11 / 55
第10話 しっぽが太くなった!
ざわざわとした雰囲気の中、声を上げる者がいた。黄金色の長い髪に鳶色の瞳を持っている人だった。年のころはサブライムより上だろうか。彼は一礼をしてからおれを見た。
「自然省のレストです。発言をお許しください。この者が、本当に歌姫なのか。その証拠はあるのでしょうか。リガードが育てた——、というだけでは、証拠にはならないのでは? いくら天才と呼ばれたリガードでも見誤ることだってあるはずです」
エピタフもそう言っていた。おれだって同じ気持ちだ。このおれが歌姫のわけがない。
仕草は丁寧であるのに、その声色は明らかにおれに対する疑念を孕んでいた。
レストの意見に同調しているのだろうか。広間がざわざわと騒々しくなったのを見ると、「歓迎されていない」ということが確信に変わった。
(おれは、ここにいてはいけない存在——)
足元がぐらぐらとした。怖くて怖くて、思わず王座の後ろに隠れてしまいたい気持ちに駆られる。
「商農省のセイジでございます。私もレストの意見に賛同させていただきます。歌姫の魂は猫族の子に宿るとは聞いておりましたが、猫族というだけで、本当に歌姫なのかどうかの確証はありません。我々は、カースに対抗するために、確実に事を進めなくてはいけません。万が一を考え、慎重に行動するべきだと存じます」
少しふくよかな男が言った。彼らの冷たい視線に眩暈がした。昨日から心休まる時なんて一つもない。王宮は、おれにとって安心できる場所ではなかった、ということだ。
「お前たち……っ」
サブライムが不満そうな声を上げる中、一人の男が「王よ」と声を上げた。
周囲の人間たちよりも一回り大きい体躯。立派な髭がぴんと左右に伸びている。腰には太い長剣。纏っている草色の制服は、軍人である証拠だった。
「私も同感ですぞ。皆が疑念を抱いている。歌姫の真否だけではありませぬ。私が懸念しておりますは、昨日の王の振る舞いでございます」
彼は他の大臣たちとは明らかに違った。彼の目は、おれではなくサブライムに向けられているのだ。
サブライムに対しての敵意が感じられた。なんだか恐ろしくなった。しっぽがぶわっと太くなる。自分に対する非難の目には堪えられるのに、なんだかすごく嫌な気持ちになった。
「昨晩の振る舞いだと? モデスティ」
「昨日は、お一人でこの歌姫を迎えに行ったそうではないですか。軽率な行動だとはお思いになりませぬか。歌姫が成人を迎える大切な場面に、カースが現れることは予測できたことです。それなのに、伴もつけずにお一人で! 信じられません。そして、それを許したピスの責任も問いたい!」
彼は雄弁と語る。一部の人たちは、彼の言葉に頷いて見せている。
(これは……サブライムの危機?)
おれは慌てて視線を巡らせた。ピスを見上げると、彼はただ黙ってじっとそこにいるだけだった。
(どうするの? どうするの?)
気持ちをどこにおいたらいいのか定まらない。おれは視線を落ち着きなく彷徨わせた。エピタフはここでの騒ぎなど、聞こえていないかの如く、無表情でその場に立っているだけだ。
(ちょ、誰か。助け船とかないわけ!?)
広間の騒ぎは高まりを見せる。モデスティの意見に賛同する者もいれば、反対する者もいる。それぞれが言い合いになりかけたその時——。「確かに!」とサブライムの凛とした声が響いた。
その一声で、騒動はぴたっと収まった。静まり返った広間にサブライムの声だけが響き渡る。
「お前の言うことは事実。しかし、それで、なにか問題があったか?」
「問題——。ですから……」
モデスティはぐっと言葉を詰まらせた。サブライムは笑みを浮かべ、雄弁に語る。
「歌姫の確保は最優先事項である。だが我々の住む王都は今まさに、獣人たちが迫りつつあるのだ。そんな中で、王都を皆で留守にすることはできない。そうであろう? おれはエピタフを護衛につけた。最小限の人員で最大限の効果が得られる。
それともお前にでも依頼して軍を出してもらえばよかったのだろうか?」
「そういうわけではありませんが……」
モデスティは言葉を濁した。サブライムは更に追い打ちをかけるように言った。
「お前の息子も来ていたぞ。人の世話をする前に、我が息子の手綱をしかと握っておけ」
(息子?)
