にそんな治療などしてもらいたくないなと思う。  そんな、自分はちょっとの痛みも感じないどこかの医者にしたり顔で質問されて、分かったような口利かれて薬なんぞもらって、それでハイ、すっきり生きる気力がわいてきました、なんて、冗談じゃねーんだよと思ってしまう。

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