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第5話 僕の休憩時間の過ごし方

 さすがに3万円は……ちょっと……うん。  大胆がすぎる、だろう。  うん。 「うーん……」  迷いすぎて思わず悩ましさに唸る声が溢れた。  種類がありすぎて、何がいいのか。  でも、多分、このくらいのが初心者にはお手頃なんじゃないだろうか。うん。一万円くらいの、たくさんあるし。あとはデザインで選べばいいかと思う。  金……は、ちょっと、僕っぽくなくて、落ち着かなそうだ。自分から見えるものではないけれど、その分、自分の見えないところだから気になって仕方ないかもしれない。 「!」  僕には金色は少し派手すぎる。  けれど、白や黒は少し無難すぎて、なんというか、彼の歌をあの金色のイヤホン越しに聴いた時の感動を再現するには力不足な気がするから。  うん。  彼の髪はとても綺麗な色だと思ったから。  彼のアクセサリーはとてもかっこよかったから。  これがいい。 「す、すみません」  少し、ドキドキした。ロックがかかっていて自分でそれを手に取ることができなかったから、お店の人に声をかけるしかなくて、少し声が小さくなってしまった。 「このイヤホン、欲しいのですが」  そして僕が指差したのは、お店長オススメ、カラー、シルバーのワイヤレスイヤホンだった。  いつも休憩中は読書の時間。  静かに、一人で控え室の片隅でパンを齧りながら小説を読む時間。  本の虫なんていうけれど、実際に紙にとって虫なんて天敵だけれど、確かに本の虫だと思う。  けれど、それが一番親しんだ過ごし方で、一番気楽でいられて、一番好きな時間。 「……」  ぅ、わ。 「……」  すごい、  彼の声がダイレクトに聞こえる。  これがなんの歌なのかとか知らないけれど、彼がマイクを手にとって、小さな音が耳に直接、けれど少し距離のあるように感じられるところから聞こえて。 「!」  次の瞬間、彼が歌を口にした。  そして、背中から首筋にゾワゾワって、鳥肌がするほどの何かがかけていく。  マイクを握るしめる彼から溢れる歌声の迫力にスマホを握る手は力が篭り、僕は一人でフリーズしてしまう。  リズムを空に向けて打ち鳴らすように拳を振り上げる。  わわ、早く口。  と、思ったら英語もペラペラなのかな。大学生だから? 綺麗な英語の発音。歌詞を目で追っているとリズムにおいていかれてしまう。意味を考えていると、彼の歌っている様子を見逃してしまう。  もったいなくて、僕はぎゅっと力を込めて噛み締める。  なんて歌声なんだろう。  なんて力強いんだろう。  なんて、優しい声なのだろう。  目まぐるしく変わるリズムに合わせて、まるで違う響きを持つ歌声がぐるりくるりと表情を変える。  声にそんな表情があるなんて知らなかった。 「すごい……」  そう自然と溢れた独り言すら入り込む隙間がないほど、僕の耳には彼の歌声だけが溢れるほどに流し込まれて。気がつけば、休憩時間が、彼の歌を聴くだけで終わってしまった。  これから面白くなるところだったけれど、小説を開く時間はもうなかった。 「お疲れさまぁ」 「あ、お疲れ様でした」 「今日は配架多かったねぇ。って、あれ? 椎奈くん、帰らないの?」 「あ……えっと、今日はちょっと寄るところがあって」 「あ、そうなんだ。お疲れさまぁ」 「お疲れ様です」  ――そろそろ終わり? 俺、今、カフェにいる。下の。  そんなメッセージが入っていたのは夜の九時十分前。九時で仕事は終わりだけれど、そこから少し残務が多くて、待たせてしまった。  帰ったかもしれない。  でも、特にメッセージもないからいるのかもしれない。  だから走って、階段を駆け降りた。図書館の正面エントランスは二階。そこから駅へ向かうのだけれど、今日は僕だけ階段で一階へ。 「!」  銀色の髪。 「す、すみません。遅くなっちゃって」  彼がカフェの中にいた。ここのカフェは閉店時間が十時くらいだったはず。だからすでにお客さんはまばらだったけれど、でも混雑していたとしても彼の銀髪はすぐに見つけられる。 「……おー」 「仕事が今日、多くて、なので、連絡できたらよかったんだけど、スマホは仕事中持ち歩くの禁止なので、あの、澤井、さん?」 「あ、ごめ」 「?」 「いや、前髪全部あがってるから」 「え? わ、ボサボサ」  階段駆け降りたから。  僕は大慌てでボサボサの前髪手櫛で整えた。 「いや、どこの大学生かと」 「! そんなに、若くは」 「あははは」  不思議だ。 「腹減ったぁ」  今日一日、休憩の時聴いていた歌声がすぐそこから聞こえる。 「何食おっか」  あんなに表現力豊かで、あんなに低い音も高い音も自由自在だなんてまるで魔法のようだったのに。同じ人の発する声だとは思えないくらい。 「佑久さん」  その声に名前を呼ばれる不思議も。  その声が普通の時にはまるで違う響きを持つことも、とても不思議だ。 「行くよー」 「は、はいっ」  僕がまさか休憩時間を全て、歌を訊くことに費やすなんてことも、僕にとっては、とてもとても不思議で。 「今日、案外寒くね?」 「あ、うん。そう、かな」 「んじゃ、鍋で、けって〜」  僕は少しポカンとしてしまった。  そんな顔が面白かったのか、彼は僕の方へ振り返ると少し笑って。 「佑久さん、鍋でいい?」 「は、い」 「あは、敬語」  僕の声に表情を緩めてくれた。

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