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第9話 春の訪れ
今日は外、寒いのかな。
朝、図書館に来る時はそんなに寒くなかったけれど、夕方、図書館を訪れる人がコートを羽織って寒そうにしながらやってきてる。
室内は空調がよく効いてるおかげでちっとも寒くなくて。
だから訪れる人は入った途端にホッと溜め息を溢してる。
図書館はこの付近にあるいくつもの図書館の中で一番大きい、中央図書館と呼ばれている。
他のところは大体ワンフロアに全て本が収まっているけれど、ここの図書館は四階建てで、一階がカフェとコンビニ。二階がメインのところで返却用の大きなカウンターが円状に図書館の中央にある。そのカウンターを中心にして、雑誌エリア、DVD、最近、全てブルーレイにリニューアルした視聴覚ブースエリア、それからパソコンなどの作業も行えるオープンスペースがある。僕が主にいるのは三階の小説と学術書のエリア。紫外線カットの大きなガラス張りの窓際には本は並んでいない。代わりに一人用のデスクがずらりと並んでいて、個人用読書スペースになっていた。日差しが強すぎる時はレールカーテンが自動で上下するようになっているから、それで日差しを和らげる。今は、もう夜だからレールカーテンは上げっぱなし。
その個人用読書スペースの前には丸テーブルが水玉模様のように置かれていて、数人でテーブルを囲みながら、本を読んだり、勉強もすることができるようになっている。
南向きだから、もうほとんど日差しは入らないけれど、それでも一日中南側の窓から差し込んだ太陽の温かさがまだ残っていて。
日、長くなったなぁ。
もうこのくらいの時間なら冬は真っ暗だったのに。
この南側には建物はない。あるのは駅くらい。だからとても開けていて、視界を邪魔するものがなく空がよく見える。
障害物のない空は昼から夜へ、色を変えていく様子をまるで大スクリーンで上映するみたいに、窓ガラスいっぱいに見せてくれている。
綺麗なんだ。
春の、今この時期が一番好きな色をしている。
ここから見る夕暮れの空。グラデーションがとても鮮やかで。
夏はまだこの時間帯だと明るいばかりで、冬はもう真っ暗だし。それにこの時期は外に出ると、どこからか花の香りもしてくるから。
今日は特に空が綺麗だった。風が強いみたいだ。図書館を訪れる人が入って来る時、髪がボサボサになってる人がいく人もいた。だから、その強い風で雲が一つもなくて、窓ガラスの向こうは綺麗な空がある。
本を元の場所へと戻しながら、ちょうどいい、グラデーションが一番鮮やかな空を眺めて手が止まっていた。ここから数分もしたら、きっと夜空に変わっていってしまうから。
穏やかに、時間と一緒に色を変える空を窓ガラスの内側で眺めていた。
「あのぉ、すみませーん」
わ。
「本、返却したいんですけど」
「は、はい」
少し、びっくりした。空を眺めていた僕の背後から突然声をかけられて。
「あれ? あんま驚かれなかった」
そうでもないよ。結構ちゃんと驚いたけど、ただ顔に出して、声を上げるような驚き方をそもそもしないだけで。
うーん。
でも、そこまで、すごくすごく驚いたってわけでもないかな。声、聞き慣れているから。今朝も聞いていたし、なんだったら早番の今日。お昼の時間にも聴いていたから。もしかしたら自分の声よりも耳に馴染んでいるかもしれない。
「これ、本、ありがと」
「あ……うん」
「すっげぇ、面白かった」
「あ、ホント?」
「ホントホント」
それはよかった。
読みにくくなかっただろうか、って少し心配してたんだ。文体がちょっと変わっている人だったから。
「ところで、この後、おにーさんは空いてる?」
「え? あ、うん。空いてるよ」
「…………っぷ」
「?」
なんだろう。笑われてしまった。
「いや、ナンパしてみたんだけど。ほら、俺、怖い人、らしいし」
「ナンパ……ごめん。わからなかった」
ナンパなんて、されたことがないから、それがそうだと気が付かなかった。僕の人生できっと一度も起こらないこと。
「あ! けど、俺も普段とかナンパなんてしないから、今のは冗談で」
「うん。わかってる。そんなのしないでもモテるでしょ」
そんなナンパなんてことしなくてもきっと女性から和磨くんに声をかけるだろう。
「かっこいいから」
「……」
「あと、三十分で僕、あがるから」
「あ、じゃあ、俺、外で」
「あ、あの、これ」
この間、春のオススメ小説を図書館に並べたんだ。その中でもこれは一番のオススメで。春に是非読んで欲しい本だったから。カウンターの手前、僕が作った春のオススメ本コーナーから一冊を彼に紹介した。
「もしよかったら」
「ありがと」
和磨くんはそれを受け取ると、どんな本なんだろうと、その視線を手元、僕が手渡した本へと向ける。表紙もとても素敵で、春を象徴する花、桜が今日みたいな見事な夕暮れの下で咲き誇っている。
「じゃあ、これ借りてく。そんで外で待ってるよ」
「え、外寒いでしょ」
もう三月だけれど、今日はみんなコートを着ているし、和磨くんもダウンを着ている。そのくらい寒いのだから、外で待ってなくていいよ。
「けど、ほら、俺、悪目立ちしてるっしょ?」
「大丈夫だよ」
近藤さんに気を遣ってくれたのか。
でも大丈夫、今日は彼女はお休みの曜日だから。だから、そこの読書エリアで待ってて。
そう促して、貸し出し手続きを済ませた本を手渡した。
そして、水玉模様のように点在するテーブルの一つに座り、僕がオススメした一冊を読み始める。
「……」
彼の長い指に無骨なしっかりとした指輪がよく似合っていた。その指でページを捲る。銀色の髪が俯いて視線を本へと向けるその目元を隠してしまうと少しもったいない気がした。どんな表情で本を読んでいるんだろうと気になった。
ナンパ……なんてする必要、ない。
女性から、彼に声をかけるだろう。
彼は。すごく――。
「!」
顔を上げて、こっちへと視線を向けられて。
ニコッと笑いながら、今、読み始めた本を指差して笑った。
「!」
多分、だけど、面白いって言ってくれてる。
「……」
彼は、すごく、かっこいい。
そんな彼が僕に向けて笑ってくれて。
そんな彼の背後にある大きな窓ガラス、その向こうに、今、ちょうど、一番だろうオレンジから青へ、見事なグラデーションの空が広がっている。
綺麗だった。
青い空とオレンジの空と、銀色の髪。
すごく綺麗で、見惚れてしまうほどで。
僕は、胸が。
「……」
ドキドキした。
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