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第56話 はしゃぐ君
「ひゃえ……」
思わず、そんな奇妙な声が出た。
「まー……そう、かも」
えぇ、そう、なの?
チケット売り場からして大混雑していた。小学生もたくさん。大型連休に合わせて水族館では特別展示会もやっているから、それもあるのかもしれない。確かに楽しそうな特別展示だったから、僕もちょっと楽しみにはしてたし。
でも、これじゃあ、和磨くん、マスク外せないかもしれない。魚を見るというよりもたくさんの人に会いに来たような状況になっていた。
「ごめ……」
こんなになってしまうなんて思ってなかった。大型連休で水族館で、確かに混雑はしているだろうけど、でも、こんなに大勢の人がいるとは思ってなくて。
いつもはこの大型連休も普通に仕事があるし、その中でも今日みたいにお休みがあったとしても、自分の部屋で本を読んでいるだけだったから。外にこうして出掛けたことなかったから。
こんなに混んでいるって思わなかった。
「いーじゃん」
「でもっ」
これじゃ。
「行こう」
そして、笑ってくれた。マスクしたままでも帽子を被ったままでも、目元だけでわかるくらいに笑ってくれた。
「チケット」
「あ、あの、僕、買いました」
チケットはスマホで買えたんだ。
前に和磨くんが映画の時、スマホで買っていたでしょう? あんなふうにスマホで買えるらしくて、ちゃんと。
「これ、機械にかざせば、大丈夫」
ね? これで二枚分。特別展示も見られるチケット。ちょっと初めてで戸惑ったけど、きっと大丈夫。
――えぇ、本当に? これでいいの?
そう何度か自分の部屋で呟きながら、ドキドキしながらスマホと睨めっこしていた。買えてなかったら大変なことだから。仕事の後、和磨くんとは会わない日に、夜にチケットを買ったんだ。その日は夜更かしになって、朝、寝坊してしまったけれど。
「わ」
チケットを認証しましたと機械が、軽やかな電子音を立ててくれた。
よかった。
ちゃんと買えていた。
「ふぅ」
緊張した。買えてなかったらと、ドキドキした。
利用規約も全部読んだけど、チケット売り場で戸惑ってしまわないように、何度かチケット表示の練習もした。けれど表示させたら、もうチケット使いましたってことになってしまうかもしれないと、またそのことにもドキドキして。
「買えてた……」
ちゃんとできた。
「あ、あの、特別展示は、奥にあるみたい」
「うん」
「ちょっと混んでる、けど。ごめんね。大型連休がここまで混んでるとは思わなくて。前に和磨くんが来た時は」
どうでしたか? その、前の、付き合っていた彼女と来た時は。
「全然」
全然、こんなに大勢ではなかった? もう少しゆっくり落ち着いて、見られましたか?
「混んでていーよ」
「……かず、」
「混んでても、混んでなくても、佑久さんとデートすんの、すっげぇ楽しみにしてたから、関係ない」
「……」
「行こう」
「ぁ」
子どもたちの笑い声と、感嘆の声、それから、お父さんお母さんに珍しい魚を見せたいのかな、ほら、見て、と呼んでいる大きな声。賑やかな中、和磨くんの声だけ特別みたいによく聞こえた。
「うん」
マスクをしていてもわかる。
僕の大好きで、特別な、和磨くんの声が、楽しそうに、嬉しそうに、すごく弾んでいた。
「わ、ぁ……」
たくさん魚を見た。小さいけどカラフルで、青色の中に絵の具で描いたみたいに、まるで違う色がふわりふわりと泳いでる。黄色に、ピンク、青紫に、縞々。輝いているような真っ青な魚には、神様が色を塗り間違えてしまったかのような黄色の尻尾がついてて、それがパタパタと左右に忙しなく動いていて、可愛かった。
どこも混んでいて、どこもおしくら饅頭みたいになりながら見ないといけなかったけれど。
「すごい……」
「水槽でけぇ」
「うん」
僕らはずっと手を繋いでいたから、二人で並んで見られた。
「わ、すごい、和磨くん」
繋いでいない方の手で、僕らの頭上、水槽の上の方を優雅に泳ぐエイを指差した。
「あ、こっちは見て見て、ほら」
足元にはコバンザメがいて、腰、と言って良いのかな、人間でいう腰の辺りをくねくねとダンスみたいに動かしながら、泳いでいた。
「あ、魚の群れ」
真ん中に小魚の群れが泳いでる。右へ左へ。僕らは大きな魚なんです、ってカモフラージュをしながら一致団結で泳いでた。
「わ」
びっくりした。
「和磨くん、あそこ」
ヒラメがいた。白浜の下に潜り込んでいた。
ちっとも気が付かなかったけれど。
「ほら」
今、ひらりとその背びれ? 尾びれ? ひらりとはためかせて、その時にだけ白い砂がわずかに舞い上がってる。
「ね、和磨くん、今、見、」
「うん」
胸が、きゅっと、した。振り返ったら、和磨くんと目が合ってしまって、なんだか、胸のところが、ぎゅっと、して、心臓が躍りだした。小さな太鼓がトントンってリズムを胸の内で刻んでる。
「あ……」
「ごめん、見えなかった。どこ、どの辺」
足元のところ。
白いからわからないけど、たまに、見つからないと油断したヒラメがちょっとだけ僕らの隙をついて動いて、ます。ほら。
それを教えると、和磨くんがしゃがんで。僕もその場にしゃがんで。じっと。
「あ、いた」
見つめられてると気が付かなかったヒラメがふわりと白い砂を舞い上げて。
「あははは。めっちゃ隠れてる」
色々な魚でにぎやかで忙しそうな大きな水槽の中、のんびりと、マイペースに白浜の中で昼寝を楽しんでいるみたいだった。
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