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第2話 シンデレラの落とし物

 僕は最近の歌とか、詳しくない。  流行っている歌もよくわからない。  でも、すごい声だ。  歌が上手いとか、下手とかもよくわからない。  でも、圧倒される。  こんな声、どこからどうやって出しているんだろう。  叫んでいるようなのに、ただ叫んでいるのとは全然違う。どうやって歌っているんだろう。  ここ。  何度聴いても、すごいなって思う。  声が……なんていうのだろう。なんて言葉が一番しっくり来るんだろう。たくさん本を読んでいるのに、それでも一番似合う言葉が見当たらないくらい今まで触れたことのない感覚。  声がクシャッとして、でも、その皺すら心地よくて、つい耳を傾けてしまう、そんな歌声。  ――動かないね。  話している時の声の方が低かった気がする。  彼の歌声は、どこから出しているんだろう。  違ってる。もっとハリがあって、凛としていて、けれど、少し掠れてもいる。高い音も低い音も自由自在に表現できる。  ――あ、電車動いた。  不思議な声。  ――それじゃあ、またね。 「オオカミサン」という歌を歌う人、らしい。  狼、銀髪だからその名前なのかな。  でもおかげで検索したら見つけることができた。  プロではない。  らしい。  プロではないけれど、フォロワーが百五十万人もいる、すごい人らしい。  よくわからない。  僕には別世界の空間が、動画配信サイトの向こう側に広がっていた。  まるでシンデレラみたいに、片方だけの金色のワイヤレスイヤホンを置いて、電車をふらりと降りてしまった。  無線通信で繋がっていたイヤホン。その繋がっていたはずのスマホはもうどこか遠くに行ってしまったから、主人をなくして、パートナーである左側のイヤホンもいなくて、不安そうに静かにしている。  僕はその夜、オオカミサンの歌を、干からびたスポンジが水を吸収するみたいに、たくさん聴いた。どの歌もすごかった。  ただただ、感動するばかりで。  気がつくと、僕はその夜読もうと思っていた本を置き去りにして、日付が変わるまで彼の歌を聴いていた。 「たっか……3万円もする。このイヤホン」  おい、君。  君は片方だけだから、一万五千円?  まじまじと高級イヤホンを見つめた。  彼、オオカミサンはきっと酔っ払って、僕のことを誰か、その日に一緒に飲んでいたのだろう友人と間違えて、このイヤホンを渡してしまったんだろう。さぞ、びっくりしたはずだ。記憶が残っているのかどうかわからないけれど、こんな高級なものを失くしてしまったなんてって、落胆しているかもしれない。  お返ししなければいけない。  勝手に押し付けられただけ、だけど。  いつもの僕なら、困り顔で、溜め息をいくつかついたら、落とし物ですと、とりあえず僕のせいではないのだから、この高級イヤホンを手放してしまっていただろうけれど。  でも、彼の歌声にとても感動していた。  少し、興奮もしていたのかもしれない。  有名人になんて興味はないし、どこかのアイドルのコンサートに行くくらいなら、自宅で好きな作家の本を読み耽っていたい人間だけれど。  彼に、「オオカミサン」という、僕とはまるで種類が違う人間。銀髪の彼にとっては大事なものなのではないかと思ったんだ。  あんなに歌が上手いのなら、きっと、音楽がとても好きなのだろうから。  とても綺麗に、音楽がとてもクリアに、聞こえたこの高いイヤホンは落としたのではなく、ちゃんと、ここにありますよと、伝えておこうと思ったんだ。  それは僕にとってはとても珍しい行動力だ。  彼はSNSをいくつもやっているようだったけれど、僕はそのどれも登録していない。  登録しないで、彼へとメッセージは送れない。  だから。 「ダウン、ロード」  生まれて初めて、SNSとやらに登録をした。 「えっと……メールアドレス……」  名前は知らないけれど、同じ沿線を使っている。  歳は知らないけれど、降りる駅は知っている。 「次に、名前……本名じゃなくて……えっと、えー……っと」  怖い、だろうか。  突然メッセージを送られたら。 「えっと、次は……」  けれど、イヤホン大事だろうから。 「よし。これで。オオカミサン、検索」  このイヤホンも片方だけでは寂しいだろうから。 「いた。これで、メッセージ……えっと、内緒で送る、には……これか」  辿々しく、やり方をスマホで検索をしながら、メッセージマークを押してみる。  少し、緊張したけれど。 「えっと、初めまして」  右耳用のイヤホンのことと、電車の沿線、日時を伝えれば、わかるかな。酔っ払って詳しくは覚えていないかもしれないけれど。 「イヤホン、お預かりしました。忘れ物、落とし物として駅の方に渡しますので、ご都合の良い時に、取りに来てください……と」  これで送信すれば、あとはこれを駅員に渡して。 「……」  歌、聴いたこと、伝えようかな。  いや、でも、それは別にいいか。向こうにしてみたら、ファンはたくさんいるんだろうし。 「わっ!」  何か、相手側、オオカミサンのアカウント側に、吹き出しのマークが出てる。返事? 向こうがしようと、してたり、する? の? 「……わ」  向こう側から、ポコンと上がってきたメッセージ。 『落としたわけじゃなかったんだ。ありがとうございます。まだ持ってたり、します?』 「……え」  どうしよう。 『もし近場だったら、受け取りに行くんで』  これは、大変だ。  御伽話とはまるで違う展開になってしまった。  まさか、シンデレラが自分から落とした靴を取りにやってくるなんて思ってなくて。人見知りで、人が苦手な僕は、王子役には不釣り合いだと、シンデレラならぬオオカミサンの落とし物、ガラスの靴、ではなくて、金色のイヤホンを握り締めながら、とても狼狽えていた。

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