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第23話 好きな人

 オオカミサンは大学でもやっぱりとても有名らしく、落ち着いて話せそうもないからって、大学の建物裏側にある小さな花壇のところに移動した。  小さな花壇にはチューリップが咲いていて、今日は日差しが暖かいからかな。  そのチューリップたちが嬉しそうに花びらを広げている。フリル? の花びらのチューリップは広がってしまうと、チューリップというか、まるで別の花みたいに見えた。 「っぷ、あはははは、すげぇいい感じに、勘違い」 「……だ、だって」  そのチューリップと一緒に、和磨くんの銀色の髪も春風に揺れている。 「うちに、なるほど。うちが部屋のことで、一ヶ月、カノジョほったらかして、そんで、そのカノジョとの会話のために小説読んで、えっと、それとなんだっけ」 「一番よく会ってたって」 「そうそう! そりゃそうでしょ。一ヶ月もしたら根本黒くなるから染め直さないとだし」 「っ、だって」  彼女は、カノジョ、じゃなかった。  彼女もとても有名人な動画配信者なんだって。僕は知らなかったけれど、美容系の動画をたくさん配信している美容師さんで、プロのメイクアップアーティストで、とても有名なヘアサロンのトップの人、らしい。  歌の動画すら初心者なんだ。  男で、メイクというものから縁遠い僕にしてみたら美容系動画の人はさすがにわからない。 「あはは……なるほど」 「す、すみません。だって、とても綺麗な人だから」 「んー……」 「お似合い、だと思ったんです」 「それ、俺もだけど、向こうも、ないない、マジないってなる」  そんな全否定しなくても。 「んで、あいつ、若葉」  若葉、さん、というらしい。  素敵な名前だ。 「若葉が佑久さんのとこに行ったんだ」 「はい。今日、図書館で仕事してたら、どんな魔法使ったんですか? って、半年」 「うん……そう、半年ぶりに歌った」 「……」 「聴いてくれんの?」 「あ、はいっ! もちろん! あの、必ず」 「今、聴く?」 「へ?」 「これ。はい」  手を差し出されて、僕は大慌てで、咄嗟に両手を受け止めるように彼へと出した。  コロン、って。  その手の中に金色が一つ、転がった。 「……あ」  彼の、宝物のイヤホンだ。  銀色の髪、銀色のピアスに銀色の指輪。その中でたった一つ、金色の、とても綺麗な。 「ちょっと待ってて」 「……」  大事な彼の宝物。 「……自分の歌、目の前で聴いてもらうの、はっず」  僕は慌ててそれを耳にくっつけた。 「!」  そして聴こえてきたのはイントロなしの、彼の歌声。  淡くて、優しくて、そっと耳に触れるように奏でる彼の歌声。 「ハル」の映画のエンドロールで、スクリーンいっぱいに広がる青空と、その空色の上を流れるように下から上へと歩いていく、たくさんのスタッフの名前を綴った淡い桜色の文字。 「ここ、ちょっと音ギリギリ……声、出てねぇ……ほら」  そして、金色のイヤホンから彼の歌声と、すぐそこで照れくさそうに話してくれる素の彼の声。  小さな、少し照れくさそうな声がイヤホン越しの彼の歌声に合わせて歌い始めた。動画では聴いたことのない彼の鼻歌。 「……あ、ここも、やっぱ高い音苦手なんだよな。掠れる」 「好きです」 「……」 「オオカミサンの、少し掠れる声、好き」 「ありがと」 「あと、あの、優しくて、僕なんかとも楽しそうに話してくれるとこ、好きです」 「……」 「あと、僕が小説のこと全然上手に伝えられなくても、映画を観に行った時だって、お喋り下手なのに、ちゃんと聞いてくれるところも、好きです」 「……」 「好き」  あの映画館の大きな大きなスクリーンいっぱいに広がった青空を、君の歌声で思い出す。 「……です」  僕はドキドキしていたんだ。  好きな人と映画を観に行けて嬉しかったんだ。 「好き、です」  心臓の音が聞こえてしまわないかって、ちょっと緊張した。  隣にいる好きな人のことが気になって仕方なかった。 「……あの、僕……本当、ですか?」  恥ずかしいほど僕の声は心細そうだ。不安そうな声は小さくて、小さくて、そもそも聞き取りずらい声なのにもっと聞き取りにくい。よく人が多い場所や屋外で、僕が何か喋りかけると大概聞き返されてしまうんだ。それなのに彼は耳を澄まして聞いてくれる。 「あの、僕、は、和磨くんの」 「……」 「好きな人って、あの」 『半年ぶりに歌ってみたんですけど……楽しかった』 「次、聞いてて」 「は、ぃ」  和磨くんが俯いて、優しい声でそう言った。  頬が赤い、けれど、それは僕も同じで。  金色のイヤホンがくすぐったいほど耳を澄ました。 『好きな人と聴いてもらえたら嬉しい……かな』 「というわけです」  耳、ふわふわ、する。  金色のイヤホンから聴こえた声と、すぐそこ、額をコツンって触れ合わせるほど近くで聞こえた。 「聴けたなぁ……って」 「……」 「好きな人と聴けた」  君の声。 「……ぁ」 「佑久さん?」 「あの」  好きな、声。 「ありがとう、ござい……ます」  好きな人の声と。 「こちらこそ、でしょ」  好きな人と目が合った。  そしたら好きな人が笑ってくれた。  嬉しそうに幸せそうに。その笑った顔に、僕は、陽がずいぶん伸びた、春の夕暮れに、空高くまで飛んでいってしまいそうなほど心が躍った。

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