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第42話 軍事大臣

「牛族、象族が合流し、連合軍の数は膨れ上がっております。明日の早朝にはあらかた出揃うことでしょう」  そこでスティールが口を挟んだ。 「おれたちの仲間が自分たちの種族に戻り、この戦いに参戦しないように説き伏せている最中だ。先ほど届いた仲間からの伝令によると、その半数がこの戦いを見送るという決断をしてくれているそうだ」 「数ではない。種類だ。小型動物と大型動物では訳が違うのだ。特に今回の戦いの鍵を握るのは比較的凶悪な性質を兼ね備えている肉食の獣人の動向だ。日頃より我々に友好的な種族は、すでに援助を申し出てくれているが、それについても表立って兵力を送り込んでくれるところはいない。あくまでも後方支援だそうだ。王都に住まう避難者の受け入れ、物資の供給——その程度で終わりだろう」  ピスの説明に一同は黙り込んだ。この戦いは避けられないのかもしれない。人間と獣人との確執は、長い時を経て根深く刻み込まれているのだ。  その場の空気が重くなった時。ふとサブライムが身を乗り出して言った。 「王宮と革命組、それからすべての者たちが手を組まなければ乗り切れない非常事態だ」 「歌姫の覚醒は?」  ピスの問いにサブライムは首を横に振った。ピスは残念そうにおれを見た。なんだか申し訳なくて耳が垂れる。サブライムはおれを励ますように笑みを見せた。 「いや。それはそれでよかったのかもしれない。おれは思うのだ。歌姫の力にばかり頼ってはいけない。これは神が我々に与えた試練でもある。我々は平和に慣れ、そして自分たちの利益ばかりを追ってきた。カースという絶対悪を得た今、我々は一致団結してそれに立ち向かわなければならないということだ」 (絶対悪……)  なんだか胸がちくりと痛んだ。これはおれの気持ちではないと思う。きっとおれの中の音が心を痛めているのだ。 「凛空?」  サブライムがおれの名を呼んだ。はったとして意識を内から外に戻す。そこにいるみんながおれを見ていた。 「あ、あの」 「大丈夫か?」 「うん……」  おれの中で少しずつ明瞭になっていく歌姫の記憶は、知れば知るほど、辛い気持ちになる。おれはカースを憎み切れない自分がいることに戸惑いしかない。  サブライムやエピタフをあんなに傷つけた男だというのに。心から嫌いになれないのは、おれの中に歌姫の魂が宿っているからに違いないのだ。そう思いたいはずなのに、なんとなくそれもまた、違っているような気がして、混乱しているのだった——。  サブライムが心配そうに見ていた。おれは気を取り直して、首を横に振った。 「大丈夫だよ。大丈夫」 「疲れているのだろう。休みたいだろうが正念場だ。ここからは、片時もおれから離れてはいけないぞ」  彼は大きな手でおれの頭を撫でてくれた。隣にいたピスは眼鏡を押し上げて難しい顔をしている。 「しかし戦闘となれば、凛空を連れ歩くのは得策ではありませんぞ」 「凛空を守り切るのがおれの役目」 「いいえ。前線に出すなど、カースの思惑通りになりますぞ。凛空は王宮の奥にかくまいましょう。王は凛空と一緒に……」  しかし、ピスの声はサブライムの声で遮られた。 「そこまで言うなら、お前が凛空を護衛しろ」 「また前線に出るおつもりですか?」  ピスの不本意そうな声にサブライムは「そうだ」と平然と答えた。 「凛空。ピスが護衛につくなら安心だ。大丈夫だ。すぐに終わらせる。お前は奥で待っていろ」  不満気なピスを抑え込んでサブライムは会議を進めていった。 「カースを封印するためには、歌姫の力が必要だと言われているがね。私も王の意見に賛成だ。そんな迷信染みたものに頼る必要はないよ」  博士が言った。 「私には、古の技術があるのだ。魔法を凌駕するような素晴らしき技術だ。これらの力を活用すれば、非効率的な方法をとる必要もない。誰も犠牲になる必要なんてないのだ」 「なにを言う。古の技術は禁忌だ。