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第37話 真のつがい

 いつもは騒々しいアジトはすっかり静まり返っていた。  アジトに残っているのはスティールを中心とした人間が数十名と、博士と先生。それから、老虎の親友である狐族のシェイドだ。彼は身寄りがなく、一族とも疎遠であるため、戻ることを希望しなかったと言っていた。  アジトに残ったおれたちは、方々に散った仲間たちからの連絡を受けながら、月の神殿の場所を特定するため、博士の割り出した地帯を見て歩くことにした。  エピタフからは、王宮に戻るようにと言われていたが、スティールにその話をしたところ、「大丈夫だ」と一蹴されてしまった。エピタフの危惧は現実のものになりそうで怖い。カースという男は狡猾だ。人が少なくなった今を狙わない手はないのだから。  念のため、外には出ないようにと言い渡され、月の神殿探しに出かけていく博士たちを見送る。古文書の解析の仕事がなくなると、おれは時間を持て余してしまう。なにかできることがあるのではないかと、先生のところに顔を出してみると、先生はなにやら忙しそうに作業をしているところだった。 「おお、凛空。いいところにきた。お前も手伝ってくれ」  先生の隣では、シェイドが大きな麻袋を運んでいるところだった。 「これはなに?」 「薬だ」  興味がわいた。床に並んでいる袋にはなにやら紙が貼れていた。植物の名前だろう。 「陳皮(ちんぴ)当帰(とうき)蘓木(そぼく)甘草(かんぞう)……?」  先生は植物をすりつぶす手を止めた。 「これから、大成湯(だいせいとう)や:独参湯(どくじんとうという薬を作る。これから戦が始まるかもしれないだろう? 外傷患者に飲ませる薬が必要になるからな」 「薬って、魔法よりもいいの?」 「あの白兎も気に入っていたようだぞ」  先生は目を細めて笑った。 「エピタフを助けてくれてありがとう。先生」  先生は、白い陶器製の器にそばにあった草を追加してから、同じ陶器でできている棒でゴリゴリとすり潰す。おれの鼻先にその粉がつくと、苦い匂いがしてくしゃみが出た。先生は「くっくっく」と笑うと、次々に草を器に足していく。 「この世の中は、魔法という力で無理やり捻じ曲げている。おれはそんな魔法が嫌いでね。本来、人のからだというものは、順序立てて回復しなければならないものだ。それを魔法は時間をかけずに修復してしまう。そんな不自然なことばかりしていると、いつかしわ寄せがくる。おれたちの故郷では、そうやって自然の中で命を全うしているんだ」 「自然の中で……」 「お前は『真のつがい』という存在を信じるか?」  先生が草を擦り潰す手を止めずに言った。 「真のつがい……。聞いたことはあるけれど。よくわからない。でも、あるんじゃないかなって思う。先生は知っているの? 真のつがいって、本当にある? どんな感じなんだろう」 「そうだな——」  先生はにやにやと笑った。 「真のつがいを目の前にした者は、その運命に抗えないと言われている。その姿を目にしただけで、心臓は鼓動を速める。互いを誘うような甘い香りに酔いしれて、我を失ってしまうそうだ」 (それって——。まるでサブライムを見た時の、おれじゃないの) 「真のつがいは、互いに惹かれ合い、ビビッと来るらしい。まあ、独り身のおれにはわからない感覚だがね。——どうした? 凛空。お前は、そういう相手。いるのか?」 「先生——。ねえ、老虎とエピタフが仲良しじゃない? あれって——」 「野暮なことを聞くんじゃないよ。人の恋路を邪魔するやつは、馬に蹴られて死んじまえって言うくらいだからね」 「恋路——」 「真のつがいってやつほど不思議なものはない。しかし。世の中はそういう不思議で成り立っているのだよ。物事を突き詰めて、白か黒かと論ずるのもいいが、どっちつかずの灰色っていうのも時には必要だ」  先生は手を止めると、「新しい命が生まれるとはいいもんだ」と言った。 「命が生まれる機序は不思議で成り立つ。この世界は不思議で満ち満ちている。我々獣人の存在だって、不思議でできているだろう?」 「不思議……?」 「そうだ。異種族の交配が成功するなど、あり得ないことなのだ。それなのに、我々はこうしてここにいる。どうして獣人が生まれたのか。それは、誰も知らぬこと。命とは不思議なものだ。救われる命もあれば、散る命もある。命に価値はつけられないが——まずは自分を大切にしなければならないぞ」  先生がどうしてそんな話をし始めたのか、おれには意図が理解できなかった。けれどもそれは大切な話だ。 「シェイド」  先生はシェイドを呼んだ。 「なんだよ。先生」  シェイドは麻袋を運ぶ手を止め、おれたちの横に座った。 「お前には、家族がいないと言うが、家族同然の存在がいるはず。大事にな」 「なに恥ずかしいことを言っているんだよ。先生。そんなのわかっているって」 「お前はわかっていない。自分を大切にしない奴は、人のことも大切にできない。いいな。お前たち二人。どんなことがあっても、自分の命を守ることを考えるのだ」 「——はい。先生」  おれは大きく頷いた。  すると突然。耳を劈くような音が鳴り響いた。警告を告げる鐘の音だった。驚いて先生とシェイドを見る。通路を走っていく人たちの足音が聞こえた。 「行ってみよう」  先生に促されて、おれたちは作戦会議室に足を運んだ。そこには残っていた組員たちが集合していた。

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