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第32話 相合傘と
パーカーは晴れの日だったらちょうどいいけれど、今日はお天気予報が外れてしまった。
傘、ないと、きっと濡れてしまう。パーカーじゃ、濡れてしまったらすぐになんて乾かなくて、濡れた服のままじゃ春先は寒いに違いない。風邪引いてしまう。歌を歌う人なのに喉とか痛くしたら大変だ。もちろん風邪を引いてしまっても大変だ。
だから、傘。
僕は折りたたみ傘を図書館に置いてあるから。
本をいつも持ち歩いてる僕は雨がとても苦手。本が濡れてしまったら大変だから。
その折りたたみ傘を渡してあげないとって思ったんだ。
僕はコンビニでビニール傘でも買えば大丈夫。
一度行ったことのある和磨くんの大学。最寄りの駅付近にはコンビニもあるけれど、大学のすぐ近くにはなかったと思う。
どうしても濡れてしまうだろうと思ったんだ。
だから、傘を、持っていってあげても、いいよね?
お節介かもしれないけれど。
でも、もしも彼も折りたたみ傘を持ってれば、そうだったんだねって帰ればいいだけだし。僕は今日、予定なんてないもの。強いて言うなら、和磨くんが買ってくれた僕の好きな作家さんの新作を読むことくらいだもの。
だから、傘を持って。
「ダーメ。濡れたら大変じゃん」
持ってきても、迷惑じゃ、ないよね。
「平気だって。このくらいじゃ風邪引かない」
「まぁね、和磨だもんね」
傘。
「なんだそれ」
「そのままの意味だしぃ」
雨音の中、和磨くんの声と、明るく高い華やかな声が弾むように一緒に聞こえてきた。とびきり楽しそうな女の子の声に、思わず、傘で自分を隠してしまった。
おーいって、声、かければよかった。咄嗟にそれができたならよかったけれど、でも、僕にはそれはすごく難しかったんだ。
大粒の雨がたくさんたくさん落ちた透明なビニール傘は、その大きな雨粒のおかげできっと主人の顔がよく見えなくなってる。ぎゅっと背中を丸めて、顔と肩の辺りまでその傘の中にしまってしまえば、彼には見えない。
「駅まで一緒に帰ろうよ。和磨」
彼には見つからない。
「あ、そうだ。駅前にできたカフェ行ったことある? すっごい美味しかったんだぁ。ねぇ、クロワッサンサンド、小腹空いたぁ」
彼には。
「和磨?」
見つから――。
「佑久、さん?」
「!」
「え? どうし、」
濡れちゃう。
僕は大慌てで、どうしてここに自分がいるのかを話すよりも先に、とにかく急いで、傘も差さずにこっちに来てくれた彼の方へとビニール傘を腕を突っぱねて差し出した。
ビニール傘は、おっとっとって急に揺さぶられて、その頭にたくさんくっついていた雨粒をにぎやかに地面に落っことしていく。バシャバシャと。アスファルトに、雨音に混ざることなく水音を立てながら落っこちていく。
「ちょ、あんたが濡れるっ」
「!」
その傘を差し出した手丸ごと引き寄せられて、また、ビニール傘が、おっとっとって。そして、夕方から降り始めたたくさんの雨が僕らを覆ってくれる傘の上に次から次へと、落ちて。
「びっくりした……」
和磨くんの声が傘の中に篭って聞こえた。
「……はぁ」
和磨くんの溜め息がすぐそこで聞こえる。
「わりっ、俺、この人の傘に入れてもらうから」
「えっ!」
「じゃあな」
傘の外側に聞こえるように、和磨くんが大きな声で、さっき傘に入れてくれていた女の子へ話しかけて。
「あ、あのっ」
「濡れた」
「あ、ごめんっ」
「俺じゃなくて、佑久さんが」
「僕はっ、別に」
「一回、大学戻っていい? ロッカーすぐんとこだから」
「……ぁ」
コクンと。
「ぅ、ん」
頷いた。
「あ、あった」
和磨くんの声がロッカーに響く。
「ジャージ、これ、羽織って」
「……ぇ? あの、僕、は大丈夫。和磨くんが」
「いーから。風邪引かせたくない。着て」
心臓がドクンって大きく飛び跳ねた。彼のジャージを羽織ったら、彼の匂いとか、あと、サイズが違っていて。背は高いけれど、でも、そんな身体がとても大きいと思ったことなかったけど。肩にかけてもらった彼のジャージはワンサイズ大きくて。
「っぷは、佑久さん、華奢だから俺のでかいね」
「っ」
なんだか、すごくドキドキした。
「傘、持ってきてくれたんだ」
「ぇ? あっ……うん」
ぎゅっと握ったままだった。忘れてた。ぎゅっと握ったままだったっけ。
傘、そう、傘を、折り畳みの持っていたから、今朝、傘を持っているように見えなかった和磨くんは必要なんじゃないかって思って持ってきたんだ。でも、考えたら、必要なかった。友だちがたくさんいる和磨くんなら傘を貸してくれる友だちだっているだろうし、さっきみたいに傘に入れてくれる子だって、たくさん。僕がわざわざ来なくても。
僕じゃないのだから。
人気者の和磨くんなんだから
さっきの、傘に入れてくれた女の子みたいに可愛い人がたくさん。
嬉しそうにしてた。きっと、カフェに行きたかったんだと思う。相合傘できて嬉しそうだった。楽しそうだった。
僕は――。
咄嗟に隠れてしまった。
あの瞬間、なんだか、悲しいのと、トゲトゲと、感じてしまった苛立ちと、本当は苛立つことなんて一つもないのに。大事な人が濡れずに済んでいたのだからそれが一番で、それで良いはずなのに、苛立ってしまう自分が嫌で、隠したくて、変な顔をしていそうな自分も嫌で、やっぱり隠したくて、傘を隠れ蓑にしたのに。
きっとそんな隅っこで嫌なトゲトゲを胸に抱えている。それを知られたくなくて隠れた僕を見つける人なんていない。
そんなに目を引くような人間じゃない。
端っこで、小さくなっていたら誰も気がつかない。
そう思った。
「あの……」
でも和磨くんが見つけてくれた。
僕はそれがとてもとてもとても嬉しくて。
「ありがとう……和磨くん」
世界で一番幸せだと、思ったんだ。
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