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第3話 神様の名前
事実は小説よりも奇なり、なんていうけど。
でも、まさか。
「あ、あの……」
こういう展開が自分に起こるなんて思いもしなかった。
「あの、僕、先ほど、連絡させていただいた、イヤホンの」
「椎奈……さん」
「あ、はいっ」
そこで、パッと顔を挙げると、銀色の髪の彼が黒いマスクを外した。
わ、ぁ。
「椎奈、です」
本物だ。
よかった。僕、無表情だから、きっと今、普通の人っぽくできてるはずだ。内心、やや大慌てだけれど。
歌、歌ってた人だ、って慌ててる。
本物だって、驚いてる。
銀色の髪の彼は「歌い手」として活動する時、「オオカミサン」って名乗っている。銀色の髪がまるで狼のようだからその名前にしたんだと思う。たくさん遡って、彼の配信を見たけれど、どの配信も多少ヘアスタイルは違っていても、基本的に銀色の髪だったから。
「あ、あの、すみません。突然、連絡を、SNSからしてしまって。そのイヤホン、なんですけど、これ」
「……」
「一応、確かめてください。あの時以降は特にいじったりしてないですけど。その高価なものだから。価格、調べてしまいました」
「なんだ。イヤホンか」
「え?」
「いや、お年玉、もらえたのかと思った」
「あ……これは、他に適当な袋が見つからなかったからなもので」
そのまま、ぽいと渡すのは憚られるけれど、便箋とか持ってなくて。チャック付きのビニール袋も考えたけど、でも、なんかそれにイヤホンって見た目、微妙というか。まるで押収品みたいになったから、それもどうなんだろうって考えた結果、これになったんだ。
「お正月に親戚の甥っ子と姪っ子にあげた残りがあったので。すみません」
イヤホンを入れたのはお年玉によく使うポチ袋。
「いや、可愛いなって思って。ありがとう」
「……いえ」
見た目怖そうだけれど、明るい感じで気さくな人だな。
「あ、壊れてるか見ないとなんだっけ」
「あ、はい。一応」
「ちょい待って……」
彼は慣れた手つきで、そのワイヤレスイヤホンのボタンを押して、耳につけると、今度はスマホを取り出した。それからすぐに音楽が聴こえてきたのだろう。リズムに合わせるように、数回、首を振った。
「ありがと。ちゃんと聞こえた」
「あ、そうですか。よかった」
ほっと、胸を撫で下ろす。
「それじゃあ、僕は、これで」
「あ、ね」
もうきっと会うことはないだろうなって思った。同じ沿線を利用はしているけれど、数えきれないたくさんの人の中で、遭遇する確率は天文学的数値になるだろうから。僕が銀髪の彼を見つけることはあるかもしれない。けれど、彼が僕を見つけることはほとんど不可能だろうし。
「このあと、予定とかある?」
「え? あ、いえ……特には」
「じゃあさ」
銀色の髪は、どんな人ごみの中でも見つけやすそうだ。
「ちょっと晩飯、一緒にしない?」
「……え?」
事実は小説よりも奇なり。
なんていうけれど、事実はそんなにご都合宜しくできていないと思う。
大都市でばったり再会なんてできるほどのご都合主義な物語は僕なら、読んでいてきっと興醒めしてしまうだろうけれど。
「イヤホン、返してくれたお礼」
本当に、事実は小説よりも奇なり。
「晩飯、どう?」
なのかもしれないと、思った。
こういうお店、初めて来た。
お洒落なお店だ。普段、職場の飲み会くらいしか参加しない僕は、あまりこういうレストランに詳しくなくて、ちょっと戸惑ってしまう。
釜が、お店の中にある。
ピザが、もちもちしていて美味しい。
ワインってあまり好きじゃなかったんだけど、ここのお店のは美味しい。
「へぇ、図書館の人なんだ」
「あ、はい」
「俺と同じくらいの学生かと思った」
「いえ……え?」
「え?」
僕は、オオカミサンはもう社会人なのだと。見た目というか、場慣れしているところが、僕よりずっと大人っぽく見えたから。
「つか、歳、幾つ?」
「え? 僕は、二十」
「あぁ」
「……五、です」
「……えぇ? 二十五?」
そ、そんなに驚かなくても。
「あ、あの、オオカミサン、は」
「俺? 二十」
「………………」
「だよ」
「え、えぇ? 二十、って、ハタチ」
「あはは」
僕が、ついさっきの自分と同じように驚いたことに口を大きく開けて笑ってる。
それにしても、二十歳になんてちっとも見えない。学生って言ってた。大学生か。しかもなりたて。二十五の僕よりもずっと、なんというか、社会性が。ピアスしてて少し見た目怖いけれど、話やすいし。
「そ、うなんですね」
「そ。だから俺のほうが年下じゃん。タメ口でいーよ」
「あ、いえ。そんな、あんなすごい歌を歌う方なので、年下とか全く関係なく」
「図書館の人、なんだっけ」
「あ、はい」
「どこの図書館?」
「えっと、あの沿線沿いにある、駅前の、大きな」
「あ、あそこか。へぇ、すげぇでかいところじゃん。下にカフェなかったっけ」
「あります」
「雰囲気いい感じだよね。あそこのカフェ。よく行く?」
「あ、あんまり」
「そっか」
「……」
ど、うしよう。
会話、止まってしまった。
断れば、よかったな。夕食をって言ってもらったけれど。少し浮かれていたのかな。普段の僕なら、何かしら理由を作って断ってたけれど。お礼なんてしていただくほどのことしていないし。だから、全然。
向こうにしてみても、こんな喋り下手の鉄仮面と一緒にいても楽しくないだろうし、早めに――。
「あ、あの、すみません」
「?」
思わず、謝ってしまった。だって、退屈だろうから。
「あ、飲み物、なんか頼む? えっと、ごめん。忘れてた」
「?」
「名前訊いてないじゃん」
退屈させてしまってすみません。そう言いたかったのに、彼はにっこりと笑っている。むしろ、楽しそうに見えるほど笑顔で。
「名前は?」
僕の?
「あっぶね、また名前聞きそびれるところだった」
また?
あ、えっと。
名前、って。僕の名前、だよね。
多分。
「し……」
じっと見つめられると、緊張してしまうから、そっと目を逸らした。
「し、椎奈佑久(しいなたすく)です」
「たすく……面白い名前だね」
「あ、はい。人偏に右と書いて、久方ぶり、と書きます」
「久方ぶり……」
「は、はい」
彼は小さく笑った。その拍子に、耳にあるピアスがキラキラって輝いてる。
「佑久、ね」
「! はい」
銀色の髪も綺麗。
彼の声は、歌があれだけ上手だからなのかな。とても軽妙で、耳に心地良い。
だから、なのだと思う。
彼に名前を呼ばれると、僕の名前が、キラキラと輝いているような。
彼の声で呼ばれるだけで、僕の名前がとても素敵に響いて聞こえる。
「俺は」
あ、お名前、オオカミサンの、名前。
「澤井和磨(さわいかずま)、ね」
たくさんの、とにかく百五十万人の人々は確実に彼の歌声に聴き惚れる、すごい人。たくさんの人が言っていた。「神」って。
神様。
僕はそんな人の名前を知ってしまった。
「飲み物、どれにする?」
「あ……はい」
神様の、名前を、知ってしまった。
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