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第7話 僕の知らない僕

「椎奈くん、申し訳ないんだけど、返却ボックスの方確認してきてもらえる? 私、入荷した新書の確認まだ終わってなくて」 「あ、はい」  頷いて、カウンターから外へと出ていく。  配架も、しておこうかな。そんなにないならすぐに済むし、多いなら、後々、楽になるし。今日はそんなに図書館内混雑してないし。  配架っていうのは。返却されてきた本を元の場所に戻す業務のこと。これをしながら、他の本もちゃんと然るべきところに並んでいることを、ぱぱっとでも確認しておかないといけない。正しいジャンルの正しい番号順に倣いでいること。これが崩れちゃったら、もう図書館としてはとても大変なことだから。ちゃんと戻していかないと。  一冊一冊、返却用の背表紙が見えるように立てて置ける専用台車の上に載せていく。  それに置いていきながら、頭の中では今朝、図書館までの道のりで聴いていた、オオカミサンの配信曲のワンフレーズがぐるぐると回っていた。  好みのメロディだったんだ。  僕は案外、リズムが早い音楽が好きらしくて。今、頭の中でエンドレスにリピートしている曲の早いリズムがとても気に入っている。  らしい。  自分がどういう音楽が好きなのか、知らなかった。  音楽からは程遠い、無音が僕の日常だった。  静かな図書館。  テレビがなくても気にならない自宅。  音とは無縁の毎日。  あるとしたら、音は、遠慮がちに図書館に響く足音と咳払い、それとページを捲る紙の音。そんなわずかな存在感しかなくて。  だから、彼の音は、歌は、僕を驚かせる。  音が、リズムが、耳のところで湧き水みたいに沸き起こってくる感じ。  そのせいかな、フットワークが最近軽くなったような。  毎日彼の歌を聴いている。  それから、週に一度ほど、一緒にご飯を食べるようになった。  先週は、うどんがとても人気のお店に一緒に行った。海外からの旅行客が多く訪れる、人気の和食店らしくて、僕の両サイドに大きなリュックを軽々背負う外国人の男性が二人、順番待ちで並んでいると、その身長差に彼は楽しそうに笑っていた。  おうどんはとても、美味しかった。  少し変わったメニューばかりでちょっと驚いたんだ。  だって、うどんがまるでパスタみたいな味付けなんて、合うのかな? と、心配になるくらい。  でも、すごく美味しかった。僕は基本自炊だけれど、自分では到底作れないメニューだった。  僕は、そこから歩いて数分のところにある、大きな書店にはよく通っていたけれど、こんなおうどん屋さんがあるのは知らなくて、少し、惜しいことをしたような。でも、かといって、それでは自分一人でそこのお店でおうどんを食べたりしていただろうかと言えば、きっと、それはしなさそうで。  その前は、カフェに一緒に行った。そのまた前は、和食の――。 「あのぉ、すいませーん。オススメの小説ってありますか?」  最近の僕の毎日は激動の中にある。  大袈裟だと思われるかもしれないけれど。  僕にとってはすごいことばかりなんだ。  たくさんのレストランを訪れている。  知らなかった音楽。  知らなかった場所。  毎週、彼に会う度に、毎日、彼の音楽を聴く度に、少し僕の世界が。 「あ、はい。え…………えぇ?」 「よ」  色々と、驚いている。 「めっちゃ驚いてる」  ほら、また。  驚きだ。  振り返ると銀色の髪の彼がそこにいて、図書館でとても大きな声を出しそうになってしまった。 「小説借りようかなって思ってさ」 「……ぁ」 「何か、オススメ、ないっすか?」 「小説、の?」 「そ。いっつも、スマホばっかいじってたんだけどさ。本、読んでみようかなぁって」 「あ、えっと、どんなのが好きですか?」 「んー? 特には、そもそも、好きなものがわからないくらい、知らないからさ」 「!」  それはまるで少し前の僕のようだった。  好きな音楽、好きなメロディ、そもそも、それを知らないから、触れることのなかった世界だった。 「じゃあ、そうですね。えっと」  とりあえず、返却された本を並べてある専用台車を隅へと移動させてから、自分の担当している小説文学のエリアへ彼を案内した。  読みやすい方がいいかな。  ワクワクして先が気になって仕方がないものがいい。  文字数は少し少なめの方がいいと思う。読み慣れていない人は長編ってたまに苦労するから。  人気作家の方がいいのかな。シリーズものにはしない方がいいかもしれない。たまにシリーズものって、次も読んでもらえるようにと、次の話の伏線を少し置いてきたりするから。  完全な読切がいい。  あとは、そうだな。 「あ、これなんか、どうですか? これは」 「……」 「僕も気に入ってる一冊で、主人公の少年が騎士として……? あの、どうかしましたか?」  彼が僕をじっと見ていた。  何か変だっただろうかと、紹介を一旦止めると。 「いや」  彼が小さく笑った。 「めちゃくちゃ張り切ってるから。それに佑久さんの声、雰囲気あっていい感じの声だから、なんか、ナレーションとかできそうって思った」 「な、ナレー……そんな、雰囲気のある、とか、な、ないですよ」  頬、きっと赤いかもしれない。  熱くなったから。  だって、そこまで自分の声を褒められたことなんてない。  ないけれど、彼にそんなふうに言われてしまうと、自分の声に耳を澄ましてしまう。 「な、ないですよ」  ほら、そうかな?  僕の声は、彼にそう聞こえるのかな?  と、好きじゃなかった自分の声を聞き直してしまう。 「そう? 俺は佑久さんの声とか雰囲気とか、話し方とか、好きだけどな」 「……」  案外、悪くないんじゃないのだろうか、なんて、思い直してしまう。 「じゃあ、それ、借りようかな」  毎日、彼に驚かされている。  彼の音楽を聴く度に、話す度に、会う度に、僕の知らない僕を教わる。  静かな水面が風で波打つみたいに。小さな小魚が跳ねたみたいに。葉っぱが水面に落ちて、沈むことなく船のように漂うみたいに。  静かだった水面が、揺れて、踊って、賑やかで、ちょっと忙しくて、確かに、楽しい。

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