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第17話 楽しいね。

 ――じゃあ、帰ろうか。  そう突然言われることが子どもの頃、よくあった。  僕はその度に、えっ、って驚いて、それから戸惑った。  どうして、帰る、ということになったのだろうって。  じゃあ、と突然切り出されるのも不思議だった。だって、「じゃあ」というのは、何かがその前にあって、それに対して「じゃあ、こうしよう」という提案をする際に使われる言葉。  だから、楽しいのに、帰らなければいけない何かが、その「じゃあ」の前にあったのだろうかと、すごく戸惑った。  すごく楽しいのに。  まだここで遊んでいたいのに。  そう内心驚きながら、でも、両親が残念そうに溜め息をついているから何も言えなくて、ただ黙って頷いて従うしかできなかった。  そんなことが何度もあった。  どこかに出かける度に。レジャーランド、海、テーマパーク。  後々、学年が上がっていき、中学、高校になるにつれて、僕が楽しそうな顔ができていない、ということに気がついた。  僕は楽しいのに、楽しそうに見えない。  僕の「楽しい顔」が下手だから、周りをガッカリさせてしまう。  そんなことが多々あった。  胸の内ではたくさん考えてる。たくさん、話している。  遊園地では、この乗り物すごく楽しかったね。もう一回乗ってみたい。たくさん並んでも全然構わないよ。そう話しているのに。  動物園では、あのライオン寝転がっていてまるで猫みたいだね。面白いね。と、思っているのに。キリンの餌やり、してみたいけど、怖い、かな。あんな大きな顔だなんて思ってなかったから、近くに来たら少し怖いかな、でもやってみたいな。ご飯、自分の手であげてみたい……そう思って、キリンを見つめているのに。寝転がっているライオンのお腹に触ってみたいなって眺めているのに。  ――疲れた?  そう訊かれてしまう。  学生の時、ボーリングに誘ってもらった時もそうだった。  下手だけれど、それでも頑張って上手くなりたいなと他の人が投げるところを熱心に見ていただけなのに。  ――ごめんね。無理に誘って。  そう残念そうな顔をされてしまう。  そんなことない。下手でこちらこそごめんなさい、と言っても、ありがとうと、もっと残念そうに言われてしまう。  そんなことがたくさん。  僕が声に出して「楽しい」と一言言えればよかったのだけれど。一生懸命になりすぎて言うの忘れてしまうんだ。つい、忘れてしまっただけなんだ。  本当は。  たくさん喋ってる。  小説の中の主人公みたいにたくさんたくさん考えて、たくさん話してる。でも、それが上手に伝わらない。  感想文みたいにたくさん喋ってる。  それが上手じゃないだけで。  僕は、いつも――。  ――あれ? あんま驚かれなかった。  彼は覚えてるかな。  図書館で僕が仕事をしている時に、冗談半分で彼が声をかけてきたことがあった。僕は驚いたけれど、やっぱりそれが顔に出ることはなくて。  あ、またやってしまったって思ったんだ。  そんなことない。  結構驚いたよ、って。  普段なら、また冷めた人だと思われていた。リアクションの薄いつまらない人、もしくはそうやって声をかけてくれた人のことを、つまらないと僕が思っていると、そう思われて、離れていってしまう。  けれど、彼は気にしないで笑って、そのまま僕に話しかけてくれた。  嬉しかった。  あ、またやってしまった、って気持ちがしょんぼりしなかった。  ごめんなさい、って、肩をすくめないでいられた。  彼が笑ってくれると、とてもホッとした。 「!」  そんな、少し悲しい気持ちになった昔を思い出していると、隣で映画を見ている彼の方へ視線を向けると、目が合った。  真っ暗な中、僕と目が合った彼は今、何を思ったんだろう。  僕はまたきっと表情が「下手」だったと思う。  今、彼が何を思ったのかはわからない。  じゃあ、帰ろうか。  疲れた?  ごめんね。無理に誘って。  こんなふうに出かけた時、僕は、本当に楽しんでいるのに、目が合った家族は、友達はいつもそんなふうに受け取ってしまうけれど。  ううん。帰りたくないです。  疲れてないです。  無理矢理来させられたなんて、仕方なくここに来たなんて、ちっとも思ってないです。  僕は、今、君と映画が見れて。 「!」  嬉しいんです。  そう思っているのが君に伝わっただろうか。  暗闇だけれど、僕の顔はつまらそうにしていなかっただろうか。  映画館の暗がりの中、彼は笑ってくれた。僕に、ニコッ、て。  あの。  今、僕は。  ううん。  今日だけのことじゃない。  君に、和磨くんに、会える日はいつだってとても楽しいんです。楽しくて、けれど、今までの誰にもなかった、ドキドキも混じっているんです。鼓動がいつも小さな太鼓みたいに、トクトクって、僕にしてはとても軽やかで賑やかで、まるでアップテンポな歩調が速くなってしまうような、そんな音楽みたいに鳴っているんです。  それが伝わっているのだろうか。  僕は君の心を読めずにいるけれど。  君と目が合って、君が笑ってくれた。  ただそれだけで、胸のところがすごくすごく温かくなって。 「っ」  ほら、頬がとても熱くなった。

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