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第11話 ふわふわ
「皆で猫族に対し敬意を払おう。彼らは古より神に仕え、歌姫が猫族に誕生をするということを受け入れ、そして危険を顧みずに、凛空を自分たちの町で育てるということを受け入れた」
サブライムは左手を胸に当て、声色を低くした。その仕草はおれに故郷を思い出させた。
じいさんだけじゃなかったんだ。町の人たちは、みんなおれのことを知っていて、おれを温かく迎え入れてくれていたということか——。
あの町の景色が脳裏に駆け巡った。
(先生。聖歌隊の仲間たち。それから風馬。みんなどうしているのだろうか?)
帰りたい。あの日常に帰りたかった。その瞬間——。おれのからだの奥が熱くなった。その熱は中心部から指先まで広がって……。
なにかが溢れ出た瞬間。唇から歌が飛び出した。耳にしたこともない旋律は、おれのからだを満たしていく。
怒りの日
怒りが地上に解放されたとき
すべては灰になるであろう
呪われた者たち
口を封じられた者たちへ
膝を折り私は祈りを捧げる
下された裁きを私たちは受け入れることでしょう
祝福された者たちをどうぞお守りください
残された者たちに永遠の安寧を——
これは鎮魂歌——。
留まることを知らぬように、湧き出てくる旋律。これはおれの意思ではない。
(歌姫の意識が、おれを刺激するの——?)
確かに聖歌隊に入りたかった。人前で歌うのが嫌いなわけじゃない。けれども、王様や大臣たちを目の前にして、悠然と歌えるほど、度胸が据わっていない。おれのことは、おれが一番よく知っているのだから。
なんだか、自分が自分ではなくなってしまうような感覚に、恐怖を覚える。
しかし、そんな感情とは裏腹に、おれは両手を広げ、そこにいるみんなに語り掛けるように歌った。
たくさん死傷者が出ていると言っていた。傷ついた故郷。じいさんと過ごした長い時間が走馬灯のようにおれの脳裏を駆け巡った。
おれの意識は肉体を抜け出して、心は空高く舞い上がる。この空を自由自在に飛びまわり、そしてあの町に帰っていくようだった。
(おれは、あの町に帰りたい。じいさんがいて雄聖がいる、あの生活に帰りたいんだ——)
いつの間にか目尻からは涙が零れていた。騒々しかったその場所は、ひっそりと静まり返っていた。歌の終わりと共に、故郷を見ていたはずのおれの意識は、からだに戻った。その瞬間、おれは現実に引き戻された。
(お、おれ。歌ったの?)
その場にいた者たちが、息を潜めているのがわかった。
我に返った途端、おれの心の中に広がるのは羞恥心だ。顔が熱くなった。しっぽの付け根がもぞもぞとして、落ち着かない。
「あ、あの。その……」
そっとサブライムを見ると、彼は満足そうな笑みを浮かべておれを見ていた。そして、ピスが堂々たる声を上げる。
「これが歌姫たる所以——というわけだ。これでも凛空の存在を疑う者はいるか?」
レイムたちの隣にいた小柄な人物が一歩前に出た。彼は頭のてっぺんから、足先まで濃紺色のマントに覆われ、姿形がわからない。
「司法大臣のグレイヴです。私は歌姫の登場を歓迎いたしましょう。この歌は我々の殺気立った気持ちを癒した。違いますか。彼が歌姫ではないというのであれば、一体、どこに本物の歌姫がいるというのか。疑う者は、それを示していただけないでしょうか」
隣にいたセイジは「そうですね」と肩を竦めてから同意をした。
「グレイヴの意見に賛成です」
レイムは「おほん」と軽く咳払いをし、それから大きく頷いた。
「私も、彼を歌姫と認めましょう」
大臣たちの同意を得たことで、その場は収まったようだ。サブライムは愉快そうに口元を緩めると、腰を上げた。
「カースとは、人を惑わす悪しき存在。心を強く持て。弱き心を餌食として、カースは王宮にも入り込もうとする。仲間を罰するという悲劇はもうたくさんだ。周囲を警戒し、少しの異変も見逃さないこと。なにかあればすぐにピスに報告を上げるように。では解散」