モデスティは言葉を飲み込んで押し黙った。しんと静まり返った中、ソレムが再び口を開いた。
「王のお話の方が理に叶うのかもしれません。それでは、責任問題の追及はここまで、ということなので。話を戻したいと思うのですが。その黒猫の少年——凛空が、本当に歌姫の生まれ変わりであるのかどうか、皆が興味を抱いていることは事実。疑念を晴らすために、なにか証拠となるものをご提示いただきたい」
「そうだ、その話だ」と広間の中に、再びざわめきが広がった。ピスは大きくため息を吐いてから、おれを見下ろした。
「歌姫であるならば、なにか披露できなければならぬぞ。凛空」
「——へ?」
「そう間抜けな顔をするな」
あまりにも呆気にとられたおれの反応に、ピスは笑いを堪えているみたいだ。
(そんな笑わなくたっていいじゃないかー! 知らないし。なんなんだよ? それ。そんな歌知っているわけ——)
「ぜひ、歌姫の歌を披露していただきたい」
ソレムの意見に、広間にいた人だかりは更に騒然となった。そんなことを急に言われても、聖歌隊で教えてもらった曲しか知らない。どうしたらいいのかまったくわからなかった。
広間のざわめきが一段と大きくなった。おれは怖くなって思わず後ろにからだを引いた。
「歌えないというのか?」
「本当に歌姫の魂が宿っているというのか?」
「リガードはなにをしていた」
「黒猫が歌姫ではないなら、もうおれたちに打つ手はない」
(どうしたらいいの? どうしよう。じいさん、どうしよう!)
そこでサブライムがふいに立ち上がった。
「凛空は疲れているのだ。昨晩、家族同然のリガードを失くし、愛すべきふるさとを壊された。精神的に疲弊している状況で、歌わせようとするのは、あまりにも酷ではないか」
しかしソレムは遺憾の意を表す。
「王は甘すぎる。我々は悠長に構えていられるほど余裕があるわけではないのです。そこにいる黒猫が本当に歌姫なのかどうか、確認する必要があります。カースと戦うためには、歌姫が切り札。それはご承知のことでしょう?」
「だからこそ。凛空が生まれた時から、我々はリガードに彼を託し、成長を監視してきたのではないか」
(おれは監視されていたの? じいさんは、おれのことを王宮に報告していたってこと?)
「凛空は予言通りの容貌をしている。月と太陽が一直線に並んだその日。太陽の塔に古より仕えし猫族に生まれた。漆黒の耳に瞳。そして漆黒の鍵しっぽだ」
広間はサブライムの声を受けてもなお、騒ぎが収まる気配はない。
「リガードは、お前をカースの目から隠そうとしていた。本来であれば、猫族の町は危険だったが、木を隠すなら森に隠せという言葉もある。猫族の中で平凡な猫として育てたい。それが彼の意向だったんだ」
「じいさんの?」
「リガードはお前のために自分の地位も名誉も家族も。みんな捨て去った。お前に人生をかけたのだ。凛空。それは理解しているのだろう?」
「じいさんは……」
じいさんから家族の話を聞いたことはない。おれはじいさんのことを、なにも知らなかったのだ。彼が王宮にいて、ものすごく腕のいい魔法使いだってことも知らなかった。
なんだか胸がぎゅっと締めつけられるように苦しくなった。その気持ちは湧いてくる泉みたいに、おれのからだからあふれ出てしまいそうだった。
ともだちにシェアしよう!