13 / 55
第12話 黒マントの正体
「貴方は、歌姫としての振る舞い方を学ぶ必要があります。人をジロジロと見るのは不躾ですよ」
エピタフの言うことはもっともだ。しかしつい見とれてしまうくらい、エピタフは美人だった。
「だって。エピタフは美人だし——」
彼は「まあ」と声を上げたかと思うと、咳払いをした。
「奇異な目で見られることには慣れっこですが、こうもあからさまですと、反応に困りますね」
「ごめんなさい……」
褒めたつもりだったけれど、嫌だったらしい。おれは反省し、からだを小さくする。
エピタフは「私のことよりも、本題はこちらです」と分厚い本をバタンと開いた。そこから埃が舞い上がる。随分と古い書物であることがわかった。
「これは千年前のことについて書かれた古文書になります」
彼は真ん中くらいのところを開くと、本をくるりと回して、おれに見えるように突き出した。
そこに書いてある文字は古代文字だ。掠れていてとても読みにくい。しかも、ところどころ紙が破けていて抜け落ちている。
「この国の歴史については、学校で教わりましたね。千年前の戦争について、どう理解していますか」
エピタフの突然の問いに、どっきりとして、うまく言葉が出なかった。
「ええっと。確か。人間と獣人との間で戦争があって……。でも結局は、獣人が敗けて。それで獣人たちは、王都から出て、地方に自分たちの町を作って暮らしているって」
「それだけですか」
「それだけ……」
なのかどうかはわからない。だって、勉強苦手だし。もっと詳しく習ったのかも知れないけれど、おれが覚えているのはそれだけだった。
「おれ。学校の成績があまりよくなくて……」
エピタフは呆れたようにため息を吐いた。
「元魔法大臣が手塩にかけて育てたというのに。お粗末ですね」
エピタフの言葉尻には棘がある。さすがにむっときた。
「確かに。おれは馬鹿だけど。じいさんのことまで悪く言わないでよ。なんでエピタフはそんなにじいさんのことを嫌うの?」
「そうだぞ。そんな厳しいことを言うなよ。エピタフ」
サブライムはおれを擁護してくれるけど、エピタフは険しい表情のまま言い切った。
「嫌いですって? 嫌いに決まっているではないですか。祖父は——リガードは、一族の恥なのですから」
「え……! エピタフって、じいさんの孫……だったの?」
おれは驚いた。じいさんの孫が、この兎族の男だというのか?
おれの戸惑いに気がついたのか。エピタフは不本意そうに説明を加えた。
「私のこの姿は、彼の愚行の結果です。祖父は王宮の人間でありながら、兎族の長だった祖母を口説き落とし、つがいにしました。魔法大臣としては信じられない行為です。人間で構成されているこの王宮に、獣人の血を入れたのですから」
その瞳の色は憎悪すら感じられた。この人はじいさんのことが嫌いなのだ。自分が獣人の姿で生まれた事を呪っているのだ。
それと同時に、おれのことが嫌いなのだ。じいさんがおれのために死んだことを、この人はどう思っているのだろうか?
黙っていると、彼は軽く息を吐く。
「死んだ者の話をするのは時間の無駄です。本題に戻りましょう」
エピタフは前屈みになっていた姿勢を正し、それからおれをまっすぐに見据えた。その瞳には揺らぎが見えた。動揺しているのだ。じいさんの話をする時、エピタフはいつもの冷静さに欠けているような気がした。
「神の与えた粛清の後、地上では人間が権力を握っていましたが、獣人たちも王宮に出入りしていました。そんな中、一人の書記官が反乱を起こしました。人間たちへの不満を抱いていた獣人たちは、書記官の訴えに賛同していったのです。危うい均衡を保っていた人間と獣人たちとの関係性は、あっという間に破綻し、戦いに発展しました。それが千年前の戦いです」
「どうして争いなんて起きるんだろう。話し合えばいいのにね」
どうして自分と違う意見の者たちを、力で押さえつけようとするのだろうか。誰かの利益を優先したら、誰かが我慢しなくてはいけないのだ。すべての人が満足できる世界は不可能であるということを、このおれだって理解しているのに。
「皆がそういう考えではないということだ」
サブライムは声色を落とす。
「人は他人よりも優位でありたいと願う。人間であるおれたちは、獣人を下に据えることで、人間同士の争いを回避してきたという歴史があるのだ。良し悪しではない。それが、我々が平和でいられるための仕組みだ」
「サブライム。本当にそれでいいと思っているの?」
おれは「信じられない」と思った。
エピタフだってそうだ。王宮に来てから、おれに向けられた奇異の目。エピタフは、そんな視線に晒されながらここにいるのだ。なんだか、いたたまれない気持ちになった。
じいさんがカースと話をしていた時、話題に出た「あの子」と言っていたのは、エピタフのことだったのだろう。
非難の気持ちを込めて、サブライムを見つめた。おれに睨まれたって、全然平気なのだろう。サブライムは肘掛けに腕を預けて、にやにやと笑った。
「いいと思っているわけないだろう。そんな仕組みはおれの代で壊す。それが、おれが王になった理由だ」
彼はあっさりと言い退ける。けれども、その言葉にはものすごい意思を感じた。
(やっぱり、サブライムは王様なんだ)
誰しもが彼の前では屈服してしまうような魅力があった。きらきらと輝く碧眼に、おれの心は吸い込まれてしまいそうだった。
「王宮にはサブライムに反旗を翻そうと暗躍している勢力があります。ただでさえ、仕組みを作り替えるということは、必ず反発が起きるというのに——」
「モデスティのことを言っているのか?」
「そうです。彼は日頃より、サブライムに反抗的です。更に、最近はカースと通じているという噂があります。これ以上、野放しにしておくのは危険だと思います」
立派な髭を生やした男を思い出す。確かに。サブライムに対して、敵意をむき出しにしていたきらいがある。
しかしサブライムは、「エピタフは心配性なんだ」と小声で言ってから片目を瞑った。大して気にも留めていない様子だった。
「そういう甘さは、いつか命取りになると申しあげているはずです」
「大丈夫だ。なにも考えていないわけではないのだ」
なにを言っても仕方がない——と思ったのだろうか。エピタフは軽く息を吐いてから、「話を戻します」と言いながら、古文書をめくった。サブライムは肩を竦めてから椅子の背もたれにからだを預けた。
「この古文書によると、黒魔法を駆使し獣人を味方につけた書記官との闘いはかなり熾烈なものであったそうです。王宮軍は苦戦を強いられて、かなり追い詰められました。しかしそこに登場するのが、歌姫という存在です。
歌姫は、王宮専属の聖歌隊に所属していた猫族の獣人で、太陽の塔に仕える聖職者でもあったようです。その歌声は、荒ぶる聴衆の心を癒し、闘志を鎮めた。書記官にとったら天敵です。黒魔術に長けていた彼を取り押さえることができたのは歌姫だけだった——ということです」
「歌姫ってすごい人だったんですね。その悪い書記官を取り押さえるって、どうやったんだろう?」
「それは歌姫という名の通り。歌の力だったのでしょう」
「あ、あの。黒マントの男は……。カースって人は一体何者なの? その悪い書記官と、どんな関係が……」
サブライムは難しい顔をして答えた。
「カースは、この古文書に登場する書記官だ」
「え! どういうこと?」
カースが書記官だというのか。それでは計算が合わない。そんなに長らく生き続けることができる生物は聞いたことがなかったからだ。
ともだちにシェアしよう!