それらを駆使したことで、人類は神の粛清を受けたのではないか」 「今は緊急事態だ。そんなことを言っていたのでは全滅するぞ。カースは獣人の世を作ると言っているが、怪しいものだ。カースは、この地上の全てを憎んでいるかもしれないのだぞ?」 「カースは全てを無に帰することを目的としているというのか?」  ピスと博士の論争は続く。他のメンバーたちはそれを静観していた。 「カースという存在は怨念だ。この千年もの間、一つのことに固執し、そのためだけに存在をつないできた奴だ。我々の常識では計り知れぬなにかがあるに違いない」  千年前に叶わなかった思いが、カースを突き動かしている。もし音と出会えたのなら、彼は破滅への道を諦めてくれるのだろうか。 (いや、そんな生半可なものではない)  断片的に見ている映像の中。カースのこの世界へ向けられた憎悪は、歌姫の存在など霞んでしまうほどに増幅しているのではないかと感じていた。 (彼は、歌姫の存在すら憎んでいるのかも知れない)  二人の言い合いは延々と続くかと思われたが、途中でスティールが間に入った。 「しかし残された時間はそう多くはない。カースの目的はともかく。こうしている間にも、刻一刻とカースは獣人を巻き込み、戦力を増やしながら王宮に乗り込んでくる。あいつの狙いは凛空だ。歌姫を手に入れる。そして王であるお前を狙ってくるぞ」  サブライムは「わかっている」と言った。 「おれたちの仲間は信頼できる。だがしかし、最悪の事態も想定しなければならないということだ」  それは革命組の組員たちが同族を説き伏せることができなかったら——ということだ。 「おれたちの仲間が失敗すれば、進行は止まらない。できるだけカースに賛同する種族を減らすことで、被害を最小限にする必要がある」  スティールの説明にサブライムが続けた。 「王都の民に避難を促しているが、思っているよりも事は早急に動いている。急がせろ。明日の日の出までには完了させるのだ。残されている軍は不眠不休で準備を整えろ。その指揮を執るのはお前だ。スティール」  スティールは「え!」と驚きの声を上げた。ピスは眼鏡を押し上げて言った。 「モデスティは王宮への反逆罪で大臣職を罷免とした。スティール。今この時から、軍事大臣はお前だ」  スティールは顔色を青くしながらも、「わかりました。謹んで拝命いたします」と頭を下げた。  サブライムは「話は決まりだ」とばかりに手を打ち鳴らした。 「革命組はそのまま軍事大臣直轄部隊へと移行する」 「サブライム。お前……」 「スティール。いつまでも意地を張るな。お前がいなくなって寂しかったのはおれだけではない。エピタフだってずっとそう思ってきた。あいつは素直じゃないからな」 「しかし、おれの仲間には獣人も多いのだ。確かに今回は協定を結ぶが、軍に組み込むとなると……」  そこで口を開いたのは司法大臣のグレイヴだった。彼は相変わらず外套に全身が覆われていて、その姿形を見ることができない。 「先日の協議で、我々は王宮務めの条件から『種族の規制』を撤廃した。わかるだろう? その意味が」  スティールは「信じられない」という表情でサブライムを見つめていた。これは王宮にとって、とても重要で意味のある決定だった。  サブライムは静かな声で言った。 「皆がおれの提案に賛同してくれたのだ。おれは種族ですみわけはしない。能力があれば、誰にでも開かれた王宮にしていきたいのだ」  遥か昔。カースや音がいた頃、王宮には獣人もいた。あれから千年もの間。排除されてきた獣人たちが王宮務めができる。これは物凄いことだと思った。 「我々は真の意味での共存を目指す。それがおれの政治的姿勢だ」  その時のサブライムの横顔は誇らしく見えた。おれが不在だった間、王宮で一体なにがあったのだろうか。おれにはわからない。  けれども、これは明らかにサブライムがこの国の王として認められているということが理解できた瞬間でもあった。

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