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第11話 それは金平糖

「毎日聴いて、ます」  そう告げると、とても驚かれてしまった。  目を丸くして、それから、今日は少し冷たい風が彼の銀色の髪を揺らした。  そういえば、感想、言ったことなかった。  そっか。  言っておけばよかったかもしれない。  僕は話すの、苦手だから、誰かにそういうの話したことなくて。  本を読んだ後も、どう面白かったとかを話したりしないから、音楽、聴いているけれど、それについて彼に感想を述べたことなかった。 「音楽、詳しくないから、何か、ちゃんとした感想とか、言えそうにない、けど」 「……」 「でも、ずっと、聴いてます」  きっと、生まれて初めてケーキを食べたら、こんな感じなんじゃないだろうか。  甘いものを口にすることのなかった、大昔の日本人は、金平糖の甘さにまさにほっぺたが落ちてしまうかというほど驚いたって読んだことがある。今ではとても身近なお菓子だけれど、その時は、ものすごい高級品で、お殿様しか食べることは叶わなかった代物だって。  きっと、その金平糖を初めて口にした人の気持ち。  金平糖は食べたことがあるけれど、フルーツがふんだんに乗ったケーキを初めて口にした人の気持ち。  きっと、これは、毎日同じ道を通っていたのに、急に角を曲がって、知らない道を歩いている感じ。  僕が、音を楽しむことのなかった僕の生活が、音楽に触れた瞬間の感動。それは、新鮮さとドキドキを味わった彼らと、きっと似ている。  今まで味わったドキドキは、静寂の中、文字を追いかけて、僕の知りうる限りの出来事の範囲で再生される、登場人物の声、物音。僕の中にある「音」はそれだった。  彼の歌を聴くまでは。  感電したみたいに指先が痺れた。  初めて、水中から出て音に触れたみたいに鼓膜が振動した。  自分の指先にさえ彼の歌声が染み渡って、体温がいくらか上がった気がした。  お世辞でも、誇張でもなく、そう思ったんだ。  彼の歌声に「神」ってコメントがいくつかついていたけれど、僕もそう思える。  彼の歌声に僕の世界は確かに変わったから。  色も、空気も、風も、今までよりも鮮やかに感じられるんだ。 「ちょ……マジ、か」 「うん。あの、アカペラ……のすごくいいなぁって思って、昨日と今日はずっとそれを繰り返し聴いて、ました。他のもすごく好き、です」 「っ、はぁ」 「? あの」 「っ、わり、ビビっただけ、で」  何に? だろうと首を傾げると彼はその口元を掌で隠してから、その手の中でボソボソと何か呟いた。  僕へ向けての呟きなのか、単純な独り言なのかがわからなくて、僕は返事をするべきか考えあぐねて。 「聴いてねって言ってたから」 「そ、れはっ、その時のノリで」  確かにすごく酔っ払っていたっけ。  僕のことを同席していた女の子と勘違いしたままだったくらいに。  あの時はすごく戸惑ったっけ。  それから金色のイヤホンがとてもとってもカッコよかったのを覚えてる。 「あの、ダメ、だった?」  聴いてはいけなかったのだろうか。音楽には詳しくないし、SNSや動画の配信サービスにも疎かったから、ルールをわかってないのかもしれない。何か、失礼だったりルール違反をしてしまったのだろうか。  もしくは、ほら、たまに、自分が授業で取ったノートを勝手に見られたら、少し気恥ずかしいみたいに、どこか照れくさいというか。 「いや、ダメじゃない、けど、音楽聴かないって言ってたし、本読むのが一番好きっつってたから、音楽聴くとか思ってなくて。だから、まさか聴いてるとは。つうか、聴いたとしても、一回とりあえず聴くくらいで」 「……うん」  最初は、とりあえず、だったけれど。でも、聴いたら本当に素敵だったから。 「まさか毎日とは思ってなくて、不意打ちすぎてびっくりしたっつうか」 「あ、うん。ごめん。僕も驚いたんだ」  甘くて美味しい金平糖のように。  真っ白で優しい甘さのクリームと甘酸っぱいフルーツがたっぷり乗ったケーキのように。  道端で、一つ角をいつもと違う場所を曲がっただけで広がる別世界のように。 「オオカミサン」の歌はとても刺激的だ。 「本は好きだよ。でもその本と同じくらい、オオカミサンの音楽はワクワクする」 「……」  上手に説明できたらよかったのに。  ちっとも的確な言葉が見つからなくて。  金平糖です、なんて言っても変だし。ケーキです、なんて。  あんなに本をたくさん読んで言葉をたくさん知っているはずなのに。知ってる言葉達では表現できるものが見当たらない。  そのくらい、新鮮だった。僕にはないものがいっぱいあった。 「すごく」  すごく好きなんだ。何度でも何回でも、いくらでも聴いていたいくらいに。 「だから、感謝して、ます」  きっと、今日も、駅から降りて自宅に辿り着くまでの数分で、二回くらいは聴くだろう。 「歌、聴けて」 「……」 「ありがとう、ございます」  そうだ。  帰りは別の歌を聴こう。  楽しそうに、彼の声がとても弾んでいた、アップテンポの歌。  それを聴くと、なんだかそわそわするんだ。前、仕事の行き帰りに聴いていたら、歩調がその歌に合わさって、早くなるみたいで、いつもよりも早く駅に、自宅に辿り着いたんだ。それにその歌を聴いていると、歩くのが楽しくなった。  今日の帰りはその歌を聴こうと、彼を見ながら、そんなことを考えていた。

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