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第27話 チューリップ、咲いた
「椎奈くん、ごめん。返却口の確認、できる? それから、もし可能だったら配架も」
「あ、はい」
春先、お子さんのいるスタッフは有給休暇を取ることが多い時期らしくて、今日も少しスタッフは足りないんだ。
だから、返却されてきた本を戻す、配架まで手が回らなかったりもして。
もしかしたら今日は、一時間くらい残業かな。早番だけど、今日、遅番当番が一人休みだから、遅番の人、忙しいよね。
図書館の司書はそうたくさん配属されてるわけじゃない。販売系のサービス業とかとはまた違う仕事だし、コンピューターのおかげで司書の手間はだいぶ省かれてる。そのおかげで人員は最小限で常に賄えているけれど、その反面、一人いないと結構大変だったりもして。
「じゃあ、返却確認でカウンター開けます」
そう奥にいる人へ声をかけて、カウンターの外へと返却本を載せる台車を押しつつ向かった。
ガタゴトと、少し古ぼけた台車のタイヤの音が読書をしている人の邪魔にならないように、そっと、そーっと押しながら。
そして返却口へと向かいながら時計を見ると、早番の上がり時間までもう一時間なかった。
残業確定、かな。
いいけれど。
特に用事もないし。
「……」
少し、四月は忙しくなっちゃうんだと、連絡が昨日の夜に来た。
大学の方が忙しいらしい。
だからしばらく僕からのオススメ小説の方は差し控えようかなって。
「……ぁ」
返却された本の中に、僕の好きな小説があった。
次に、和磨くんに会う時に、紹介しようかなって思ってた本だ。
返却されたんだ。
返却口は外から見るとポストのようになっていて、そのポストのような投函口から本を中へ入れると、そのまま大きな四角いビニール袋をかけられた箱の中へと落ちていく。縦横、高さ、どれも一メートルくらいかな。大きなビニール製の箱。できるだけ本がダメージを負うことのないようにとビニール製になっているのだけれど、一メートル、だから、結構、山積みになってしまうと、底にある本を出すのは僕の短い手足をいっぱいに伸ばさないと取れなくて、少し、大変だったりもする。そして乱雑には扱えない本を一冊ずつ、そのビニールから拾い上げて、配架の時に使う台車へと並べていく。
この小説もすごく面白かったんだけど。
でも、また今度、かな。
四月は忙しいなら、きっと読む時間ないかもしれないよね。
五月、六月、とかかな。
「……」
五月も忙しいかな。
小説とか、本当は少しオススメたくさんしすぎたり、とか、あったかな。
ほらたまに本はあまり読まないんだって人は、本を開いた時にぎゅうぎゅうに並ぶ文字だけでお腹いっぱいに、なんていうこともあるらしいから。
本当はあんまり読みたくなかったりして……なんて、考えが斜め下を向きそうになる。
会って、彼の笑った顔をしばらく見ないと、すぐに視線が地面の方へと向いてしまいそうになる。
はぁ。
もう。
「あ、その小説、すっごい好き」
「!」
「こんにちは」
「…………あ」
びっくり、した。
「こ、んにち、は」
若葉さん、だ。
「この前、借りた本を返しに来たんだけど」
「……あ」
「すごい面白かった。この作品」
「ぁ、よかった、です」
今日は、背が高い。僕よりずっと高い。
「間違えてピンヒール履いてきちゃったの。今日、オフだったから、つい履いちゃって」
「?」
「だから背高いでしょ?」
「あ」
なるほど。急に伸びたのかと。
「っぷふ」
「!」
「ごめんごめん。和磨から聞いたから」
「?」
「すっごい、間違え」
「!」
「うちに来てってやつ」
「!」
「大爆笑しちゃった」
「す、すみません」
「ナイスすれ違い」
「?」
「だってあの時、和磨は椎奈くんのこと好きだったでしょ? 椎奈くんもそうでしょ? 私の好きな恋愛小説みたい」
えぇ。
恋愛小説ほどロマンチックなものではちっともない、です。
「そんなに驚かないでよー。純文学系も読むけど、恋愛小説好きで。お気に入りの作家は全部持ってるよ。最近、その作家のエッセイも好きで。エッセイとかもいいなぁって」
「あ、もしかして」
違うかな。僕の好きな恋愛小説家も、最近、エッセイがすごく人気で。
「あの、猫の」
「あ! 知ってる? そうそう猫と暮らし始めたらしくて、そのエッセイ! きっと一緒」
「あれ、面白い、です」
「だよね! なんか、猫への溺愛がいい感じで」
「はい。優しい先生なんだなぁって」
「溺愛してる感じが、先生の恋愛小説ばりに甘くて、いい感じなんだよね」
「はいっ、猫さん、可愛がられてるって」
「わかるわかるって、やば」
「?」
「和磨に怒られる」
「え、えぇ?」
何かしちゃったんですか? と慌てたら、彼女がまた笑った。
「和磨が、自分より本のこと詳しいから、椎奈くんと読書トークで盛り上がられるの嫌みたい」
「……ぇ」
「映画の時、本屋で偶然会ったでしょ? あの時も、私と椎奈くんが同じ読書好きだから、仲良くなるんじゃないかって、焦ったらしいよ」
「!」
「だから、早く帰れって顔してたもん。私に」
そんなこと、が。
あの時。
すごく確かに、若葉さんをあの時隠したそうにしてた。あれは、そういう意味、だったんだ。
「すっごい不思議だったんだよね。あの時、いつもと和磨違ってたから。明らかに椎奈くんのこと隠してたし」
「……」
「好きな子に触るな、って感じ」
そんなこと、思って……もらえて。
「ヤキモチ焼きとは知らなかったわ。いーじゃんね。好きな子が楽しそうに話してたら」
「は、ぃ……」
「……ふふ」
「?」
「嬉しそうな顔」
「!」
そんな顔、してしまってた、かな。
「椎奈くんってチューリップみたい」
「…………へ?」
「チューリップって、私、花の中でも一番好きなの。艶やかで真っ直ぐで、素直で。カラフルで。知ってる? チューリップってね」
そう言って彼女が眩しそうに、図書館の出入り口に並べられたプランターのチューリップへ視線を向けた。近所のシニアボランティアさんが大事に手入れしてくれてるんだ。カウンターに置かれている観葉植物もそのボランティアさんからのお裾分けでもらったもので。
「太陽があるあったかい時間は嘘みたいに花びらを広げて、君? チューリップ? って疑いたくなるくらいに日差しを浴びるの。でも夜になったり、曇りの日はぎゅっと花びらを閉ざしてて」
「……」
「その笑っちゃうくらいに素直なとこが魅力だと思うの」
「……」
「って、またたくさん話しちゃった。和磨が不貞腐れそう。それじゃあね。また借りにきます。ピンヒールだから中入るのどうしようかなって思ったんだよね。足音、うるさいでしょ? 読書の人の邪魔になっちゃうから」
彼女はくるりとつま先を駅の方へと向けた。その拍子に、一つ、軽やかな音がヒールの踵から鳴った。
楽しそうな弾んだ足音。
「じゃあね」
「……はい」
そして、彼女が立ち去った足元、ずらりと並んだプランターに咲き誇るチューリップは日差しを浴びて、確かに花びらを広げて、嬉しそうに日光浴を楽しんでいて。
僕は、あの日、映画館での彼の仕草、言葉、少し急かすように彼女を紹介した時の表情を思い出した。
「……」
次、やっぱりこの本を、少し忙しさがおさまったきただろう頃合いにでも、彼に紹介してみようと思った。
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