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第36話 歌の力
おれはエピタフを見る。自分のすべきことを理解したからだ。彼はそっとおれの背中を押してくれた。
(おれにできること。それは——歌うこと!)
一歩、また一歩と歩みを進め、おれは広間に足を踏み入れた。
おれのつぶやきにも似た旋律は、喧噪にかき消されていく。しかしおれは諦めずに歌った。一人、また一人と、おれの歌に気がついて口を閉ざす人たちが増えるにつれ、広間はしんと静まり返り、歌がその場を満たしていく。
罪深きわたしたちに なにができようか
ただ震え 地にうずくまるばかりか
いや それは違う
罪深きわたしたちだけれど それでもなお
わたしたちには祈りがある
不安に打ち震える哀れな子よ
わたしの手を取りなさい
わたしと共に歌うのです
哀れな子らよ——
(ねえ、そんなに心を乱さないで。怯えることもないんだ。おれたちにできることは決まっている。一人一人の力は小さいけれど、みんなで協力すればなにも怖くないじゃない)
それはまるで自分に言い聞かせることだった。
サブライムのことがすごく心配だ。
カースの脅威は確実に迫っている。
けれどもおれは一人ではない。
余韻を残し、歌が終わる頃——。ふと肩を掴まれた。顔を上げると、そこには老虎がいた。
「一人で背負うんじゃねぇぞ。チビのくせに。任せておけって。おれたちがこの王都を。それから大切な奴らを、みんなまとめて守ってやる」
「老虎……」
老虎は大きな声で言った。
「おれのふるさとは、すっかりカースの言いなりだぜ。恥ずかしいもんよ。なあ、スティール。少し単独行動させてもらうぜ」
スティールは老虎を見据えたまま固く頷いた。老虎を見上げると、彼はしっかりとした、静かな口調に戻っていた。
「他の種族が、全てカースについたとしても、おれの種族だけはそうなって欲しくねぇんだよ。なあ、お前らも同じ気持ちなんじゃねぇのか。おれたちは王都に来て、好き勝手やってきた。一族にも戻らずにな——。故郷の仲間は家族だ。そいつらが、カースに加担して死んでいくのを、おれは見たくねぇ。どっちが正しいなんてわかんねぇけどよ。おれはおれの信じた道を進みてぇんだ」
この危機的状況で、老虎が抜けてしまうのは心細い話だ。組織の長としての判断は「否」。しかしきっと、スティールの回答は——。
「わかった。行ってこいよ。その間はおれたちでなんとかする」
(やっぱり、スティールはスティールなんだね)
なんだか嬉しい気持ちになってエピタフを振り返った。彼は壁にからだを預けて、目を細めていた。
「すまねぇ。スティール」
「いや——」
スティールは軽く深呼吸をしてから、みんなを見渡した。
「ここにいるみんなもそうだ。もし一族に戻りたい者がいれば遠慮なく申し出てくれ。ここからは人間対獣人の戦いになる。おれたち革命組はどちらにも属するつもりはない。第三勢力として、おれたちは戦いを止めに入る。だが、それは同族と対峙する最悪の事態もあり得るということだ」
広間内が騒然とした。お互いがお互いの顔を見合わせて困惑していた。すると熊族のガズルが手を上げた。
「おれの故郷の奴らも王都に来ている。今の長はおれの従兄弟だ。あの野郎——すっかりカースに騙されやがって。ぶん殴って目を覚まさせてくるぜ」
他の組員たちも「おれたちにできることをしよう」と声を掛け合っている。スティールは、誇らしげにみんなを見つめていた。
「よく言ってくれた。みんな、自分たちの一族を正しい道に戻してやってくれ。必ず我々の手で平和を、平等を手に入れよう」
足を踏み鳴らし、雄叫びを上がる。地下のその空間に反響して、それは何十倍にも大きく聞こえた。圧巻だった。ここにいるみんなは、一つの理念に従って使命を全うしようとしているのだ。
(おれもやるべきことをやるんだ)
サブライムの安否ばかりが気にかかる。王宮とか、革命組とかの問題ではなかった。みんな目指すものは同じなのだから——。
おれは廊下にいるエピタフを振り返った。彼は押し黙ってそこにいた。おれには彼の気持ちがよく理解できた。
「エピタフ。寄り道するって、老虎と一緒に行くんでしょう?」
「凛空——」
「知ってる。二人が仲良くなったってこと! 大丈夫だよ。エピタフがいない間、おれが頑張るし。スティールと協力して、サブライムを助ける」
エピタフは口元を緩めてから、おれの頭を撫でてくれた。
「凛空。貴方は強くなりましたね。ありがとうございます。すぐに戻ります。私がついていくのです。シーワンも必ず無事に戻ります」
「——わかった。信じてる」
「あなたにはサブライムを任せます」
「任せてよ」
広間は大騒ぎだった。老虎が戻ってきたかと思うと、その太い腕でエピタフを抱えあげた。
「シーワン!」
エピタフは目元を朱に染める。
「やることやったら、エピタフは王宮に必ず送り届ける! 安心しろ。凛空」
老虎はエピタフを抱きしめる。あんなに喧嘩ばかりの二人だったのに、どういう風の吹き回しなのだろうか。
「みんなを送れるか?」
「私を誰だと思っているのです。みんなまとめて、一族の元に戻して差しあげますよ」
地面に降りたエピタフは、広間にゆっくりと歩みを進める。彼の登場に、その場が静まり返った。
「スティール。いいですね? 皆を送って」
「エピタフ……。お前。まだ傷が。大規模転移魔法は、からだに負担がかかるぞ」
「かまいません。今はそんな細かいことを気にしている場合ではありませんよ」
「細かいことって」
エピタフはスティールの言葉を無視し、みんなに声をかけた。
「移動したい者たちは、自分の行きたい場所を心に思い描きなさい。さすれば、それぞれの願いは叶うでしょう。それでは始めます」
エピタフは両腕を広げたかと思うと、風を切るように腕を動かし、それから口元に指をあてた。その後、すぐに広間全体が青白く光り始める。
「わ!」
「お!」
小さい驚きの声を共に、広間から人が消えていった。皆が自分の望む場所に送られて行ったのだ——。
老虎はエピタフを引き寄せる。彼らもまた、広間から姿を消した。おれとスティールは二人を見送った。
広間に残ったのは、人間族が数十人だけだった——。
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