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第42話 変わらず恋色

 ――とにかく綺麗。  ――聴けてよかった。  ――何これ、最高。  ――まだ桜咲いてるとこなんてあんの?  ――どこだろ。見たい。  ――神。  ――オオカミサン、最高。泣く。  ――聴いてると自然に涙が出るんだけど。  はい。僕も、同じです。目の前で聴いていた時は涙が止まりませんでした。  とにかく綺麗で、聴けて幸せで、最高で、聴いてると涙が勝手に出てきます。  ――ラスト、誰か目の前にいるのかな、めちゃくちゃ嬉しそうに笑ってる。  あ、それ。  ――誰に微笑んでるんだろー。幸せそー。  あ、えっと。  ――オオカミさんがこんなに笑顔なの初めて見た!  それは。 「おにーさん、可愛いね。俺とお茶しない?」 「ひゃへ! ……ぁっ!」  突然声をかけられて、握っていたスマホを落としそうになりながら振り返ると、深く被った帽子に黒いマスク。ちょっと誰だか、一瞬だけだけれど、わからなかった。  でもすぐわかったよ。  声が。 「…………あははは、返事の声」 「! か、和磨くんっ」  声が、和磨くんだったから。 「一瞬びっくりした?」  しました。ものすごく。 「ナンパかと思った?」  ナンパはさすがにないけど。  ちょっと変な人に声をかけられたのかと。  だって、変装してるから。和磨くん。  前にも一度されたことのあるその悪戯に、きっと大したリアクションをその時と同じくらい取れてないだろうけれど。でも、和磨くんは満足そうに笑って、マスクを外した。 「スマホ見ながらニヤニヤして、かと思ったら真っ赤になって、佑久さん、平日の昼間だから職質されちゃうよ?」  さ、されません。それにニヤニヤしてたのではなくて、嬉しくて口元が緩んじゃっただけです。真っ赤なのは……今日が春にしてはとても暑いから、です。 「何見てたの? って、また、それ見てたの?」 「ぅ、ん」 「気に入った?」 「うんっ、とてもっ」 「っぷは、佑久さん、返事がすげぇ元気」 「! ご、ごめっ」  つい、声が大きくなってしまった。ここ、駅前なのに、しかも、和磨くんの大学の近くの。だから最近はあの動画配信を見て、オオカミサンに会いたいって人が少なからず、ちらほらいるって話してた。大学通ってるとか、一応、公表はしてない。それでも、やっぱりどこかからかバレてしまうらしくて。  だから、人目気にしないといけないのに。  大きな声出しちゃったら――。 「ならよかった」  そう言って、和磨くんがこの「ハル」の配信のラストみたいに微笑んだ。  桜の木の下で「オオカミサン」がマイクなしで四重奏の中歌った動画。  あの日の空の色は特別綺麗だった。  ゲリラライブ、ではないかな。観客は僕と若葉さんの二人だけだったから。あまりに早朝過ぎて、あの時、あそこを通ったのは数台の車と、ジョギングをしている人くらい。  ずっとここのところ和磨くんが忙しかったのは、あの動画を撮るためだった。  四重奏をしてくれたのは同じ大学の人で、四人組で、やっぱり動画配信をしているアマチュアの人たち。演奏を彼らがして、歌を「オオカミサン」がしたら面白いんじゃないかなって、話になったらしくて。でも、和磨くんは生演奏に合わせて歌ったことがなかったし、演奏者の人たちも初めての経験だったらしくて、何日も練習を重ねていた。  あの雨の日はそろそろ撮影だからって、演奏してくれる四人の衣装を決めるはずだった。和磨くんは普段着の方がいいんじゃないかって話してて。衣装とメイクの担当は若葉さん。  そして、若葉さんがあの日、色々なツテを使って、あの場所での撮影が叶った。急遽だったのは――。  ――あの日、衣装合わせに和磨が来れなくて、ピーンと来たの。これは、佑久くんいるなって。そういう勘は鋭いんだよねぇ。  若葉さんが楽しそうに笑ってた。  ――そしたら知り合いの知り合いで風景写真のカメラマンしてる人がいて、その人が今、満開の桜スポット教えてくれてさ。すぐに和磨に連絡したの。  若葉さんは嬉しそうだった。  ――ハル、撮るなら桜必須でしょ?  僕は嬉しくてたまらなかった。  桜は満開。風が少し強くて、満開の桜はそろそろ季節を変えないといけないと花びらをその風に乗せて散らし始めそう。  絶対に綺麗で、最高の動画が撮れると思ったの。だから、衣装は大急ぎで揃えたんだと、若葉さんが教えてくれた。  あの奇跡のような数分がどうしてできたのか、それまでのことを。  予想外れの雨が上がった朝の空は最高に綺麗な色をしていた。  ――和磨があんなに幸せそうに歌ってるの、見れてよかったよ。  そんなたくさんの想いの詰まった動画は一日で広まって、その日の夜にはフォロワー数が十万人も増えていた。  今も、再生回数、フォローする人はたくさん続いていて、外を歩いていると、チラホラ声をかけられるようになったほど。  だから外で会う時は銀色の髪があまり見えないよう帽子を被っている。それから黒いマスク。  あの動画は「奇跡の瞬間」って言われてる。  すごいコメントがたくさんついて、その日のうちに再生された回数はものすごいことになった「ハル」。  今だって、きっと誰かが和磨くんのあの日の歌声に聴き入ってると思う。 「佑久さん?」 「! は、はいっ」 「待たせてごめんね。行こっか」  マスク、してないけど、大丈夫かな。 「ふぅ」  息苦しいよね。もう日差しだって少しずつ強くなってきたし。銀色の髪をしまった帽子だけは深く被ったまま、和磨くんが駅の改札へと向かう。僕はその後を追いかけて、改札をくぐっていく。 「あ、そうだ」 「?」 「佑久さん、また小説、読みたいんだけど」 「!」 「ってことで、本屋デート、しようよ」  銀色の髪は見えないけれど、でも、変わらない楽しそうな笑顔の彼と、今日は本屋デートを、してみようと思う。

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