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第55話 僕は、僕らは、可愛いですか?
「髪は、ふわっと……ふわっと……ふわ……」
こんな感じ? 呪文みたいに唱えながら、若葉さんの手つきを思い出してみる。
「ふわっと……?」
してるかな。してはいるけど、これで大丈夫かな。
「…………」
鏡の中の自分をじっと見つめること何十秒、かな。
「ぁ、えっと」
服、本当に? でも、若葉さんが言ってたの、信じてみようよ。あんな素敵な人が笑顔でそう言ってくれたんだから。
――クローゼットの中で、いっちばんお気に入りの服、着てけばいいよ。
お洒落なんてわからない。僕が雑誌でたくさん詰め込んだ流行りのファッションは僕にはカッコ良すぎて似合う気がちっとも、これぽっちもしなかった。似合わなそうだし、入るのも勇気がいるし。今年の流行りの服装は学んだけれど、それが僕に似合うようには思えないし。
若葉さんはクローゼットの中で一番のお気に入りでいいって言ってた。
お洒落の基準は。
――ちょっと着ると、気持ちが上がる服、だから買わなくたって大丈夫
それなら、あるよ。流行りじゃないし、お洒落じゃないし、量販店の安いものだけど。
「……ょ、よし……」
今日はとても暑くなるんだって。水族館は室内の施設だけれど、でも行き帰りで汗かいちゃったらやだし。天気予報はとても、とーっても暑いです。昨日よりも暑いです。ってなってたから。
今日、着てくのは。
真っ白なTシャツ。
胸に小さなポケットがついてるくらいで、デザインらしいデザインもないけれど。着心地がいいんだ。着てると爽やかな気分になるんだ。襟首のところはしっかりとしている生地で。袖はちょっと長めなんだけど、袖口がとても大きいから風がたくさん入ってくる。
本当に真っ白なただのTシャツなんだけど。
これを着て仕事に向かう日はちょっと良い気持ちがする。
これじゃない服の日はちょっと残念な気持ちがする。
「行ってきます」
今日は良い気持ち。
髪はふわふわ。
天気はポカポカ? というよりも、ピカピカ。
服は、サラサラTシャツ。
「……? 靴は……」
普段は、シャツだっていうのもあって、ローファーとかの革靴だけど。
「こっちにしよ」
きっとたくさん歩くよね。水族館、行くから。
「よ、よし。今度こそ、行ってきます」
スニーカーにしよう。
そうしよう。
「わ、外、暑い」
そして外に出ると確かに天気予報が言っていたように暑くて、まるで夏が来たみたいだった。
日差しが強いから、マスク暑いだろうな。
帽子はむしろ必要だろうけど。
「……佑久、さん?」
だから、少し、と、追加で、もう少し早めに待ち合わせ場所に向かったんだ。
「ごめん。待った?」
「あ、ううん。僕が早めに来ただけ」
君に待たせたくなかったから。だって、暑いでしょう?
「……ぁ、すげ」
「あ、あの、和磨くん?」
和磨くんは顔の半分を隠しているマスクを指で少し摘んで、口元から離して溜め息を一つついてから、また、その指を離した。
「いや……なんか、今日の佑久さん、モザイクレベルなんだけど」
「えぇ? も、モザイク?」
「理性、ぶっ飛ぶかと思った。何それ。本当。暴力反対」
「えぇ?」
してないよ。ぶってないです。
「佑久さんの半袖初めてみた」
「あ、暑くて」
なんだか急に夏みたいに暑いから。だからTシャツにしたんだ。一番お気に入りの。
「子どもっぽいかもだけど」
「全然。似合ってる」
「そ、れなら、よかったです」
ちょっと褒められただけで舞い上がってしまう。あのね、本当は買おうと思ってたんだ。最新、初夏コーデ。リネンの生地がいいらしい、です。リネン、麻でできた服。でも僕に似合うとは到底思えなくて。もっと大人の男性の方がいい気がするし、僕はそこまで爽やかな感じじゃないし。
「和磨くんはかっこいい、です」
「そ?」
「いつもだけど。いつもかっこいい、です」
今日はマスクのせいもあるのかな。黒いTシャツがかっこいいです。黒いズボンもかっこいい。中に白いTシャツを重ねていて、お洒落だなぁって。
「佑久さん」
「は、はいっ」
「なんか良い匂いするけど」
「あ、頭はその、朝、シャンプーしたので」
昨日の夜、ふわっとふわっと乾かしたけれど、寝ているうちに元の髪型に戻っちゃったんだ。ふわっと感がなくなっちゃったから、もう一度お風呂に入ってやり直したの。すごい確かに良いシャンプーって効果あるんだって驚いたんだ。
「い、良い、匂い? ですか?」
「うん。すっげぇ」
「よかった」
うん。とてもよかった。
「若葉さんのお店の。和磨くんが使ってるのと同じだけど、髪質がちょっと違うんだって。あ、でも、和磨くんも使える。だから、安心、」
そこで、ボワっと頬が熱くなった。
「あ、あの、その」
まるで僕の部屋に泊まるのが決定しているかのように話してしまった。また、その前提で、言ちゃった。
「っぷは」
「! 和磨くん」
「行こ。佑久さん」
「!」
手。
「あ、あのっ」
繋いでて、いい、のかな。
「佑久さん」
「は、はい」
じっと繋いだ手を見つめていた。
名前を呼ばれて顔をあげると、和磨くんが笑ってた。
「なんか、今日の佑久さん、いつも可愛いのに、いつも以上で、すげぇ」
本当? ふわっとしてますか? 服も大丈夫ですか? お洒落じゃないし、センスないし、カッコよくないし、流行りなんかじゃないけれど。
「可愛い」
僕は可愛い、ですか?
「ぁ……よかった、です」
それなら、僕は、とても、嬉しいです。と、その繋いだ手をぎゅっと握り返した。
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