4 / 60

第4話 楽しいひととき

 澤井和磨という名前を持っている神様ともちもちした生地がとても美味しいピザを食べた。バジル、って、美味しかった。ワインも少しいただいた。ワインは、苦手だったけれど、ここのワインはとても美味しかった。今度、何か、機会があればまた飲んでみようと思った。  でも、次、どこかで飲んだら、やっぱり美味しくないな、ってなりそうな気もした。 「あ、あの、奢ってもらってしまって」 「え、いいよ。別に。イヤホン、わざわざありがとう」 「そんな、何も大したことじゃ。お金、まだ学生なのに」 「佑久さんの方が学生に見えるし」 「ひゃへ、えっ、佑久、さんって!」 「あはは。だって年上じゃん」 「そ、だけど。いいよ……その、普通で」  年上だけれど、五つも上なのだけれど、五つも彼より長く生きてる気がしないというか。さん、なんて使われてしまうと、妙にソワソワしてしまう。  それに、下の名前、で呼ばれるのも、慣れない。 「じゃあ、次は佑久さんが奢ってよ」  神様、とファンが言っていた。  確かに、歌がすごくうまくて、僕も聴き入ってしまうくらい魅力的だった。  笑い方も、なんというか本当に楽しそうに笑う。魅力がいっぱいだ。 「もちろ……」 「あああああ!」 「! は、はいっ」 「やべ。連絡先、知んねぇじゃん」 「あ、でも、あそこからメール」 「えー、いいよ。SNSからじゃ気が付かないこともあるからさ。これ、俺のコード」 「は、はい。あ、えっと、ちょっとだけ」  こういうの不慣れで、しかも、待たせては悪いからと焦って余計にまごついてしまうんだ。いつもそう。慌ててしまう。図書館の貸し出し方法が僕が入った年はまだ人が受付をしてたんだ。今はもうそれがスキャンで自動貸し出しできるんだけど、当時は自分でスキャンして、手渡ししないといけなくて。よく慌てて、手間取ってた。  それから表情が強張ってるっていうか、無表情だから怖いらしくて、よくカウンターにいると、避けるように別のカウンターにみんな借りに行かれてしまったり。別階でも貸し出し、できるから。 「借りてもいい?」 「あ、はい」  指輪、たくさんだ。親指と、人差し指に、少し重そうなくらいに無骨なデザインのシルバーアクセサリーをしている。耳にも、銀色の。  でも、イヤホンは金色。 「勝手にいじるよ」 「は、い」  まるでそれは、彼は音楽をとても大事にしているように感じられた。 「はい。今、佑久のコードを俺がスキャンしたから、送る」 「は、はいっ」  耳から触れる音だけは特別なものとしているみたい。音は彼にとって金色に輝く宝物、みたいな。 「図書館って、何時までだっけ」 「え? あ」 「結構遅い? 今日は休み?」 「今日は休み、です。普段は早番と、遅番がいて」  早いと朝八時から夕方の五時まで。遅番だとお昼から夜の九時まで。どちらも開館前と閉館後に一時間ずる、掃除や片付けがある。  へぇ、遅番もあるんだ。大変だ、と彼が呟いた。 「曜日で決まってる? シフト」 「あ、いえ、その時その時で。都合がつかないスタッフとか時短の人もいるから、無理なく、そのへんを」 「そっか。じゃあ……ちょっと待って」  彼はそこでスマホをとても手早く、操作して、うーん、と唸った。  予定、見てるのかな。  あんな有名な人で大学生で、忙しそうだ。  なのに、どうして。 「あ、あの」 「?」 「失礼なことを聞きますが」 「うん?」 「どうして、僕を……」  自惚れいていると思われそうだけれど。でも、不思議だ。たとえば僕がとても歌が上手いとか、何か秀でているとかならわかるけれど。ただの司書だ。髪色も普通。何も、特に特別なものなんて持ち合わせていない、普通の人。彼が興味を持ちそうなことはひとつも持っていない。  だから、僕などと、次の約束を決めようとするのが不思議で仕方がない。 「楽しいから」  びっくり、した。 「佑久さん、楽しいから」  驚いて声も出ないほど、驚いた。 「あはは、びっくりしてる」 「!」  そして、驚いていると彼から言われたことに、また驚いて。だって、僕、無表情って、鉄仮面って。 「あとは、声、かな」 「……」 「佑久さんの声、気持ち良いから」 「僕の」 「そう、声」  声も、嫌いだ。  僕は自分の声がとても好きじゃない。  変に掠れていて、低くて、とても聴き取りづらいらしい。人が大勢いるところなどでは嫌というほど聞き返される。そしてもう一度、同じことを話してもやっぱり聞き取ってもらえなくて、相手も、僕も、もう良いよって、発した言葉、交わそうとした会話をほっぽり投げたくなる。そんなことが昔からあるから、話すの自体億劫になった。そもそも人見知りで、知らない人と話すのはとても疲れるから。  もちろん自分の声は好きじゃない。 「佑久さんのこと、実は女の子だと思ったんだ」 「え?」 「酔っ払ってたから、女の子だと思ってた。飲み会で途中まで一緒だったの覚えてるんだけど」 「あ、はい」 「で、女の子だと思ってたら、男で」 「あ、はい。すみません」  つい、思わず、謝ると彼は大きな口を開けて笑った。ちっとも嫌味の混ざらない、心地いい笑い方をすると思った。 「むしろ、楽しかった」 「……」 「そんで、その声は性別関係なく気持ち良いから、ただまた聞きたいだけ」  金色のイヤホンはまるで彼に極上の音をプレゼントする特別な機械みたい。歌の神様に最上の音を届ける宝物みたい。  それを片方、一度でも僕に預けた神様に、声を気に入られた。 「んで今週の金曜日は?」 「え?」 「金曜日、図書館は遅番? 早番?」 「あ、えっと……遅番、です」 「そっかぁ。図書館閉まるの八時? じゃあ、八時でいいの?」 「あ、いえ……その後片付け、あるから。終わるの九時」 「すげ、大変じゃん。じゃあ、九時ね」 「……はい、え?」  頷くと、彼はまたもやスマホ早打ちで、そのことをどこかに書き込んでいるようだった。  あの、それって、九時に、待ち合わせ、ということ? なのかな。 「苦手な食い物とかある?」 「いえ……特には」 「もちもち、美味かったつってたから、じゃあ今度は別のもちもち、で」 「……」  楽しいと言ってもらった。  声、気に入ってもらった。 「あ、はい。あの、宜しくお願いします」  だから、少し頑張って大きな声でそう言ったら、彼は嬉しそうに笑って、そんな彼の銀色の髪が三月の、少し、どこからだろう花のような香りも混ざっている夜風に揺れていた。

ともだちにシェアしよう!