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「少し熱があるんだよ。どこか痛いところはないか」  優しく温かなまなざし。穏やかな声。ぼくの産毛まで柔らかく捕らえる指先。  ぼくがいま独り占めしているそれらが心地よすぎて、ぼくは軽く首を振ったあとで、ふうっと目を閉じてしまう。また一気に眠りへと落ちそうになって、慌てて目を開けた。もっとタカハシを感じていたい。  タカハシの指先は時を忘れたようにぼくの前髪をかきあげ続ける。ぼくの汗で手がベタベタしちまわないかしら。ちょっぴり心配になった。  ぼくたちはしばらくそうやって見つめ合っていた。静かな、穏やかな時間が過ぎる。タカハシは相変わらずなにを考えているのか読み取れない表情をしている。でもぼくはだんだんと、これがタカハシの素の表情なのだと分かり始めていた。  別に気取ったり意地悪をしてポーカーフェイスを(まと)っているわけではなくて、彼はぼくなんかと比べたら落ち着いた人間だし、たぶん気質だって激しやすいぼくと違って穏やかなのだろうから、だからこんなふうに飄々と見える顔をしているのだろう。  でもなにがどうあれ、ぼくはこの顔が大好きなのだった。  大好きで、大好きで、頭の裏っかわの底の方からその気持ちが込みあげてきて胸を押しつぶし、気が遠のくくらいに好きでたまらないのだった。  それはもちろん初対面のときにも感じたようにパーツが整っていて良い、というのもあるかもしれないけれど、そういうことよりかむしろ彼を知るにつれてますます感じられる全体的な男っぽくて大人びている、頼りがいのある落ち着いた感じとか、一方でどこか野性的でスレた雰囲気とかが、どうにもこうにもぼくを惹きつけて離さない引力になっているのだ。そういう強烈な魅力にぼくはどうしたって抗えなくて、いまも襲いかかってくる眠気に対抗するように、彼を見つめてしまう。 「ごめん」  その静かな表情がいっとき崩れた。ぼくは、ん?という顔をしたのだと思う。 「ひどい抱き方をして、ごめん」  それがとても悲しげでつらそうなので、ぼくは懸命に首を振った。 「ぼくが、頼んだことだよ」  むしろあれはぼくが勝手に荒々しくしただけのことだった。まるで半狂乱みたいになって、タカハシの気持ちもろくろく考えずに。 「そうじゃなくて…。いや、実際、あんなに乱暴にしたのもすごく後悔しているけど…。もっと、気持ちの問題でさ」  言いにくそうに言葉を切る。 「ぼくのこと、嘘つきの淫乱だと思った?」  さすがに淫乱はいきすぎた言葉だったのか、タカハシが驚いたように目を開く。ぼくはかまわず続けた。 「気にしないでいいよ。その通りだから」  タカハシの瞳に、さっと影が落ちる。 「違うだろ」  強く(いさ)めると、いったん止めた手を再び動かしてぼくの額を撫でる。 「俺たち、もっと話さないといけないことがたくさんあるな。でもいまはゆっくり休め。俺、ずっとここにいるから」  ここにいる。  タカハシが、ここにいてくれる。それが、なんて安らかで、安心なことなんだろうと気付いて、いまさらながらにぼくは驚く。こんなことを言ったら動揺させちまうだけかな。ためらいがちに声をかけた。 「タカハシ」 「うん?」 「ぼくを抱いてくれて、本当にありがとう」  ぼくの言葉に、やっぱりタカハシは困ったように瞳を揺らした。泣き虫佳樹君はそんな自分の陳腐な台詞に感動しちゃって鼻がつうんとする。恥ずかしいよな、勝手に盛りあがっちゃってさ。でもほんとのことなんだもの。眠る前に言っておきたかった。 「もっと、あんたと話してたい。でもぼく、すごく眠いんだよ、いま」 「ああ…だろうな。麻酔が効いているんだ。さっき看護婦が点滴に足してた。背中を少し手術したんだよ、おまえ」  そうなのか。  いったいどんな手術だったのだろう。 「起きるまでここにいるから、ゆっくり寝ろ。な?」 「うん」  ぼくはおとなしく目を閉じた。  タカハシがおでこをさする。さすり続ける。指先がそっと、瞼もさすった。 「タカハシ、…好き」  ぼくは呟いた。涙がこぼれた。  光の先から歌が聞こえる。  こんどこそ、安堵の涙だった。

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