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第40話 伝わらぬ思い
弓を下ろした男は、半分欠けている月を背に佇む。その姿形は見覚えのある、おれの大好きな人——。
「サブライム……っ!」
サブライムの容態は思わしくないと聞いていたのだが、そこにいる彼は太陽の塔へ向かったあの朝となんら変わりない。
しかも彼の放つ光は翳るどころか、その輝きを増しているようにさえ見えた。
サブライムは目を細めて「遅くなった。凛空」と言って笑った。
(サブライム……っ)
彼の名を呼ぼうとするのに、声がうまく出なかった。なにかが喉に詰まっているみたいに、声が出なかったのだ。
サブライムの後ろには王宮軍の騎士たちが控えていた。太陽の塔で一緒になった、騎士隊長のアフェクションもそこにいた。彼らはモデスティが率いる軍と同様に武器を手にし、いつでも戦闘が開始できる態勢だった。
「王は瀕死の状態のはずでは……」
モデスティは上ずった声を出し、狼狽えたように後退していく。それとは反対に、サブライムはモデスティに向かって歩みを進めていった。
「王宮の治癒力を侮ってもらっては困るぞ」
「嘘の情報を流していたというのか?」
「悪いが、先日の傷は翌日には回復していた。我々はお前たちが思っている以上に、お前たちを迎え撃つ準備を完了しているのだ。お前はここで拘束する。観念するがいい」
「く……っ! やれ!」
モデスティの合図で配下の騎士たちは、サブライム率いる王宮軍にかかっていった。静かな夜の森は、たちまち戦場と化す。
おれは走った。戦う人々の合間をすり抜けて、サブライムをめがけてまっしぐらに走った。
彼に会いたかった。ずっと我慢してきた思いが。からだから溢れ出してしまいそうだった。
サブライムもおれの元に駆け寄ってきた。おれたちは固く抱き合い、お互いの存在を確かめ合った。
「凛空……!」
「……サブライムっ」
(会いたかった!)
やっと彼の名が口から出た。どうしたらいいのかわからない。心が歓喜の悲鳴を上げていた。
「すまなかった。心配をかけた」
(ああ、サブライムの匂いだ)
涙が溢れてきた。これは嬉しい時の涙——。言葉では表しきれないくらいの嬉しさだった。しかしそんな幸せも束の間。モデスティが「王、覚悟」と剣を振りかぶってきたのだ。
おれは思わずサブライムのからだを引っ張り、身を乗り出した。しかしその剣がおれに届くことはない。視線を上げると、おれたちの目の前に飛び出したスティールの剣がそれを受け止めていたのだった。
「お前……! 親の邪魔をする気か!」
「いい加減にしろ! 父さん! 目を覚ませ! カースの目指す未来に希望はない」
「ええい! お前になにがわかる!」
太陽の塔の時も二人は剣を交えた。親子でいがみ合い、争わなくてはいけないものなのだろうか。おれを抱き留めているサブライムの腕に力が入るのがわかった。彼だって、こんなことは望んでいないはずだ。
(もう止めて! 争いからはなにも生まれない!)
おれはサブライムの腕を抜け出していた。
「凛空!」
おれの歌でなにができるのかわからない。けれども、おれには歌しかなかった。サブライムの制止を振り切り、おれは歌った。
(もう止めて欲しい。こんなことは無益だ。なぜ人はいがみ合う。争い合うのだ)
元々は一緒に戦った仲間たちだ。それがこうして、なぜ互いに傷つけあう。なぜだ。なぜだ。なぜだ。
(お願い! もう止めて!!)
——争いからはなにも生まれない
おれの脳裏に音の声が響いた。
(歌姫なの?)
——あなたのその命は、かけがえのない命なのです
目の前の映像がじりじりと歪んで、目の前に薄暗い石造りの広間が見えた。等間隔で建っている柱は、なんの装飾もない石柱だ。
太陽の塔と似ているけれども、太陽の塔のような豪華絢爛な造りではなかった。白と黒で造られた、色のない神殿は——もしかしたら、これが月の神殿?
『貴方は美しい。貴方は唯一無二の存在です』
おれの伸ばした指先は、七色に輝く男の頬に触れる。
——愛おしい 愛おしい
こんなに溢れ出してしまいそうな気持なのに。ただじっと押し隠すしかないのか。
『美しいのはお前だ。音——。おれはお前だけのためにある』
——嬉しい 貴方と過ごせる時間 こんなにも尊いものなのでしょうか
『なぜ王の言うがままになる。おれはそんなことは望まない。おれは王宮には拘らない。お前さえいてくれるのであれば。おれはどこでも生きていけるのに』
——二人でどこかに消えてしまいたい
『王は素晴らしきお方。私たち獣人を救ってくれるお方です』
(嘘だ。全部嘘……)
音は嘘をついていた。彼を守りたい——。そのためなら自分はどんな風になってもいいと思っている。しかし——言葉にしないことは伝わらない。男は語気を荒くした。
『お前は王を選ぶか? おれを捨て、王を選ぶというのか?』
悲しみで胸が張り裂けそうなくらい苦しいのに。音は『そうです』と言った。
(違う。駄目。そんなの。きっと伝わらないよ。ちゃんと言葉にしなくちゃ、伝わらないんだよ!)
