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第24話 素敵な春風
空というのはこんなに清々しいほど広いものだったのだろうか、なんて。
「すげぇ、次会ったら、若葉にからかわれそうだなぁ」
「?」
「いや、あの映画、俺がチケット欲しいんだけどっつったらさ、誰と行くんだってかなりニヤニヤされたから」
僕と和磨くんが、お互いを好きだと、わかった途端、空を広く感じたなんて、詩人っぽくて気恥ずかしい。
彼の銀色の髪が気持ち良さそうに春風に――。
「わっ、すげっ……今日、風、やば」
春風に――。
「おわ! なんか、飛んでった」
春、風に、ぃっ。
「あはは、風がアホみたいにつえぇっ」
春風にいいいい。
強すぎる、から、この春風!
「あはははっなんか、歌のPVにありそうな強風」
そう言って和磨くんが潔く風を受け止めるように両手をいっぱいに広げた。その途端、嬉しそうに春風が待って、彼の銀色の髪をぜーんぶ、見事に風に靡かせて。
「うわっぷ、目開けると埃が」
「わ……和磨くんっ」
ものすごい強い風が音を立てて通り過ぎていく。
僕らは大学から駅までの何分か、線路沿いを歩きながら、その風のせいにして、散歩中の犬よりものらりくらりと歩いてる。
「わわっ」
大変だ、と俯いて、目を極限まで細め、埃の侵入を防ぎつつ。
「ぶはっ、佑久さん、髪、すげぇことになってる」
「ひぇ、え、ええっ」
なんてことだ。髪があっちこっち、ヘンテコドライヤーでもされているみたいに、頭がボサボサにされてしまう。
「……大丈夫?」
一瞬、風が止んだって、ほぅ……と安堵の溜め息をついたのと、彼の声だけが暴れん坊な春風を遮るように近くで聴こえて、びっくりして目を開けた。
「すげぇ風」
「……っ」
彼の顔がとても、とっても近い。近くて、どうしたものかと、息をぎゅっと止めた。
鼻息、かかってしまうかもしれない。
近いから。
風、あんなにすごかったのに、全然今平気で。
近い、から。
和磨くんが僕のそばに立って風を遮ってくれていて。
近い。
心臓の音、聴こえてしまう。
近い。
ドキドキ、する。破裂する。
近くて。
「っ」
僕だけかもしれない。
だ、だって、好きな子と言っていたけれど、彼の恋愛対象は女性だった。僕のこと、酔っ払っていて女性だと思ってたって。あの晩、一緒に飲んだ女の子のうちの一人だと勘違いしてしまったって。
だから、恋愛対象は女性だ。
僕も、だけど。
僕の場合と彼の場合は違う、でしょ?
その、経験値とか、彼女がいたことだってある彼と、彼女なんていたことのない、片想いしかしたことのない僕とじゃ違うでしょう?
その、僕の恋愛は拙くて、彼の恋愛はそれなりに豊富で、つまり、女性の魅力だって知ってる彼が、僕のようななぁんにも取り柄のない同性を本当に恋愛対象で好きになるのか? 好きな子と言っていたけれど、気に入っている子、という意味なのかもしれない。友人とも違った距離感だろうし。大学生でも、動画の配信仲間でもない、珍しいとところからきた珍しい人で、僕も、自分で言うのもどうだろうと思うけれど、意地悪をする人間ではないし、人見知りだけれど、人に悪いことなんてしないから、悪人か善人かと言われたなら善人だと、思うし。
だから、彼の好きは、僕の好きとは違っていたり。
似ているけれど、その、えっと。
「俺、佑久さんのこと、恋愛対象として好きだから」
まるで、僕の今、グルングルンとつむじ風に振り回された心の中をぎゅっと捕まえてくれるような、落ち着いた低い声。
「手、出して」
「……え?」
「掴むよ」
「ぇ? あ、はい」
僕の指に彼の指がそっと触れて、驚かせないように気をつけながら、触れた指先からキュッと握られた。無骨な指輪をしているはずの彼の手はこれっぽっちもゴツゴツしていなくて、それどころか気持ちが丸くなるくらい優しい。
「目、瞑って歩いてていいよ」
「……え? あ、え?」
「そしたら、そのまま目にゴミ、入らないじゃん? 俺、一応、なんかの時用に伊達メガネ持ってるし。たまにオオカミってわかる人いるからさ。だから、ほら、ぎゅーって」
「え? あ」
いっぱい瞼を開けてしまうと、それーって埃混じりの風が飛び込んできそうで、薄目を開けていた、細長く、睫毛に遮られた視界の中、彼が、見えた。
「手、繋いでたら、目瞑って歩いても大丈夫でしょ? そんでさ」
「? ……!」
歩を止めた。
僕は一瞬だけ彼にぶつかって、慌てて、そこで歩を止める。
「悩まなくていいよ」
悩む、とは。
その、今さっき考えた、僕の好きと言う意味と、言ってもらえた好きな子という意味の。
「ちゃんとそういう意味で俺は好きだから」
「!」
「だからさ……佑久さんもそういう意味で好きなら」
そういう、とはつまり恋愛対象として、という意味で。
「このまま目、閉じてて」
「?」
僕の好きは、ちゃんと、そういう意味……で……す。
「……」
だから、このまま目を閉じて……た。
「目、閉じててくれたら」
「!」
キュッと、ギュッと、指先を掴んでいた彼の手が力を込めた。
痛くはない。
けれど、ドキドキで心臓は破裂しそう。
「……キス、するよ」
低くて、素敵な声だった。
優しくて、胸がギュッとなる声だった。
「……は、ぃ」
僕は目を閉じたまま、そう答えた。あまり口を開けるとそこから心臓が飛び出してしまいそうで、僕は小さく返事した。風がものすごかったら聞こえないかもしれないほど小さな返事だったけれど。きっと彼には聞こえた。
「……」
優しくて、柔らかいものが唇に触れたから。
多分、キス、だ。
風はちっとも感じなかった。風が止んでいるのか、彼が遮ってくれたのかはわからなかった。目を瞑っていたから。
「……」
目を瞑って、彼とキスをしたから。
その時、感じた。優しく爽やかな香りは風に乗って舞い上がった花の香りか、彼の香り、そのどちらだろう、と、そっと目を開けた。
「!」
目を開けたら、すぐそこに彼がいた。
目を開けたから、彼は少し目を丸くした。
ち、違います。
今開けたのは、そういうことではなくて、恋愛としての好きです、と、目をまたギュッと閉じた。キスをしたくないと目を開けたわけではないと伝えるための、慌てて、またギュッて。
「っぷは」
そしたら、彼がすぐそこで笑って。
「やば……佑久さん、可愛すぎ」
そうまたあの素敵な声で囁いてから、優しく爽やかな香りの中、唇に、指先に、温かく柔らかい彼が触れた。
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