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第52話 マスク、をね。
水族館は子どもの頃に行ったことがある……と、思う。
でも記憶にはないから、僕はまたその時もいつものようにつまらなそうな顔をしてしまったのかもしれない。
だって、こんなに綺麗な場所なら僕はとても感動したと思うから。きっと、目に焼き付いて今でも覚えていると思うんだ。
楽しみ、だな。
和磨くんは行ったこと、あるよね。もちろん。
でも、やっぱり楽しみだな。
「あ、椎奈くんは今日早番だっけ上がりの時間?」
「あ……うん」
借りていこうと思った雑誌を貸出機のテーブルの上に置いたら、近く、カウンターにいた近藤さんがニコッと笑った。
「珍しいね。本、借りてくの」
「あ、うん」
「お疲れ様です」
近藤さんに僕もお疲れ様です、と返事をしたところで、貸出機が貸出しますよって、小さな鈴のような機械音を立てた。
本には必ずチップがついていて、貸出機のテーブルにただ置くだけで、機械がそのチップを読み取って貸し出しの手続きを行なってくれる。だから司書の僕らは貸し出しの受付をすることはほとんどない。もちろん、僕らが貸出の受付をすることもできるけれど、大体の人は機械で済ませてしまう。だから僕らの仕事は入荷した本にチップを貼り付けたり、本の管理をするのがメイン業務だ。
僕は、本はあまり借りることはない、かな。
休憩時間に読めてたし、好きな作家の本は買ってしまうし。
でも、今日は、小説じゃないから。
これで貸し出し手続きは完了。借りた本をカバンにしまって、カウンターの前を通り過ぎ、図書館を出た。
借りたのは、雑誌。
「佑久さん」
「!」
「お疲れ様」
「か、ずま……くんも」
お洒落な和磨くんは帽子もたくさん持ってるらしくて、いつも違うキャップを被っている。
「大学、お疲れ様、です」
そんな和磨くんとデートだから。
「なんか、重そうだね。カバン」
「あ、うん。雑誌、借りてきた」
「雑誌?」
「うん」
メンズのファッション雑誌。僕が参考にできるかわからないけど。
「和磨くんと、出かける、から」
だから、たくさん、貸し出しの上限まで借りてきたと、カバンの中を見せてあげた。
「っぷは」
最近はキャップにマスク、外にいる時は必須アイテムみたいになってる。でも、そのマスクをしていても充分わかるくらい、和磨くんが笑った。
「服の?」
「う、ん」
「なんで、別にいつも通りでいいのに」
優しい声がそう言ってくれた。僕はちっともお洒落じゃないのに。
どの雑誌だって、初夏のお出かけにって、特集を組んでたんだ。デートにって。僕が持ってる服なんて地味でちっともデートっぽくないのに。
「いつものまんまでいーよ」
「……」
「全然」
なんて、優しい人なんだろう。
「つーか、佑久さんがすごい垢抜けて、女の子が寄ってきたら、そっちのほうが困る」
「……っぷ」
「いや、笑い事じゃないから」
笑い事だよ。
「じゃあ、僕、このままで行こうかな」
「うん。マジでそうして」
そう、本気っぽい顔で言うから、また僕は笑ってしまう。女の子が寄っていくとしたら和磨くんへ、でしょう?
「水族館、すげぇ楽しみ」
「僕も。でも、和磨くんは行ったこと、ある、よね」
彼女、いたことあるから、デートだってたくさんしたことあると思う。美味しいお店もたくさん知っていて、中にはデートにぴったりだろうお洒落なところもあったし。
あの時だって、映画のチケット、買うのすごく慣れてたし。
出掛けるの、上手だから。水族館に彼女と行ったことあると思うんだけど。
「でも、佑久さんと行ったことないよ」
「!」
「だからめちゃくちゃ楽しみにしてる」
ほら、すごく素敵な人なんだ。
「けど、佑久さん、魚とか好きなんだね」
「あ、ううん」
「?」
そういうわけじゃないんだ。
「水族館の特集を図書館の雑誌で見つけて」
薄暗い中、真っ青な世界。
「あそこから、和磨くんの銀色の髪、が、青色に見える、かなって」
「……」
「そしたらオオカミサンって、気がつきにくいかなと……思って」
トレードマークの銀色の髪はきっとそこでは青色に染まる。
「それに薄暗いから、顔もあんまり見えなかったりする、と」
薄暗い中でなら、誰でも、人の顔よりも、鮮やかに照らし出された水中で泳ぐ魚たちに目がいくと思うんだ。
「マスク、をね。和磨くんが外してても大丈夫かなって……」
早番で、和磨くんの都合が会う時、お付き合いをする以前のように、こうして二人で会うけれど、お店に行くことは少なくなった。そして、どちらかの部屋に行って過ごすことが多くなった。二人っきりでいられるのもあるけれど、きっと、人目がなくて帽子もマスクもいらないから。
「そう、思って」
初夏、マスクはちょっと息苦しいでしょう?
「……ヤバ」
「? 和磨くん?」
どうしたのだろうと心配して、帽子で隠れがちな和磨くんを覗き込むように首を傾げた。
「佑久さん」
「?」
そしたら、手をぎゅっと握ってくれる和磨くんの困ったように眉間にシワを寄せているのが見えた。
「それ、反則」
「え?」
「なんで、明日早番なのに、そういうこと言うかな」
「え?」
「今日は、佑久さんちね」
「あ、うん」
「そしたら、帰り、大丈夫でしょ」
「? けど、送るよ? あの駅から遠いし」
「や、無理だから」
「?」
無理じゃないよ。というかむしろ和磨くんのおうちの方がいい気がする。駅からの距離、僕のマンションより短いし、図書館からも近いのは和磨くんの部屋だし。
「腰に力入らなくなるから」
「…………! え、えぇっ」
それは、きっと、つまり。
「可愛いことを言った佑久さんが悪いから。あーけど、泊まりっていうのもありか。でもなぁ。そしたら寝かしてあげられなかったりしそうだしなぁ」
「えぇっ」
真っ赤になってしまったのが、きっと和磨くんには丸わかりだ。
「っぷは」
僕の手を、ぎゅっと、捕まえるようにしっかりと握って、彼はとても嬉しそうに楽しそうにたくさん笑っていた。
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