サブライムはそう言い放つと、おれの手を取って歩きだす。この場はお開きだということだ。そこに参集している人たちの視線が変わった。入ってきたときとは違ったその視線の意味が、おれにはよく理解できなかった。
*
広間での面通しが終了した後、「この部屋から一人で出ないように」と言いつけられて、広い部屋に取り残された。
王宮というのは、どこもかしこも手の込んだ造りになっている。
海老色の落ち着いた壁紙を埋めるように、所狭しと絵画が掲げられていた。中央には、長椅子が机を挟んで向い合せに据えられていた。
ふかふかしている椅子に腰を下ろしてみるが、なんとも居心地が悪い。落ちつかなくて視線を彷徨わせると、翡翠のような輝きを持つ花瓶が目についた。
じいさんとの生活は質素なものだった。森の中にぽつんと建っていた、木造の飾り気もないような古びた屋敷。
雄聖が毎日のようにきれいに掃除をしてくれていたけれど、花や芸術品が飾られるようなことは一切なかった。
花瓶に飾られている花を見つめていると、ふと手がむずむずとした。花の中に、ふわふわの綿毛みたいな植物を見つけたからだ。
(こ、これは……!)
ごくりと生唾を飲み込んでから周囲に視線をやる。部屋はしんと静まり返っていて、誰の気配も感じられなかった。
「少し、くらいなら、いいよね……」
そのふわふわした綿毛の植物に手を伸ばして一本抜きとる。花瓶がぐらぐらとした。
「や、やばい」
壊したら大変だ。慌てて花瓶を両手で抑えた。花瓶は無事だったが、ふわふわの植物が空中を舞った。それを見ていると、本能がくすぐられて愉快な気持ちになる。
両手を伸ばして、それを捕まえるが、そいつはひょいっと跳ねて床に落ち込んた。人差し指でちょんちょんと突いてみると、そいつはまた空中に跳ねあがる。
「待って!」
再び飛び上がって、捕まえようと試みる。と——。
「なにをしているのですか」
冷たい、それでいて鋭い声が響いた。
床に落ちた植物を両手で抑え込んでから、はったとして顔を上げると、そこには、お腹を抱えて笑っているサブライムと、呆れたようにため息を吐くエピタフが立っていた。
(見られた……っ!)
「遊んでいたのですか」
「あ、あの。……つい。うっかり、うっかりです」
「うっかりって。凛空はやっぱり猫なんだな。これ、そんなに面白いか?」
サブライムは花瓶から同じ植物を抜き取って、ふりふりとして見せる。
(やめてくれ……それをやられると)
手がついその植物を捉えようと前に出てしまう。
「ほら、ほら」
ふわふわを追いかけて、手を伸ばしていると、つい夢中になってしまう。エピタフが、「遊んでいる時間はありませんよ」と、古くて分厚い書物をテーブルに置いた。
「凛空。あなたはご自分のことを知るべきです」
「すみません……」
(この人、怖いんだよな)
ふわふわの草を弄んでいるサブライムを恨めしい気持ちで見つめていると、エピタフに「そこにお座りなさい」と言われた。
「凛空と遊ぶと愉快だな」
おれの向かい側の椅子に腰を下ろしたサブライムをじっと睨むと、彼はますます笑みを見せた。その笑顔は眩しい。
王様っていうのは自由奔放な生き物だ。エピタフは頭痛でもしているのだろうか。顔をしかめてサブライムを見ている。彼の面倒をみるのは一苦労、と言わんばかりだ。
「それ。お預かりいたしましょう。勉強中に遊ばれると困ります」
「そう怒ってばかりいるな。口うるさい兎は嫌われるぞ」
サブライムはつまらなそうに、植物をエピタフに手渡した。彼は冷たい視線のまま、「別に好かれたいとは思っていません」と言った。
エピタフは咳払いをすると、本を開く。その仕草は優雅だった。同じ獣人だというのに。おれとエピタフは違いすぎる。彼をじっと見つめていると、エピタフは顔を上げた。
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