おれの声は届かない。
『おれを捨てるな。——音』
差し伸べられるその美しい腕を振り払い、音は歩き出す。
背後から聞こえる呪詛のような言葉が、音の心を貫く。あまりの痛みに彼はその場に座り込んでしまいそうだ。
『お前はおれを捨て、王を選ぶというのか? 音——! おれは。おれは——。この世界を混沌に陥れる。全てを呪う。全てだ。お前をおれから奪い去る全てを、おれは呪うだろう——! 破滅しろ! 永遠の地獄をこの地上に——』
音の心が弾けた。
——カース……!
おれの双眸からは、涙がとめどなく流れ落ちた。
(貴方が本当に愛していたのは——カース。あの人だったの?)
歌は暗闇で支配されている森に響き渡った。争っていた騎士たちの手から武器が転がり落ちた。一人、また一人とだ——。それは連鎖反応みたいに全ての騎士に起こった。
「おい! なぜ戦わぬのだ!」
モデスティが部下たちを叱責した。しかし彼らにはもう戦う意思がないことくらい、おれの目から見ても明らかだった。
(音。貴方の歌は平和への祈り。そして愛する者への思い。貴方の思い、しっかり受け取ったよ……)
一人取り残されたモデスティは狼狽えたように周囲に視線を巡らせていた。おれは彼の目の前に立つ。先ほどとは立場が逆転していた。
「負けだよ。モデスティ」
彼はおれの顔を見上げて、両膝を突いた。しかしすぐに、「うおおおお」と雄叫びを上げたかと思うと、そばに落ちていた長剣を拾い上げて、おれに切りかかってきた。
不思議な感覚だった。怖いと思うはずなのに、怖くなかった。なぜだろうか。これはきっと「大丈夫だ」という気持ちがあったから——。
そう。だってここには——彼がいるのだから。
モデスティが剣を振り降ろした瞬間。それを受け止めたのはサブライムの剣だった。情けないくらいによろめいたモデスティをサブライムは打ち据えた。地面に崩れ落ちたモデスティは「うう」と低い唸り声を上げた。
「大丈夫だ。殺しはしない。彼にはそれ相応の裁きが必要だ。スティール。許せ」
サブライムの言葉に、スティールは「恩情に感謝いたします」と言って頭を下げた。
それからスティールは、地面に座り込んでいるシェイドを見た。
「おい。老虎に知られたら殺されるぞ」
スティールは笑った。それを見上げたシェイドはがっくりと肩を落とした。
「今更、どんな顔してあいつに会えばいいんだよ」
「どんな顔だっていいさ。半殺しにされるかもしれないけど。きっと許してくれるさ。なあ先生」
先生は「ああ、そうだな」と言った。
「命あれば、なんとかなるものだ。取り返しのつかないことなんてそうないんだ。シェイド。お前は老虎にこれからの人生をかけて償いをしていけ」
彼は騎士たちに両脇を抱えられて連行されて行った。戦意を喪失したモデスティ軍は片っ端から拘束された。それの様子を見守っていると、ふとサブライムはおれの目の前に手を差し伸べた。
「待たせた。凛空」
「サブライム……」
おれはそっと彼の手を取った。その手は温かい。おれの心はじんわりと幸せな気持ちに支配された。
「ずっとお前に会いたかった」
「おれも……だよ」
サブライムの指が、おれの頬をなぞる。なんだか気恥ずかしいけれど、それでも嬉しくて。そっとサブライムを見上げる。彼の輝くような双眸がおれを見返していた。
「無事でよかった。すまなかった。心配したか」
「心配したよ——。だって重症だって」
サブライムの鼻が、おれの鼻先にくっつく。息がかかるくらいの距離に、耳まで熱くなる。唇が触れるか触れないかのところで、ふとサブライムの熱が遠退いた。
名残惜しい気持ちでいっぱいだった。思わず彼の腕を掴む。サブライムはにっこり笑みを見せたかと思うと、張りのある声で「凛空! 帰るぞ!」と言った。
「——うん!」
おれの手を取りサブライムは走り出す。今までの嫌だったこと、辛かったことなど忘れてしまうようだ。サブライムの手はおれの心を優しく包んでくれるような気がした。
(おれはやっぱり——サブライムが好き。真のつがいとか、種族の問題とか、そんなことはどうでもいい。おれはサブライムと一緒にいたい)
サブライムの合図に、騎士団の中に混じっていた魔法使いたちが、移動魔法を展開する。おれたちはあっという間に王宮へと戻っていった——。
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